ハナコが手を繋ぎたいなと思ったとき、彼女の右手は既にハルキの左手に掬い取られていてひどく驚いた。「どうしてわかったの?」と首を傾げるとハルキは同じように不思議そうに首を傾げた。テレパシーではなく、ハルキ自身の衝動だとか、欲求に従った結果だということがわかってもハナコは気にならなかった。ハルキは少しだけ恥ずかしそうにしていた。ダック荘を出て歩き始めてから直ぐのことで、ハナコは少しだけ背後の様子を伺ったけれど、幸いそこに人影はなかった。
 今日は商店街の手芸屋に行くことになっていた。ハナコが普段部屋で掃除をするときに着けているエプロンに穴が開いてしまったので、それを塞ぐに適当な布地だったり、アップリケだったりがないか見に行くのだ。ハルキは彼女が日頃エプロンをすること自体しらなかったのだけれど、女子寮の外では着けていないからと微笑まれて、それもそうだと納得するしかなかった。
 ハナコは控えめな性分だったけれど、自分の領域はきっちりと整頓しているらしい。らしいというのは当然、ハナコのクラス女子寮の部屋をハルキは覗いたことがないからだ。

「リンコが使い慣れたドライバーがないって言うから、みんなで大捜索をしたの。その時に、キャサリンとか、ノゾミもね、本当にそんなところにあると思うのっていうところまでひっくり返しちゃうから、エプロンをしていないと服が汚れちゃうの。それで、ハナコはエプロンをしたんだけど、それがね、誰かがひっくり返した工具箱の中身がそのままなのは危ないなあと思って整理してたら、ニッパーの先がエプロンを挟んじゃって、そのまま引っ張ったらちょっとだけ穴が開いたみたいになっちゃってね」

 ハナコはよく喋った。意外にも思ったけれど、当然だとも思った。ハナコと手を繋ぐということは、彼女と疎通することだとハルキは思っていたから。
 そのエプロンは、ハナコが小学生のときに買って貰ったものなのだという。何でも、家庭科の授業で縫ったエプロンの出来栄えが気に入らなくて、代わりにお店で可愛らしいピンクと赤の花模様のものを強請ったらしい。ハルキにはその経緯が不可思議で、率直に「納得の行くものを作り直そうという気にはならなかったのか」と訊いた。ハナコは質問内容が心外だと言わんばかりにきょとんと瞬いてまた微笑んだ。

「縫い目がね、真っ直ぐならないのが嫌だったの。ミシンはひとりじゃ使えなかったし、私の技量じゃ無理だったから、お店に並んでる綺麗なものが欲しかったんだ」

 ハナコは繋いでいる方の腕を揺すった。昔話はどうしてか照れくさかった。LBXを動かしているときは、俊敏に的確に己の動きを定められるのに、たぶんそれ以外では、ハルキの目に留まるような特別な個所がないから。何故そんなものが必要だと思ってしまうのか、それはハナコにもわからない。こうして手を繋ぐことは、少なくともハナコにとっては特別なことで、ハルキにとってはどうだろう。委員長で、小隊長で、壇上で物怖じすることなく言葉を発することができて、そんなハルキを輝かしく思うハナコには時折自分が平凡で仕方がなく感じる。ハルキは、ハナコの言葉に小さく相槌を打ちながら歩いている。

「それで、いいのか? 穴が開いてしまったなら、塞ぐのは、ハナコが自分で縫わなくちゃだろう」
「まあるく縫うの。そうすれば、曲がってても変じゃないでしょう?」
「変わった理屈だな…」
「……理屈かな?」

 またハナコは首を傾げる。彼女は頻繁にハルキに会話の中で生まれた齟齬や疑問の答えを求め、委ねる。こんなことは、恐らくキャサリンあたりには叱られる行為だ。キヨカには必要がないことで、ユノならば抱き締められて許容されてしまうかもしれない。ハルキは答えをくれたり、悩んだまま黙ってしまったり、答えを出すこと自体無意味なことだと頷きひとつで流されてしまうこともある。ハナコもしつこく追及はしない。ハナコの問いかけは、その場の会話をひとつ収束させる効果があれば十分だった。
 それから暫くの沈黙があって、けれど一向に気まずさなど訪れなくて、繋がった手は仄かに温かいままだった。
 ハナコは無意識に鼻歌を歌って、ハルキは耳を澄ましてそのご機嫌な調子を拾い続けた。この島にやって来る前に流行っていたラブソングの類。歌詞は忘れてしまった。元々知らなかったのかもしれない。ハルキはただ、自分と手を繋いで歩いているハナコの選曲がラブソングであったことが誇らしかった。
 そして時間を持て余すように、エプロンを着けたハナコの姿を想像してみた。この島の学園には生憎調理実習も給食の配膳もないので全てを自分の脳内で補わなければならない。つまるところ妄想の一種だった。罪悪感を覚えるには健全で、正面から実像を求めて頼み込むのは逆に不健全な気がする。同じ部屋で暮らすとか、それこそ妄想の突飛さに助けて貰わなければ描けない風景の中でなら、ハナコは当たり前のようにエプロンを着けているのだろうか。そんな彼女の姿を見つめているのは、ハルキ自身で有り得るだろうか。

「もし丁度いいものがあったら――」
「……うん、」
「それからやっぱり、もし、上手に直せたら、ハルキくんにも見せに行くね」
「上手に直せたら、なのか」
「うん。だって裁縫も満足に出来ないのかって呆れられるの、やだもの」
「見せに来なかったら、下手くそだって認めたのと同じになるだろう」
「違うよ。ハルキくんは下手くそなのかなって気にするだけ。呆れちゃダメ」
「ダメ…」

 やはりハナコはよく喋った。自分からハルキに対して何かをすると宣言するなんて珍しい。意外に思った矢先に覗いたネガティブさは、しかしどこか稚拙にハルキの周りで浮遊している。見て欲しい、でもきちんとできていないものは見て欲しくない、といった具合で。ハルキが自分に対して鋭い言葉を使うことはないと理解していても、それはハルキにはわからない女の子の矜持だった。
 そしてハナコは、ハルキが彼女に向ける慈愛に似た優しさがやはりそれが似ているだけであって、実物は恋という欲の中で幅を広げては狭い島の中ではっきりと区切られた境界をもどかしく思っていることを知らない。手など繋いでしまって、それを優しさと捉えてはいけないと、誰も彼女に教えてあげなかったものだから。

「裁縫は別にできなくてもいいんじゃないか? ボタン付けくらいができれば、後は別に」
「――?」
「ハナコは洗濯が好きだし、掃除もできるし、料理はある程度できればそれなりに融通は利くだろう」
「融通……」
「でもエプロンを着けるのは忘れないようにしてくれ」
「どうして?」
「さあ、どうしてだろう……。妄想で終わったら虚しいからじゃないか?」
「――変なハルキくん」
「そうだな」

 今度はハルキがよく喋った。多数に向けた言葉ではなかったので、思いついたまま、整理することもせずに。案の定、ハナコは本日何度目か分からなくなるほど首を傾げている。
 ハルキはその仕草が妙におかしくて、思わず声を上げて笑ってしまった。ハナコの微笑みとは違う、快活な男の子のような笑い声だった。彼女はむくれて、気分を害してしまった。それは説明不足の、ハルキの陽気さにであり、繋いだ手を離してしまうような怒りではなかった。反対に、自分を忘れないでと言いたげに握る手に力が伝わってきて、ハルキは勿論忘れてなどいないと言外に伝えようとしっかりハナコの手を握り返した。
 けれどこの手をどうしたらいいのだろう。今は平然としているけれど、ハナコは本来懐いていない人間に対してはどこまでも消極的で、恥ずかしがり屋だった。人前で、如何にもそういう仲ですと誇示するような姿勢を貫けるとは思えないのだけれど。
 目的地の手芸屋は直ぐそこまで迫っていた。




―――――――――――

60万打企画/都築ゆうり様リクエスト

安全なラブソング
Title by『さよならの惑星』





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -