転ばぬ先の杖のように。触れることを躊躇うことが真っ当だった。慎重でありたかった。どうせこの手に君は残らないんだろうと、最初から諦めていればよかった。けれど結局は、諦めたつもりでいるだけの見苦しさだけがヒカルを苦しめている。


 もてはやされるならばハルキだろうと踏んでいた。世界連合の立役者の名を挙げるなら、無視はされないだろうがトップではないだろうと。実際当事者というものは、先導者に目が向いてしまうものだろうから。アラタは人を巻き込むエネルギーだけは膨大だけれど、一切を任せるには寧ろ支えてやらなければという感覚で他者を結びつける。集団を導くには向いていない。勿論、不可欠な一員ではある。誰もが躊躇う初めの一歩を踏み出す勇気は、混迷した場に於いては希望たりえるものだ。アラタは誰よりもそれを持っている。その力強さをヒカルは認めた。羨むことはしなかった。美徳と無謀の境界を曖昧にして、羨んで奪う必要はない場所に陣取る。とても容易いことだった。

「――それでさあ、ロンドニアの寮とかも行ってみたけどやっぱりダック荘って小さいのな」
「…………」
「まあそれが妙に落ち着くってときもあるんだけど」
「…………」

 アラタのお喋りは一日の終わりを迎えても止まらない。動き回って消費したエネルギーはどこで補充されているのだろう。疑問で仕方がない。平行に並べたベッドが挟む距離をものともしない。背中を向けても、電気を消した室内では効果は薄い。暗がりに慣れたとして、夜目をこらす必要はなかった。どうせ、アラタだってヒカルの方を見て話してはいないのだから。眠る前の習慣のようなもの。一日の出来事やら反省やらをアラタは独りでにつらつらと語る。聞いてもないことを、聞いている人間の都合などお構いなしに自分が眠りに就くまで、ずっと。
 慣れたものだと思っていた。けれどそれは、一日の大半を一緒に過ごしていたから少なからず共感の念が働いてこその妥協だったのだと知る。最近のアラタの話は、ヒカルの知らない場所に飛び込んできた冒険譚に成り下がっている。興味がないからではなく、感情が寄り添わないから相槌を打つのも億劫だった。自分はへそを曲げているのだと察してしまう程度には、ヒカルはアラタとの距離感を意識して測っている。
 世界連合を結成してからの仮想国ごとの境界は、人によってはひどく曖昧になっているらしい。セレディの騒動の後とあってはセカンドワールドを動かすこともままならないので、適当な相手を見つけてはジオラマ内でバトルをするしかLBXを動かす場はない。これが本来の遊び方で、場所も限られているわけだから制服の色など些細な違いなのだろう。特に、世界連合を指揮するにあたり矢面に立ったジェノックの面々に掛かる声は概ね好意的だ。真面目な雰囲気のハルキやムラクは実力差や実務上全ての誘いに応じることは難しく誘い自体稀ではあるけれど。その点、瀬名アラタという人間は呼び止めるのに気後れする必要もなく、バトルの実力も圧倒的というよりは割とムラのある親しみやすさがあるようで毎日他仮想国の人間とバトル三昧のようだった。名前も学年も知らない、時々は連絡先の交換を。更には相手の寮にまで招かれたりと忙しなく動き回っている。
 アラタからすればこれも思い出づくりなのかもしれない。彼は、もう少しでこの神威島を出て行くことが決まっているから。いつか帰ってくるつもりではいるようだけれど、現在進行形で改革を進めている状況では全てが見納めとなってしまう可能性だってあるのだから。
 けれどヒカルとしては、だからこそアラタにはふらふらと出歩いて、去る間際になってまで彼だけの世界を広げないで欲しいと思ってしまう。自分のペースを乱してアラタと行動を共にする気概すら見せないでいる分際でとはわかっているけれども。こうしてアラタが語る出来事の中に登場する人物名のひとりも記憶できない。それが、旅立つアラタを見送るしかできないヒカルの世界の狭隘さ。

「ヒカルー、聞いてるかー?」
「……聞いてるよ。君、もう少しハルキたちを手伝ったらどうなんだい。それだけ認知度が高いってことは、この学園を引っ張ってく責任もあるだろうに」
「あはは、俺、結構有名人みたいだな!」
「嬉しいのか?」
「うーん、まあ前みたいに評判だけ広まって実際はヒカルがサイン求めらる〜みたいなことにはなってないってことは俺もこの島に来てからちゃんと強くなったんだなって実感できて悪い気はしないよな」
「――そうか」
「それから、」
「ん?」
「こんな風に、ヒカルが毎晩俺の話きちんと聞いてくれるようになるなんて、思わなかったし」
「………君は割と最初から好き勝手僕に話し掛けながら寝てただろう」
「そうだっけ」
「そうだ」

 静かな部屋の空気が軽くなって行く。沈黙が遠くなって、アラタの笑い声にその表情までもが安易に浮かぶ。けれどきっと、アラタは自分が今どんな顔をして彼の話を聞いているかなんてわかりはしないのだろう。そこに落胆が滲まないことをヒカルは誇りに思う。身勝手に同等を願うこと、恋の先にある我儘をヒカルは許せない。アラタを自分に縛り付けて、この島に留め置くことを望まない。だから決して彼の言葉を疑わず、この島に帰ってくるその日まで待つことを己に課すのだ。

「――なあアラタ」
「ん?」
「明日は、僕とバトルしないか」
「マジで!?」
「手加減はしないから」
「当たり前だろ!」

 アラタが布団を跳ね上げる。果たしてその瞳は輝きながら、彼とは反対に頭まで布団を被ってしまったヒカルをどう映しているのだろう。
 手加減はしない。できればこてんぱんに負かしてやりたい。そうすれば、負けず嫌いな彼のこと。自分のことを忘れずにまた会える約束代わりになると思った。

「……寂しくなるな」

 ――こんな約束が必要になるほど遠くに君は行く。約束を求めるほど僕は君を想う。時間はいつだって戻ることも止まることもない。
 無意識に零れ落ちた本音は、微睡みに船を漕ぎだしたヒカルの耳にすら引っかからなかった。では、ヒカルとのバトルの約束にはしゃぐアラタの耳には届いていたのか。布団に潜り込んでしまったヒカルには、引き結ばれてしまった唇も、水膜を張って揺れる瞳も、それを乱暴に拭った仕草も何も見えなかった。
 今はただ、直ぐに果たされる約束だけを大事に抱え込んで眠る。アラタを見送る為にいくら思い出をこさえても足りやしないと知っているのに、少しでも彼を自分の傍に置きたくて仕方がない。
 どうせこの手に君は残らないんだろう。そう諦められれば良かった。けれど同じくらい、諦められない自分を認めて、受け入れている。
 世界に浚われていくアラタを見送るその日までの残り僅かな時間を、ヒカルは独占したいと願うのだろう。そして動くのだろう。遅すぎる胎動だとしても、それでも。



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60万打企画/はるか様リクエスト

おわりの呪文はきちんと唱えて出てってね
Title by『さよならの惑星』



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