※ユノ→アラタ
※ユノ+ハルキ



「だから、アラタが神威島を出てしまう前に言っておけば良かったんじゃないか?」

 プリントの束を両手で抱えたまま、困ったように眉を下げて肩を竦めたハルキの背中をユノは「ハルキは何にもわかってないのね!」と憤慨しながら叩いた。「危ないだろう」と紙束を整えながら訴えるハルキにそっぽを向いて、ユノはもう一度同じ言葉を繰り返した。
 ――ハルキは何にもわかってないのね!

 鹿島ユノは瀬名アラタのことが好きだった。正確には過去形ではなく現在進行形で恋心は継続中であるが、肝心の対象が神威島を去ってしまっている為にどこか宙ぶらりんな状態になってしまった想いを正確に表現するには好きだったと述べる方が正しい気がしている。
 セレディが起こした騒動の余波はこの神威大門統合学園の在り方を大幅に改革することを必要とした。隠されていた真実を知ってしまった生徒たちからすればそれは自分たちの理想郷を作り上げることでもあったので、不満はなかった。しかしLBXプレイヤーの聖地としてそびえ立つこの組織と同等の物を一から作り上げるという工程は決して楽なものではない。生徒たちの代表に就いたムラクは毎日忙しそうに動き回っているし、彼をサポートする第六小隊の面々も同様だ。ハルキも世界連合結成時に総司令官を務めていただけあって集まる期待は大きく、それを無視して2年5組の教室に引きこもっているような人間ではなかったので、ジェノックの人間は皆それなりに忙しなく日々立ち回っていた。ただでさえ少人数であったジェノックは、セカンドワールド崩壊後数名の生徒が神威島を去ったことにより今は教室ひとつに集合したとしても余ったスペースに寂しさを覚える始末だ。
 その中でも、嘗てジェノックを騒々しくかき回した瀬名アラタの存在がなくなってしまったことがユノの寂しさに拍車をかける。それはきっと、彼に対する恋心がなかったとしても同じくらい惜しんでいたはずだと彼女自身は思っている。
 自分たちが向かうべき道を示してくれたアラタだったから、学園の改革にも先頭に立ってムラクやハルキたちと推し進めてくれるのではないかと無意識に期待していた。よくよく考えれば、LBX以外のことでアラタが役に立ったかはわからない。交渉や着工の根回しはそもそも優秀であれ子どもには重荷の部類のはずだ。この島が健全に穏やかに回り始めるまで、閉じ込めておく方が端から難しかったのか。
 ――今頃、アラタはどんな景色を見ているんだろう。
 そんな疑問に心を掬われる人間が、自分ひとりでないことをユノは知っている。それが、どうしてか虚しかった。彼の特別を貰いたかった。貰っておけば、ユノに纏わりつくアラタへの寂寞は決して独り善がりとは呼ばれなかったはずだから。
 渡しそびれた想いを持て余して、ふとした瞬間抜け殻のように体に力が入らなくなる。本当に、いつの間に貴方、私の内側に入り込んでいたのかしらと首を傾げては緩やかに微笑む。喪失に立ち止まっても、届けられなかった恋心であっても、記憶の中で触れて笑えるならばまだこの恋は恋のままユノの中で育つだけだ。
 けれども、いつの間にかユノの想いを察している面々には時折「好きだと言ってしまえば良かったのに」と今更な文句を言われてしまう。未来の希望を探そうと、煌々と輝く瞳で海の向こうを見つめていたアラタに振り向いてなどと言ってしまえなんて、ユノに言わせれば無責任だ。嫌われていないと胸を張ることはできる。それでも、特別に想われているとはやはり思えなくて、成程長期戦を覚悟するならばこの島の記憶を風化させない楔として差し出してしまうのもひとつの手段だったと胸の内で肯定する。
 ――だけどあっさり拒まれたら、私、勝手に待ってることもできないし。その辺りのこと、ハルキとか、本当にわかってないんだから。言っておけば良かったって、ハルキ、アラタが私のことどう想ってるか考えたうえで言ってるのかしら?
 不満の色が顔に浮かんでいたのだろう。隣を歩くハルキは警戒したように距離を開けた。勿論、おふざけの延長だとは理解しているが恋する乙女が真剣に悩んでいるのに物騒なものを見るような目を向けるのは止めて貰いたい。

「――アラタだって、いつかは帰ってくるさ」
「わかってるわよ。でもいつかって結局いつかでしょ。私たちの望む時と重なるわけじゃない」
「ユノの望む時はいつなんだ?」
「……出来るだけ早く」
「取り繕っただろう」
「うるさいなあ」

 委員長だからって、クラスメイトの心を何でもかんでも見抜かないでほしい。どんなときでも物分りの良い副委員長ではいられないのだ。恋する乙女は理不尽に、感情のままに、けれどもままならない現実にいつだって悪戦苦闘するどうしようもない生き物だから、理屈で諭そうとするだけ無駄なのだ。

「――私、神威島ではアラタと一番仲の良い女の子だって自称できる自信あったんだよ」
「……ああ、俺もそうだと思う」
「でも、この島の外で生きているアラタの隣に私の知らない誰かがいるかもしれないって思ったら、色々ダメになっちゃった」
「……それはわからないんじゃないか」
「わからないこと自体、辛いんだもん」
「そういうものか」
「……うん、たぶん、私はそう」

 段々と言葉の覇気を失っていくユノに、ハルキも下手な言葉は紡げなかった。彼の優しさに甘えて、ユノは話題を打ち切るように窓の外に視線を向けて「いい天気」と呟いた。
 今頃、アラタの上空の天候はどんなものだろうか。晴れていればいいと思う。曇りの方が、行々は捗るだろうか。雨ならば、無理をせずに休んでいるといい。そんな心配ができるほど開いてしまっている距離を苦く思いながら歩く廊下は静かだ。どこからも、騒がしい声など聞こえない。探している声の主もいない。

「――やっぱり、好きって言っとけばよかったかな」

 もてあました寂しさに零れた呟きは、きっとハルキの耳に届いていただろう。それでも聞こえないふりをしてくれたハルキに感謝する。
 このいかにもデキる男に比べてアラタときたら人の気持ちを振り回してばかりなんだからという文句が理不尽でしかないことをわかっている。
 だからこの理不尽を真っ当なものとする為に、いつかアラタがこの島に呑気な笑顔と共に帰ってきたその時は、真っ先に駆け寄って好きだと伝えてやろう。明日も待つ身の、彼女の大きな決意を知らないまま今日もアラタはどこかを旅しているのだろう。くしゃみくらいしてくれたらいい。それがユノの、今一番の願い事だ。




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あの船はいまどこに
Title by『ダボスへ』




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