液晶越しに見た純黒の瞳は酷く虚ろで、暗がりの宇宙というよりもブラックホールのように深くもあった。不気味なまでの無。生きて呼吸をし熱を持つ人間にそんな冷ややかな印象を抱く日が来るとは思わなかった。それが、一年前の灰原ユウヤに対する一方的な印象。
 一年後。信じられないような巡り合わせを繰り返して対面した灰原ユウヤはテレビ越しの印象とは全く違う人物像だった。瞳には柔らかい光が差して、無感動に固まっていた表情には優しげな笑みが浮かんでいる。失礼ながらに率直な言葉を選ぶのならば、弱そう。この一言に尽きた。体格に関してはランやバンたちとさほど差があった訳でもない。ただまだ同年代にしては柔らかな所作がそう印象付けたのだと思う。それでも、腕っぷしを競うようなことがあればユウヤにだけは負けないであろう、そんな印象も拭えなかった。ランにとって強さの基準は目に見えて結果として現れるもので、LBXにしろ空手にしろ目の前に立ち塞がった相手を叩きのめして勝利すること、それが強さだった。
 そんなランの価値観が全て崩れ去る日などそうそう訪れはしないだろう。所々の綻びと修繕を繰り返し、突き進むばかりから立ち止まり周囲を伺う慎重さも少しは身に付けた。その結果として、ユウヤは弱くないと当初の印象を棄却した。嘗て暗闇を連想させた雰囲気はその色を真白に変えていたようで。自分の一年先を生きているとは思えない純粋さを持って善し悪し問わずに染まってみせるから驚きだ。
 先日BCEに出場してコスプレを経験してからというもの、ユウヤの瞳にはどこかこれまでとは違う意思の強さが感じられるようになった。と言っても洞察力に優れている訳でもない、付き合いも短いランの根拠のない感想に過ぎないのだが。しかしあの辺りを境にユウヤは少し変わった。一歩引いて優しく全体を見守っていた彼は、現在進行形でヒロの戦士マン談義に耳を傾けている。しかもどことなく熱心に。これまで誰にも積極的に話を聞いて貰えなかった反動なのか、語るヒロも鼻息荒く瞳を輝かせて身振り手振りを交えて声高々と戦士マンの強さ、生き様、魅力について喋り続けている。距離を置いて話の端々しか耳に届いていないランにはそれだけでうんざりしてしまう、理解の出来ない熱。何故そんなものにそこまで入れ込むのか、ランにはわからない。この考え方が如何に視野が狭いものか、それは何となく彼女にも解っていて、だから決して言葉にはしないけれどいつだって思っている。戦士マンについて喋っている時のヒロはまるで外国人みたいだ。同じ日本語を喋っているとは思えない。遠回しの皮肉はまるでランらしくないと人は言うだろうか。だけどランには解らないのだから仕方ない。そして今、ランには解らないヒロの話を楽しそうに聞いているユウヤのことも、その内段々とわからなくなってしまうのかもしれない。ランはそれが怖かった。
「じゃあ今度日本に帰ったら一緒にDVDボックス鑑賞会を開きましょう!朝まで寝かせませんよー!」
「うん、是非!楽しみにしてるよ」
「ユウヤさんが戦士マンの魅力を解ってくれて僕嬉しいです!あ、そろそろ失礼しますね。これからバンさんと特訓の約束してるんです!」
「そっか。頑張ってね」
「はい!」
 元気良く返事を残して、ヒロは慌ただしく部屋を出て行った。ランは少しだけ自分も特訓に混ぜて貰おうかなとも思ったが一歩目で出遅れていたことに気付き直ぐに諦めた。Σオービスの特訓ではないようだし、元来今は骨休みの時間なのだからLBXから離れたって良いだろう。ランが考えを整理していた間に、ユウヤはぐるりと視線を巡らして初めて同じ室内にランがいたことに気付いたようだ。
「あれ、ラン君来てたんだね。気付かなかった」
「そ、私が何処にいようとユウヤには関係ないじゃん」
「まあ、そうなんだけど…」
 ユウヤの言葉に、ランは如何にも不快ですといった態度で応じた。自分という存在が、ヒロの語る戦士マンという偶像以下に捨て置かれたとは言い過ぎたが今のランにはそれと大差ないことをユウヤは言ったのだと思った。
 ――私に気付かないくらいヒロの話が面白かったんだ?ちょっと前までは全然ヒロと二人だけで仲良く話し込むなんてことしなかったじゃん。戦士マンとか何が面白いのか私にはちっともわからないよ。悪党と戦って倒すくらい私にだってきっと出来るよ。ユウヤは知らないだろうけど、シブヤの空手大会で優勝したことだってあるんだから。そもそもNICSでディテクターと戦うことだってそういうことでしょ?作り話よりよっぽど大事なことでしょ?絶対勝たなきゃいけないんだから。あれだけ語ってたヒロだってちゃんと強くならなきゃってバンと特訓しなきゃって走っていったのにユウヤは一体何なのよ。今はもう違うかもしれないけど一時は私のコーチだったんだからもうちょっと私のこと気に掛けるべきなんじゃないの?自分で言うのもなんだけどまだまだ手の掛かる部類だと思うんだけど!
 悶々と渦巻く八つ当たりに似た感情。こんなものは不当だとランは泣きたくなってしまう。だってもしも自分の感覚全てを正しいとしてしまえば、ユウヤは自分に対しててんで無関心ということになるではないか。アングラテキサスの時はあんなに熱心に指導してくれて、捻くれた態度も数多く取ったけれどもそれなりに通じ合ったつもりだったのに。ちょっと成長したら御役御免とあっさり立ち去ってしまうなんてあんまりじゃないか。ヒロに対してはBCEであっさりコンビの約束を反故にされてもあんな仲良く談笑しているというのに。私の方が先にユウヤと距離を縮めたのに。
 ランの内側に渦巻く感情は混乱状態から徐々に落ち着きを取り戻していく。ヒロと平等に視界に入り話を聞いて貰いたい。ヒロより先にコンビを組んで仲良くなったのだから彼よりも自分を優先して貰いたい。二つの気持ちが交互にランの心を占めようと暴れまわって、上手く表情も言葉も出て来ない。
 ランの刺々しい態度に機嫌が悪いのかと様子を窺っていたユウヤが、彼女が自分でも混乱したかの様に無表情になったことでどうしたのだと間合いを詰めてきた。逃げ出すことは出来ない。泣かないようにと堪えることに全神経を集中させていたから。ふわりと優しくユウヤの白い指先がそっとランの頬に触れた。「どうしたの?」と覗き込んでくる瞳は嘗て液晶越しに見た純黒。それでも虚無ではなく柔らかな黒で以て真っ直ぐにランを見つめてくる。こんな眼差しを受ける日が来るなんて知らなかった。思いもしなかった。執着するほどに縮まる距離を間近に感じるだなんて、テレビの中の相手にどうして思えただろう。
 とうとう堪えきれなくなった涙がランの瞳から零れ落ちてユウヤの指を濡らした。驚いて瞳を見開いたユウヤに、ランの苛立ちが瞬間的に膨れ上がり反射的に声を荒げていた。貴方の所為だと、叫ばずにはいられなかった。
「ユウヤが私よりヒロのこと好きだからいけないんだよ!」
「ええ?そんなことないよ!ラン君のこともヒロ君のことも同じくらい好きだよ?」
「何で女の子の私がヒロと同じ好きなの!?」
「え?」
「ユウヤの馬鹿!!ユウヤなんかヒロと一緒に戦士マンオタクになって二人で仲良くしてれば良いんだ!」
「ちょっと、ラン君!?」
 泣き叫んで、ランはこれ以上は無理だと部屋を出て行ってしまった。ぽかんと伸ばし掛けた腕を下ろすことも出来ずにユウヤは彼女が去った入り口の方を見つめながら立ち尽くす。そしてランが言い残した言葉を反芻し咀嚼し冷静に理解しようとすればするだけ混乱してしまっている自分に気が付いた。
 何故女の子のランと男の子であるヒロに向ける好きが同じ部類なのか。ランは確かにそうユウヤを詰った。それはつまり、ランがユウヤに求めた好意は仲間や家族に向ける世間一般誰にでも抱ける類の好きではないということになる。とすると、だ。ユウヤの持ちうる情報の中でランの要求とマッチする感情は自然一つしか残らない。
「……恋?」
 時には愛。生憎ユウヤには恋愛の経験がないもので、寄越せと言われて差し出せるものでもないのだが。それは恐らくランも同様のように見受けた。きっと無意識に吐き出したのだろう。それ故に本音そのもの。確かに最近、新しい世界が開けたような清々しさに身を任せてヒロとばかり関わっていたような気もする。その前は師弟関係から始まりアルテミスまで何かと近くで行動していたから、ランからするとあっさり自分を見限ったかのように映ったのだろうか。そんなつもりはなかったから、もしもそうだったら急いで釈明しに向かわなければと思うのに足はなかなか動かない。それに何だかひどく暑い。熱が出たのかなんて惚けるでもなく無意識だったとはいえランの気持ちが今更ながらに照れ臭くて仕方がない。
「…どうしよう」
 戦士マンには恋愛の手解きの要素も盛り込まれていやしないのだろうか。淡い期待を込めながら、ユウヤはその場にへたり込んだ。



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それはきっといつか知らなければいけないことだった
Title by『彼女の為に泣いた』




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