「――でさあ、猫がいたんだよ!」

 拳を握り、興奮して語るアラタの語気の強さに、ムラクは自分がうたた寝をしていたことに気が付いた。授業中の居眠りの罰として課題を出されたアラタは、プリントを解く為に取り出していたはずの授業ノートにせっせと書き込みをしながら勉学とは全く関係のない話をムラクに向かってつらつらと語り続けていたらしい。アラタの前の席の椅子を借りて座るムラクは、普段彼の面倒を見ている隊員たちの申し訳なさそうな視線を思い出し、成程強敵だと組んでいた腕を解き恐らくはまだ終わっていないであろうプリントを覗き込んだ。

「……白いな」
「俺、あんまり勉強得意じゃないんだよなあ」
「見ていればわかる」
「でも学生の本分は学業だってこの学園で言われてもいまいち説得力に欠けるというか」
「必要最低限のラインの学力がないと好きなことにかまける資格がないということだ」
「あー、うん、はい」
「頑張れ」
「ん」

 お叱りを受けたことで、アラタの意識は再びプリントに向かう。それが逸れてしまわないよう、ムラクはアラタの机からノートを取り上げた。案の定、書きこまれていたのは課題を終わらせるには役に立ちそうにない落書きだった。とはいえ、本人はいたく真剣に書き込んでいたのだろう。ドットブラスライザーと、トライヴァイン、描きかけで線が途切れているのは恐らくバル・ダイバーか。小学生のノートみたいだった。幼くて、煌めいて。ムラクの焦がれた純粋なLBXプレイヤーの稚拙が詰まっている。
 思いの外、黙々と課題に取り組むアラタを見つめる。集中力は、のめり込みさえすればたいしたものだった躓くような応用問題はないだろうからムラクは待っているだけ。逃げ出さないように見張っておいてくれとは頼まれたけれど、その役目も思ったより早く終わりそうだった。

「――なあムラク」
「……何だ」
「さっきの話だけど」
「勉強が得意じゃないという話か?」
「いや、それより前」
「………すまない、思い出せない」

 うたた寝をしていたとは、気が退けて言わなかった。アラタに対してではなく、ムラクにアラタの移り気に注意するよう任せてくれた他のクラスメイトたちに。自分のノートを勝手に捲られていることには無頓着なアラタは、相変わらず机に齧りついたまま、さほど時間が経っていない内の話題を覚えていないというムラクに不満の声を漏らしながらも手を休めることはしなかった。

「商店街の路地にさ、猫がいたんだよ」
「……そうか」
「首輪してないから野良猫かなと思うんだけど、この島に野良猫とかいるのかなって昨日第一小隊のみんなと帰りながら話してた」
「……そうか」
「黒と白のぶちでさあ、持ってた菓子やろうとしたらやめておけってヒカルに怒られた」
「……そうか」
「ムラクはどう思う?」
「どう思うとは?」
「はい?」

 ムラクへの問いと同時に顔を上げて、真っ直ぐ見つめてくる視線を受け止めながら、ムラクは若干首を傾げた。アラタが語っていたのは過去の事実であり、自分の意見など求めてくる必要がないと思っていた所為もあって言葉の意図がよくわからなかった。そういえば、この島に来てからあまり動物を見かけていなかったこともあり突如飛び出した動物の話題に置いてけぼりになっていたのかもしれない。
 ――けれども、きっとそれ以上に。

「――すまない、この島に来てからこういうどうでもいい話というのに興じたことがなくてな、言葉が出て来なかった」
「どうでもいいってお前それ俺に言うのか」
「いや、どうでもいいというのはどうでもいいということではなく…」
「大丈夫かムラク?」
「指示ではなく、気持ちを伝えるというのは難しいな…」
「何言ってんだよ、お前国語の成績もいいじゃん!」
「勉強が役に立たないこともあるという話だ」
「無責任だなあ!」

 最低限できる必要があると言ったのはそっちだろうにと呆れた声を上げるアラタに、ムラクは腕を組んだままどう言葉を選べば正しい情報が相手に伝わるだろうかと考える。ムラクが完全に沈思してしまうと、アラタも何も言わずに課題に視線を戻した。正誤はともかく、残りあと少しだと気合いを入れ直す。普段、アラタの宿題や課題に付き合ってくれているヒカルやユノは解いている途中から誤りを指摘してくることがあり、それに文句をつけて騒々しくなることが常なのだがお付きがムラクだと逆に沈黙が痛くてつい関係ない話題を持ち出してしまった。まさかムラクを戸惑わせるような話題だとは思わなかったが、確かにLBXすら無関係の話題では会話を弾ませたことがなかったかもしれない。それは単純に自分たちの関係性の問題であり、ロシウス時代から同じ隊のバネッサたちとは話しているだろうと思ったが、彼の性格上、その手の会話は省かれていた可能性もある。
 アラタも、学園生活からもはみ出した話題はこの島に来てから仕入れようがない所為で豊富とはいえない。特にムラクとは、LBXなくしては通じ合えない部分があった。ぶれるこのない軸に安堵して寄り掛かり過ぎていたのかもしれない。

「――よし、終わった!」
「そうか」
「ムラク、採点!」
「それは教師の役目だろう」
「間違い過ぎてるとやり直しさせられるからさ、事前にチェックしてくれってこと」
「なるほど」
「ミスが目立っても怒らないでくれな。ヒカルとかめっちゃ怖い」
「わかった」
「……いや多少は怒ってくれていいぞ」
「そうか?」

 やはりずれている。目指す場所や知り得てしまった真実の重さから隔絶された存在のように思えていた時期もあるけれど、結局の根底はお互いただのLBX馬鹿でしかないはずなのに、他愛ない会話がぎこちなくて、アラタは気まずさよりもその清々しさに笑ってしまった。本当に、LBXがなければだめなのだと思うと、それならばLBXで語りあえばいい気がしてくる。この課題さえクリアしてしまえば、夜にダック荘の娯楽室でバトルをしても怒られはしないだろう。機体のダメージを考えて戦わないとメカニックに迷惑を掛けてしまうことは考慮するつもりではいるが。

「なあムラク、今日帰りに商店街の駄菓子屋寄って行こうぜ」
「――甘味補給か」
「それもあるけど、昨日猫見かけたの駄菓子屋の横の路地だからさ、今日もいるかもしれないじゃん」
「今日もいるとは限らないだろう」
「そうだけどさ、懐っこかったし、会えたらムラクも触ってみろよ」
「――ふむ」

 アラタの提案に、運よく出会えればそうしようという返答を頷きひとつで表して、目を通していた課題のプリントを返した。珍しいことに、全問正解を叩き出していたプリントの上、瀬名アラタと書かれた名前のすぐ横に大変良くできましたの意味を込めて赤ペンで花丸を付けてやる。これくらいの遊び心、提出しても怒られはしないだろう。アラタも花丸なんて久しぶりに貰ったとはしゃいでいる。
 それからムラクが見ていたノートを鞄にしまって、職員室に寄ってさっさと帰ろうと立ち上がる。それに倣い、ムラクは先立って教室の扉を開けて廊下に出た。後に続くアラタの視線は窓の向こうを捕まえて、何度もムラクの足を止めさせた。会話も、テンポも何もかもが合わない日なのだろうか。
 だが、そんなちぐはぐさを歪に繋ぎ合わせた関係も嫌いではない。アラタの取り留めのない話の全てに相槌を打つでもなくうたた寝をしてしまうこともある。それでも請われれば課題の面倒だって見るし、駄菓子屋への寄り道だってするし、出くわした野良猫を草をかき分けて追い駆けたりもするのだろう。
 アラタのノートの落書きにもこっそり贈った花丸を思い出す。他愛ないことだ。そんなことを思いながら、どういうわけか窓から外に向かって身を乗り出しているアラタを引き戻そうと手を伸ばす。
 早く行かないと、猫が逃げてしまうかもしれない。



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Title by『さよなら惑星』



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