下駄箱に入れられたシンプルな白い封筒をヒカルは無感動に取り出す。一緒に登校してきたアラタたちも見慣れた光景に冷やかす言葉すらとっくに失っていて、それはヒカルが今まで大量に下駄箱に手紙を入れられたことがあるとか、その事態から連想する色恋めいた噂話に事欠かない人間だからというわけではない。勿論、ヒカルの容姿は人目を惹きつけていることは事実だが、この神威島の環境が特殊なため他の仮想国に属する人間に恋愛感情を抱くケースは実際少ない。そしてヒカルは自分の縄張りの内と外の境界線を自覚的に引いているため、外側の人間には排他的な態度をとりがちなため彼の周囲に女子生徒が群がるという事態はほぼありえないといっていい。
 そんなヒカルがこのひと月ほど数日ごとに下駄箱に入れられている白い封筒から取り出した、同じく白い便箋をいつも通り冷めた印象すら与える瞳で中身を確認している姿が頻繁に見られるようになった。差出人も書かれていない手紙の内容を、手紙に視線を落としたまま器用に歩き続けるヒカルの隣を歩く第一小隊の面子も知らない。もっとも、差出人ならば知っているので、好奇心で覗き見ては悪いだろうという自制の心を働かせているだけだ。
 手紙の差出人は園山ハナコ。ヒカルと同じクラスの内気な少女。面と向かい合って話せばいいようなことすら言い出せない少女。ヒカルの下駄箱に届けられているのは、そんな少女の拙くも必死な気持ちだった。



「ねえヒカル、交換日記しようよ」
 そんなことを言い出したのは副委員長の鹿島ユノだった。凛として爛漫に、ヒカルの睨みつけるような視線にも怯まずに差し出された一冊のノートを顔を逸らして拒否した。そのわかりやすい反応に、ユノの背中に隠れきれなかった桃色が大袈裟な程に跳ねた。この時のヒカルはやけに察しがよくて、ユノの発言はハナコの気持ちを代弁したものだということに気付いたけれどやはり交換日記なんてしたくはないので口を噤んだ。同じクラスであることくらいしか接点のない人間とやることじゃない。ましてや男の自分がやるようなことではないと憮然とした思いで立ち尽くしていた。思えば、ここで何もわからないふりをして立ち去ってしまえばよかったのだ。言葉足らずだったのは相手の方で、誠意が足りないのはヒカルだと詰られることもなかったはずなのに。

「あ、あの!」
「……なに」
「ユノは…ユノは悪くなくて…ハナコが、ヒ、ヒカルくんともっと話してみたいって言ったからで、だから…だから、あの…」
「―――交換日記なんてしない」
「は、はい」
「大体四六時中同じ場所にいるようなものだろう。見てればその日相手が何をしてたかなんて簡単にわかるじゃないか」

 それは精々同じ小隊の人間のことしか見ていない人間が偉そうに言いきる言葉ではないとユノは呆れたような顔をしたけれども、ハナコは恥じ入るように俯くばかりだ。交換日記という手段を提案したのはユノだけれど、ヒカルの言葉はハナコが彼の間合いに入ろうとすることを否定するように響いた。外側から勝手に見ているだけならば構わないけれど、内側に入ろうなどとこちらが扉を開かない内に望むものではないと。
 そんな、開ける気もない扉の解放を前提にふんぞり返るヒカルの態度に腹を立てたのはやはりハナコではなくユノで。女の子の純情だとか勇気だとか、十代における思春期の重大性だとか、この学園において青春を謳歌する困難性だとかなんくせに近い勢いで捲し立てられた挙句残りの第四小隊の仲間を召喚するという、小学生の強い女子グループが仲間を泣かせたガキ大将を潰す光景によく似た状況にヒカルは追い込まれた。最終的に、窮地に追い込まれたヒカルを救ったのはまさかのハナコであり、涙目になりながら何度も頭を下げる彼女にヒカルもこれ以上場を悪化させる態度はとれなかった。どういうわけか、ハナコの株だけがあがり他の第四小隊の面子は恐ろしいという印象を上書きさせてしまったのである。
 そんな出来事を背景に、ヒカルは責任の大きいノートという形式を拒んだだけで、偶に手紙のやり取りをする程度ならとハードルを下げたつもりでいる条件でハナコに報いろうとした。教室の、同じクラスの人間に広く目につく可能性のある場でのやり取りはヒカルが嫌がるだろうと気を回したハナコは、いつもヒカルの下駄箱に手紙を入れていく。それに対するヒカルの返事は、同じように彼女の下駄箱であったり、ダック荘であったり、教室であったりとにかくハナコ本人に直接渡された。それはヒカルの返事が便箋と封筒という手紙らしい形態を持たず、ノートを破ったり余ったプリントであったり、どう持ち上げて表現してもメモの手渡しとしか形容できない物であったからだ。これで下世話な妄想を働かせる輩などそうそういはしない。ヒカルとハナコという恋愛という言葉がイメージしにくい二人であったから尚のこと。
 ヒカルのあからさまなやる気のなさを不満に思うでもなく、ハナコは彼からの紙切れを毎度嬉しそうに受け取った。ヒカルが彼女を呼び止めれば肩が跳ねて、頬を赤くして振り向いて、ヒカルを苛立たせないようできるだけスムーズに、けれどどうしても躊躇いがちな手がうっかり彼の手に触れないよう細心の注意を払っている。いつも通りの涼しげな表情を崩さないヒカルに、ハナコは幸せだと言わんばかりの微笑みで礼を述べるのだ。純粋すぎて、ヒカルの胸が痛むほどに。このやり取りの根底に、ハナコの邪な期待が横たわっていたとしても、ヒカルは彼女の素朴さを純粋と評する。彼女はとても温かい人間だと思わずにはいられないほどに。
 ヒカルがハナコに贈る言葉なんて、ユノの言葉を断ったときの通り、同じ教室で授業を受けて同じ仮想国に属して戦って、同じ寮で食事をしていれば視界の端のどこかに映り込んでいそうなことばかりだ。聞いたって、読んだってきっとつまらない。ハナコを楽しませようなんて思って話を掘り下げたりもしない。けれどハナコはヒカルの綴った文字たちへ、優しい言葉を返してくれる。ささやかな彼女の感想を添えて、それからヒカルの知らない彼女の世界を綴る。同じ道を歩いているはずなのに、ハナコだけが気付く野花であったり、夕日の沈む速さであったり、女の子同士の秘密の外殻、彼女の日常という世界がそこにある。勝手に新しい発見などないと決めつけていたヒカルの知らなかったことばかり。

「――ハナコ」

 呼び止めると、やはりハナコの肩がぴくりと跳ねた。けれど、それが徐々に小さくなっていることをヒカルは知っている。距離を詰めようとしてきたのはハナコの方なのだから、慣れなければそれはそれでおかしいというものだけれども。小さな感慨まで芽吹いてしまったのだから、このやりとりも長い。
 ハナコも、こうしてヒカルが自分を呼び止めるということは件の返事だろうと読んでいる。小さく返事をしたきり、彼女はヒカルの手が自分に向かって伸ばされるのを待つだけだ。いつもならば、彼女がヒカルの正面に向き合うとすぐ差し出される手が下がったままでも、警戒するでもなくただ立っている。どうしてそう自分を信頼していられるのかが、ヒカルにはわからなかった。けれども嫌悪感もない。慣れてしまったのは、ハナコではなく自分の方なのかもしれない。

「話をしないか」
「手紙の代わりに」
「僕は――どうやらあまり手紙を書くのが上手くないみたいだ」

 途切れ途切れ、色々と気付くのにひと月もかかった。長いのか、短いのか。それはこれから自分で決めようと思う。
 取り敢えず今の所わかっていることは、自分はあまり手紙を書くのが上手くないということ。ハナコには自分の知らない一面が――寧ろヒカルの知っている面の方が少ないということ。そんな彼女のことを、自分が知りたいと思い始めていること。
 そして何より。
 ヒカルの言葉に一喜一憂して、それからはにかむように頬を緩めるハナコのことを可愛いと思い始めていること。
 踏み込む理由なんて、それだけで充分だった。



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恋をするなら?今でしょ!
Title by『魔女』



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