しとしとと雨が降り続いている。地面に吸いこまれていく水は季節柄と相俟ってじめじめと不愉快な空気を纏わせ始める。
 頭が痛い。アラタが意識を覚醒させると同時に認識したことはそれだけで、普段ならばアラームと同時ではない覚醒に慌てて現在時刻を確認するために飛び起きているのだがそれもままならなかった。窓の外から聴こえる本来なら静けさをつれてくるはずの小さな雨音は、脳内で鳴り響く頭痛のリズムに打ち消される。
 まぶたをきつく閉じて、また眠りの世界に戻ろうとする。オーバーロードを覚醒させて以来、脳の疲労対策としてチョコレートを携帯しているが糖分には十分な鎮痛作用はなく、大人しく眠ってしまった方がよほど有効な対策だった。もしも今が平日の朝であったならば完璧に遅刻してしまう。だが抗いがたい痛みに、アラタは目先の対策を優先した。

「痛むのか」

 アラタの仕草に体調不良の気配を察したのか優しく、聴き馴染んだヒカルの声が降ってくる。その声音の穏やかさに物珍しさを覚えるよりも早く、やけに近くから聞こえたことに疑問を覚えた。うっすらと開いたまぶたの隙間に、柔らかい金髪が映り込む。やっぱり近いとか、キツい日差しを反射しないで済む天候への安堵とか、瞬間湧き上がった諸々の感想をひっくるめて、アラタはただヒカルの名前を呼んだ。しかしそれも寝起き特有の喉の渇きで掠れてしまい、上手く音に乗らなかった。
 それでもヒカルがしっかりと聞き取って、何だと聞き返してくれるのはやはりこの至近距離だからこそだろう。どうしてヒカルが自分のベッドに潜り込み一組の布団を共有しているのか、アラタには鮮明に思い出すことはできなかったし、またどうでも良かった。頭痛によるけだるさと相手がヒカルであるという許容は、アラタを少しだけ迂闊にしていたのかもしれない。
 もぞもぞと掛け布団の邪魔を押しのけて、ヒカルはアラタとの元々僅かだった距離を更に詰めるとぎこちない手付きでアラタの髪を撫でる。頭痛を助長しないように慎重を心がけているのか、単に誰かに触れることに慣れていないのか。きっと理由は半々で、そのどちらもがアラタにはくすぐったく、そんなヒカルがこんな風に自分に触れていることが不思議で仕方がなかった。失礼ながら、彼は他者に優しさをわかりやすく差し出すことに関してはアラタ以下といっても全く差し支えないような、変なところで不器用な人間だったはずだから。
 アラタはそんな風に、まさかヒカルを変えた要因が自身にあるとは微塵も疑わないまま彼の手を享受し続けた。優しいだけの手付きが、今は無性に縋り付きたいほど嬉しかった。体調不良は人の心を弱くするから、このまま奥深くまで潜り込ませてしまわないように、それだけを留意しながら。

「――まだ痛むのか」
「痛む。起きてから、ずっとだ」
「じゃあもう一度眠ってしまえ。今日は休みだし、この通り外は雨だ」

 ヒカルの言葉は、アラタがぼんやりと考えていた範疇から飛び出ることなく当たり障りのないものだった。同室の彼にはもうアラタの頭痛など物珍しくも、取り乱して心配するほどのことではないのかもしれない。贅沢な落胆だった。こんなおかしな距離感で、触れられている最中に思うことではないと思った。それでもアラタは病人だったから、厚かましくとももっと甘やかして貰う権利があると信じていた。それを察して貰うには、やはり相手が悪いのだけれども。
 消えないものの和らいだ痛みに、また外からの雨音が聞こえ始める。どこにもでかけることができないのなら、ヒカルの言う通りこのまま大人しく布団の中で横になっているのもいいかもしれない。朝食の時間は過ぎてしまっただろうか。健康体のヒカルがここまで悠長にしているのだからまだ余裕があるのかもしれない。ハルキやサクヤに心配をかけるのは忍びなかったが、無理をして食堂まで下りて行っても食欲などまるで湧かない現状では無理に口にものを詰め込むことも難しい。結局心配をかけることには変わりないだろう。
 そんなことを考えるアラタは、ヒカルとこうして横になっている間に朝食の時間は過ぎようとしていることを知らない。勿論ヒカルは知っていて、一日の動力源たる朝食と同居人を天秤にかけて迷うことなくアラタを選んだ。大仰だとして、ヒカルはアラタを優先した。そんな選択肢がある人間が自分だけであることに陶酔しながら、アラタを蝕む痛みを嫌悪する。力は純粋に憧憬対象であり、副作用を理解しながら身に降るものならば甘んじて受ける。そんな自分を知ったらアラタは愚かだと謗るだろう。それでも、今のアラタと何も共有できない自分が、ヒカルは腹立たしくて仕方がないのだから望みは募るばかりだった。

「――ヒカル?」
「なんだ」
「ヒカルは…今日はどうするんだ?」
「そうだな。どうせ暇だったし…キミがよくなるまでならここにいてあげるよ」
「――そっか」

 恩着せがましい物言いに不満を述べることなく、アラタのまぶたはゆっくりと瞬きを繰り返す。そろそろまた眠たくなってきたのかもしれない。徐々に目を閉じている時間が長くなって、呼吸も健やかな寝息に変わる。
 ヒカルはそれでも暫くアラタの髪を撫でて、それから布団の中に仕舞われていた手を探り当てて繋いでみた。寝起きと微睡みの体温は高く、ヒカルはその手の熱に意味のない安堵を得、小さく息を吐いた。頼まれたわけではない。ただ自分から言い出したことだ。アラタがよくなるまでは彼の傍にいよう。もしくは休日の怠惰な二度寝から目を覚ます瞬間まで。
 手当たり次第の言い訳で、アラタの傍にいる正当性を拵えたヒカルもまた休日に二度寝の為にまぶたを閉じた。雨足は少しだけ強まって、二人の眠りを囲い守るように振り続けた。



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きみの世界にぼくを投下して
Title by『るるる』





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