※21話ネタ


 今日のウォータイムでのアラタは凄まじかった。出撃前からいやな予感はしていたが、撤退命令を無視して敵である法条ムラクを助けに走った。その簡潔な状況だけでもヒカルには苦々しくて仕方がなかった。二人の関係が良きライバルであることに疑問の余地はないが、ムラクが敵である以上見ていて気分のいいことではない。バル・スパロスの左腕破損が恨めしかった。尻拭いと呆れながら加勢することも出来ないまま送られてくる映像を睨みつけるだけ。誰が好き好んで恋人が他の男と親しげにしている光景を見たいと思うだろうか。前日のウォータイムでラージドロイドの圧倒的パワーを見せ付けられ対抗策もないくせに一時の感情で飛び込んでいく。ムラクを放っておけないと叫んだアラタにヒカルがどれだけの衝撃で頭を殴られたか知りもしないで。
 タケルの助言でどうにかラージドロイドを撃破したと思った矢先の自爆。脱出は間に合ったのかと案じていた直後にはヴァンデットの乱入。支援を命じられたときは願ったり叶ったりだった。不利な状況で押されているアラタを前に何もしないなんて選択肢はありえない。しかし機体のダメージは誤魔化せず、ヴァンデットのスピードとパワーの前にバル・スパロスは戦闘不能に追いやられ、それはアラタ以外の全員が同じだった。必死に応戦するアラタだったが、勝負の優劣は明らかだった。
 ――そして。
 瀬名アラタは目覚めた。それまで反応できなかったヴァンデットを凌駕するスピードで舞い、攻撃を繰り出すドット・フェイサーの動きはとても目で追えるものではなかった。一体アラタに何が起こったのか、異変は目の前に広がっているのにヒカルは確かめる術を持たずウォータイム終了のアナウンスが流れるまで息を飲んでアラタの動きを見つめていた。そしてコントロールポッドから姿を見せたアラタの様子は見るからに疲弊しており、力ない笑みを浮かべ降りた途端崩れ落ちた。急いで保健室に連れて行きベッドに寝かせても具体的に施せる治療はなくヒカルはただアラタが目覚めるのを待つしかなかった。


 ぴったりと閉じられた目蓋に、見下ろすヒカルは悪い夢だと首を振る。保健室の白いベッドで眠るアラタの呼吸は浅く、すぐそばにいるというの胸の上下を確認することが難しくひやりとさせられる。口元に顔を近づければようやく感ぜられるアラタの呼吸。安堵と同時にどうか早く目を覚ましてと焦燥がヒカルの全身を駆け巡る。ヒカルに頼まれたくらいでアラタが起きるわけがない。そんなことはわかっている。だって彼女は毎朝のように遅刻すれすれで教室に現れる寝坊助なんだから。
 窓の外を見ればとっくに暮れてしまった日はいつもの帰り道よりも暗い空を広げていた。時計は確認しない。アラタの眠っている時間の長さを知ることがどうしてか恐ろしかった。空の紺碧から、ダック荘ではもう夕飯の時間だろうと目星をつける。早く起きて帰らないと食いっぱぐれてしまうよ。そんな風に声をかければ、アラタは目覚めてくれるだろうか。まろい頬に触れれば温かく、血色の良さが救いになる。寧ろヒカルの方が緊張で手を冷やしているようだ。二人の間にある温度差の体感が心地よくて、ヒカルはアラタの頬から手を離すことができなかった。離れてしまえばそのままずるずると遠ざかる気がした。今日のウォータイム、驚異的な動きを見せたアラタと身動き一つ取れなかった自分とのどうしようもない距離の開き。その絶望が、じわりとヒカルの心に宿っていた。


 目覚めたアラタにジンが説明してくれたのは、オーバーロードという現象だった。アラタが目覚めさせた力は理論上誰でも発現可能だと聞かされたときから、ヒカルの内側にアラタと同じ力への渇望が生まれた。このまま引き離されたくないという想いと、彼女だけという特別を与えることによって負荷が集中するという懸念があった。期待されればアラタは応えようとするだろう。だが脳をはじめ全身に過大な負荷と痛みを伴う力を是非にと薦めるわけにはいかない。今日のように肝を冷やす思いで意識を失ったアラタを見つめるなんて想像しただけで恐ろしい。

「――ヒカル」
「なに」
「手、痛いよ」
「…ごめん」

 繋いでいた手に無意識に力を籠めていたらしい。アラタの訴えに慌てて手を解けば「どうして手離すの?」と寂しげな声が返ってきたから、ヒカルはまた彼女の手を握った。できるだけ優しく。アラタがヒカルの手を握り返す力はやはり女の子のもので彼に痛みを訴えない。ハルキとサクヤは二人に気を使ってくれたのかトメさんに夕食の準備を頼んでおくと一足先に寮に戻った。
 二人きりの帰り道に、すっかり暗くなった空も手伝ってヒカルは何の抵抗もなくアラタと手を繋いだ。アラタは一瞬驚いてから、「なんだかヒカル、優しい」とはにかむ。その声と表情には、アラタ自身突然覚醒したオーバーロードという力への戸惑いと不安、大きすぎる力の代償が全身にまとわりついている気だるさと痛み、様々な負の要素が浮かんでいた。

「もう少しゆっくり歩こうか」
「ううん、大丈夫」
「そうか」
「…うん」
「ユノたちも心配していた。ダック荘についたら先に顔を見せてやるといいかもな」
「……ん」
「……頭、痛むのか」
「ちょっとだけ…」

 空いた片方の手でアラタはこめかみを押さえる。ぎゅっと目を瞑りながら歩き続ける彼女に、ヒカルは殊更足元に注意を払った。そしてもうどんな言葉を紡げばいいのかわからずに黙り込む。そんなヒカルの及ばない場所で、アラタは彼の優しさに感謝する。彼女にも整理しきれていないことばかりで、きっとヒカルは自分に言いたいことも聞きたいことも沢山あるだろうに我慢している。そんな優しさを強いていることが申し訳ない。

「ありがとね、ヒカル」
「僕は何もしてないけど」
「こうやって手を繋いでくれるだけで充分」
「……そうか」

 嘘偽りのない感謝の言葉。嬉しいけれど、具体的な成果をアラタに及ぼせないヒカルには中味のない言葉だった。だから「だけどやっぱり怖いなあ」と小さく鼻を啜りながら呟かれた言葉には気づかない振りをした。「僕も怖いよ」なんてそんな言葉が吐き出すわけにはいかなかったから。
 せめてもの罪滅ぼしに、繋いだ手だけは離さないでいようと決めた。思わず握りしめると同時に「痛いよ」と再度かかる声は、きっと痛がってなどいなかった。


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ひとりで生きたかった、どうしてきみだけを離せない
Title by『るるる』



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