情事に及んだ後のこと。ハルキは決まって静かに涙を流す。感情の読み取れない涙は、アラタを不安にさせるよりもハルキを沈ませてしまうから悩んでいる暇などなかった。放り出した衣服をそのままに、しっとりと汗ばんだ肩に頭を預けて抱き締めるように背中をさすってやる。アラタの方が疲労の度合いは強いというのに、うかうか眠りこけてもいられない。
 一定時間泣き通すと自然と涙は引っ込むらしく、呼吸を乱さないよう黙りこんでいたハルキが「すまない」と呟くのが、アラタが手を止める合図となった。アラタは涙の理由を尋ねない。わけもなく泣きたくなることもあるだろう。それにしてはタイミングがおかしいとは思っても、噛みついて根掘り葉掘り聞き出そうと意気込めるほど、行為後のアラタは快活ではない。
 色々と憶測を膨らませてみたりもした。実のところハルキは自分のことを好きではないから、愛のない行為に胸が痛んで仕方がないだとか。そもそも行為自体が好きではないのではないか。アラタに負担を強いることに罪悪感を覚えているだとか。もしくは最大限に自惚れてみせるならばアラタと繋がる行為と、それに至るまでに繋がりあった想い、実った恋に感極まっているとか。アラタの脳みそでは指折り片手で数えきる程度の候補しか思い浮かばなくて、それすら正解を与えられないのであれば全くの無駄で。もしかしてハルキは自分とセックスはしたくないのかなと不安に揺れない心を盾に、理由も明かさず泣くことの不誠実さを詰ってやってもよかったけれど。それをしないのがアラタからハルキに向かう愛情だった。

「すまない」
「――ん」

 今日も今日とて、ハルキは泣いてアラタは彼をあやす。初めて身体を重ねた頃は終盤には意識が飛びかけていたアラタもハルキをひとりで泣かさないよう心掛けるようになってからは気合いでどうにか意識を最後まで繋ぎ止めていられるようになってきた。体力がついたとか、そういうことではないらしい。何せ寝坊して学校まで走って行く際の速度も疲労も相変わらず変化が見られないので。だからこれは、紛うことなく愛なのだと今にも泣きだしてしまいそうなぎりぎりのラインで、切なさをかみ殺して大きく息を吐く。折角ハルキが泣き止んだのに次いで自分まで泣き出してしまっては意味がない。
 アラタの深呼吸を、呆れの溜息と勘違いしたのかハルキの肩がびくりと震えた。その振動が彼の肩に頭を預けているアラタには一際大きく感じられた。ゆっくりと頭を上げて、ハルキの顔を覗き込む。そこには、予想以上に悲壮感を湛えた顔があった。そんな表情に、しくじったと反省するよりもハルキの顔の造形を相変わらず綺麗だと感心してしまう自分がいて、惚れ込んでいるとはいえ救いようがない。見てくれで選んだわけではないが、好いた相手の容姿が整っていることを不満に思う筈もない。アラタはその点他者から見て好みが分かれるそうだから、素直に憧憬の意も込めてハルキの外見を愛している。勿論、中身も。ただ時折彼の生真面目さが憎たらしくて仕方がないときがある。例えば今、こんなときに。

「すまない」

 もう聞き慣れてしまった謝罪の言葉。けれど今回は、いつもとは違う場面で呟かれてしまったからアラタは慎重にその意味を掬ってやらなければならない。正直頭を働かせるにはただでさえよくない頭が疲労でさらに鈍っているのでしんどい。謝るということは後ろめたいことがあるのだろう。それなのにハルキは真っ直ぐアラタの瞳を覗き込んでくる。気恥ずかしさで逸らすタイプではないので受けて立つ。そのまま数秒。きっとリアクションを取るべきはアラタだった。謝らなくていいよと、さっきのはただの深呼吸だよと、おどけてみせてあげればハルキはきっといつもの落ち着きを取り戻してくれるだろう。けれどアラタの口を衝いて出たのは彼の胸の内を占める切実な疑問だった。

「なんで泣くんだよ」

 無意識に、けれど咎める響きを持たないように、咄嗟に細心の注意を払えた自分を褒めてやりたい。ハルキがセックスの後に泣く理由を尋ねなかった。けれどそれは尋ねようと思わなかったわけではなく、今後尋ねなくとも何一つ揺るがないと胸を張れるほどの強さもなかった。一時のアラタからハルキへ向かう愛情は相手を甘やかせるけれど、それに依存されてしまうにはアラタは誰かに寄り掛かられることに慣れていなかった。
 ハルキは相手が真剣に放った言葉に、真摯に向き合わずにはいられない人間だった。適当に誤魔化そうとしてみても上手くいかず、答えられないことにはその旨をはっきりと伝えるし、回答があることには理路整然と優等生らしい答えをくれる。今回はどうだろうか。アラタはハルキが寄越す答えなら納得できるはずだと、根拠のない期待を胸に彼の唇が動くのを待つ。

「嫌になるからだ」
「俺のことが?俺と寝ることが?」
「そうじゃない!――…そうじゃなくて、お前とこんなことをしている自分が嫌になるんだ」
「……同意の上なのに?」
「その同意の上に胡坐をかいて好き勝手アラタを暴いて、それで――それが嬉しくて仕方ないって、自覚してる」
「ふうん、」
「すまない」
「また謝った」

 思いも寄らない回答は、ハルキ個人の自己嫌悪。彼の認識の上でアラタの意見を参考にすることなく完結してしまった世界では、ハルキ自身の潔白さがセックスの快感に身を落とすことを罪として、しかも自分がアラタを引きずり下ろしたとまで思っている。いくら小隊長だからとはいえ、そこまで責任を負ってくれなくてもいいのに。アラタは瞬きをする。その度に、自分の取るべき行動の選択肢の候補を取捨選択していく。ハルキを選んだのは、純然たる恋情であると信じている。彼の質実で潔白な人柄を含めて好ましい。けれど動物の本能である性欲に一時溺れることにそこまで悩まれては困ってしまう。アラタは相手がハルキなら他はどうでもいい。彼の熱を受けて身体に負荷を強いられることも、男とは思えないほど情けなく喘がされたとしてもそこに自己嫌悪を及ばせはしない。だっていちいち自分たちが事に及ぶ根源を分析して、納得できなければ全て無駄だと絶望して、独り善がりな欲をぶちまけて相手を労わっていないなどと焦るなんて煩わしい。薄いゴムの内側に吐き出した白濁の軽薄さなんて、男同士である時点で知っている。セックスの生産性などアラタには知ったことではない。

「ねえハルキ、俺のことが好きならさ――俺が凄く好きなハルキのことを、俺を好いてくれるのと同じくらいの気持ちで好きでいてよ」
「難しいことを言う」
「俺のこと好きだから、自己嫌悪とかそれこそ難しいことするんだろ?だったらさ、俺のことなんか気にしないでハルキはハルキのこと好きでいてよ。その方が、俺も嬉しい」
「……善処する」
「うん。いいよ、今はそれでも」

 覇気のない声に前途多難を感じ取り、アラタはまたハルキの肩に頭を預け身体に腕を回した。ハルキがいれば、それでいいと思っていたけれど。愛だの恋だの、やはりアラタには難しい。
 取り敢えず、こんな風に力を抜いて身体を預けているアラタを再度押し倒すくらいの気概を持ったらどうだろう。そんなことを思いながら、アラタの瞼は徐々に降りていく。アラタを抱き締めて、ハルキが呟いた愛の言葉は生憎耳に届くことはないままアラタの意識は深い眠りの淵に沈んでいった。



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出来るかぎり全力で、私のことなんかいいさ、君は君を好きでいること
Title by『わたしのしるかぎりでは』





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