煩わしいことは誰だって嫌いだ。己の過失によるものではなく、他人によってもたらされる被害であれば尚更。タケルはLBXを弄っていればいくらでも他者を排して熱中できる人間で、そもそも誰かを害として認識するまでがひどく緩慢だった。作業に没頭し周囲への気配りを怠るタケルにそれでも認識されるまで構う人間は、必要な用事があるか、そんなタケルを許容してくれている人間くらいのものだったから、彼の対人関係は比較的穏やかな世界を維持していた。
 そんな平和が脅かされ始めたのは、タケルが彼の世界の中にひとりの女の子を招き入れたことがきっかけだった。隣のクラスのキャサリン・ルース。最初の邂逅は姉のファンという認識が先立った。タケルのジェノックに対する興味の先駆けは瀬名アラタに向かっていて、キャサリンと出会ったことはその延長線にある些末なことだった。けれどきっかけは兎も角出会ってしまった事実から始まった二人の関係はいつの間にか深く密に堕ちていく。今まで同じダック荘に暮らしていて顔も名前も一致しなかったというのに、縁とは不可思議なものだ。
 子どもっぽくて自信家。そんなキャサリンの好意はわかりやすく率直だった。お国柄なのか、朗らかで通すタケルであっても驚くような愛の言葉を贈られたこともある。これでは所属する国家が違う人間が親密になって生じる諸々の煩わしさを避けようと二人の関係を隠そうとするだけ無駄だった。ジェノックとハーネスの関係が良好で助かったと胸を撫でおろしながら、もしも両国の仲が悪かったら、キャサリンは自分に対して友好的ではなかったかもしれないと馬鹿げた可能性に行き当たる。姉のサイン欲しさが発端で、それ以外には何もない。その事実が、タケルの心に僅かな影を落とした。寂しさの処理の仕方を、タケルは知らなかった。
 同盟国という関係がいつまで保つのか、タケルはジェノックの面々を気に入っているし彼らから敵愾心を感じたこともない。けれど全ては戦況と司令官の采配次第だ。だからやはり、タケルとキャサリンの関係を開けっぴろげにしておくことは好ましくないのだろう。違う制服を纏う二人が連れ立っているだけで向けられる視線は確かにあるのだから。彼女とて頭ではきちんと理解しているはずで、小隊長を任されるだけの技量は持っている。ただLBXに関わる実力は、恋愛方面での器量とは全くの別問題なのだ。万事上手くことを運べるわけではない。
 だからタケルは、キャサリンのことが本当に大好きで、勝ち気な瞳ところころ変わる表情とその健やかな心を守ってあげたいとは思いながらも己の無力に顔を伏せるしかない。クラスメイトや、名前も知らない他国の人間に指を刺される恋心にキャサリンが癇癪を起こして泣き喚く背中をさすってやる以外に、どうすることもできないのだ。

「また何か言われたの?」

 そう尋ねても答えが返ってこないことなど知っている。溢れる涙は取り繕えないまま、せめて呼吸を整えようと足掻くから余計に苦しいのだろう。タケルの言葉をしっかり理解できているかも怪しい。答えなど聞くまでもなく、他国の人間と付き合っていることに否定的な意見を持つ人間に何か言われたのだろう。それがクラスメイトか、評判だけを聞いた赤の他人かは知らない。キャサリンが傷付いてしまったという事実だけが最優先で認識されるべき事項で、犯人への怒りはタケルのなかで優先順位を下げている。
 この学園に籍を置くということは、仮想国に属するということ。敵対するということ、時には協力体制を敷くということ。けれどどうして、現実の戦争を知らない子どもの自分たちに恋愛感情を抑圧する作用を及ぼせるというのだろう。煩わしい雑音を厭いながら、間違っていると噛みつくこともできない。段々と、この環境に適応できなくなっているのか。そんなことはないはずだと首を振る。タケルよりもずっと小柄な女の子の身体を抱き寄せて、どうか泣き止んでほしいと背をさする。嗚咽に合わせて上下していた肩や背の動きが徐々に穏やかになっていく度にタケルは張りつめていた緊張が解けていくような安堵を覚えた。そしてタケルは、キャサリンの泣き顔は自分の天敵なのだと心の中でごちた。

「――ありがと」
「もう平気?」
「うん」

 俯いていた顔を上げたキャサリンの目元や鼻は赤くて、白い肌には痛々しく映えていた。同じ学校に在籍する男女が付き合っているだけのことを揶揄されて泣くだなんて、彼女も甚だ不本意ではあるのだろう。それでも堪えきれない激情の中にタケルへの想いが含まれていることを、彼は密かに喜ばしいことだと思う。あの日、初めて出会ったとき、タケルを通して古城アスカへの憧れしか見ていなかったキャサリンを思えば当然のこと。

「…タケルは何も言われないの?」
「君と付き合ってることを?」
「………うん」
「言われてるんだと思うけど、気にしない」
「――そう、」

 キャサリンの上目遣いの瞳が不満を訴える。どうして気にしないでいられるのと問うているような、そんな瞳。彼女を好いているという、それだけの事実に他人の批評は必要ない。タケルとしてはただそれだけのことなのだが、女の子という生き物は、やはり恋バナというものに敏感でなければならないのかもしれない。それが他人のものであっても、自分のものであっても。

「だって気にするだけ無駄だよ。他人に何か言われたってキャサリンはこうして僕の部屋に上り込んじゃってるし、ハーネスのみんなはそのことに対して無関心でいてくれてるし、これって割と公認の仲ってことになるんじゃない?」
「うっ…、ゆ、夕飯の時間までには戻るからいいの!」
「ふうん、じゃあ夕飯の時間まで何する?」
「何って…どこ触ってるの!」
「いてっ、」

 メカニックの一人部屋に、付き合っているとはいえ男子と女子で区切られた寮の中、タケルの領域に潜り込んでくるキャサリンの下心のなさをタケルは嘆きつつ理解している。それと同等に、自身の下心も理解して頂きたい。そんな想いでキャサリンの太腿に這わせた手は見事に叩き落とされた。けれどめげない。夕飯までにはまだまだ時間の猶予があるのだから。
 そして、盛大に泣き腫らしたあとの方が体力を消耗していてキャサリンの抵抗も大人しい。正面から顔を覗き込んで、「ダメ?」と首を傾げれば「仕方ないわね!」と言いながらタケルを受け入れてくれることも既に何度か実践済みである。こんなことばかりしていては、他人に何か言われたくらいで障害にもなりやしない。キャサリンも早く気付いてくれればいいのにと思う。彼女はきっと、今更引き返せないレベルまで自分のことが好きなのだと。そしてそんな彼女の想いを受け止める覚悟くらい、タケルはとっくに決めているということを。


―――――――――――

君だって本当は僕に愛されたいんだろ
Title by『彼女の為に泣いた』





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -