「アラタ、それ僕のシャツじゃないか?」

 ヒカツの不機嫌な声に、ハルキはノートに落としていた視線をそっとあげて声の主と、彼に呼ばれたアラタを見た。アラタはヒカルの呼び声に気付かず、大変よろしくない形容だがいつもどおり鉛筆を握りしめノートにがりがりと何やら一生懸命書き綴っている。それが学業に関係のない何かであることは、今が休み時間であることを考えれば察しが付く。何せアラタは全く黒板を意識することなく机に齧りついているのだから。
 手間のかかることが嫌いなヒカルが、二度目は声ではなく足でアラタの机を軽く蹴って呼んだ。思った以上の振動となってしまったのか、アラタは情けない悲鳴を上げて、意図しない方向に延びてしまった鉛筆の線を必死に消しゴムで消し始める。結果、ヒカルの方に視線は向かない。ハルキの前にある背中から、不穏な空気が漂い始める。しかしそれを宥めることを選ぼうとしないハルキは、一応彼が機嫌を悪くしても周囲の人間に八つ当たりしたりはしないと知っている。正確にいえば、八つ当たりできるほどヒカルは自分の周囲に他人を置いていない。第一小隊という枠の中からはみ出さず、細分化するならば同室のアラタが最も近しい場所にいて、それすらも本来ならば関わりたくない人種だと思っていそうな、ヒカルの世界はとても狭苦しくハルキには映っている。尤も、この学園にいる人間は少なからず他者をライバルと思っていなければ生き残っていくことはできないので、ハルキも他人のことは言えない。
 さて、ヒカルの足蹴によってようやく顔を上げたアラタは何をするんだと喚き立て、折角筆が乗って来ていたのにと一丁前なことを言う。ヒカルはその噛みつきが気に食わないのか、自分から呼んでおきながらふんっと顔を背ける。背後が煩いとユノが振り返り、どうしたのと世話焼きが顔を出して尋ねればアラタが憤慨を訴えるよりも先にヒカルが君には関係ないと拒絶する。それに臆することも腹を立てることもなくユノは肩を竦めて前に向き直り関係のない者としての位置に戻った。そこで仕切り直しとなったのか、ヒカルはアラタに向かって、ハルキが初めに拾った言葉をもう一度繰り返した。今アラタが来ている制服のシャツは僕の物じゃないのか、と。

「え?いや普通に昨日の夜ハンガーに掛けたのを着て来ただけなんだけど」
「僕のシャツが一枚足りないんだよ。君、勘違いして持って行ってるんじゃないの」
「だったら朝着替えてる時に言ってくれよ」
「別に今すぐ脱いで返せとは言ってない」
「あっそうなの?」
「当たり前だろ」

 この二人がLBXやウォータイムと全く関係ない日常会話を繰り広げている場面が物珍しくて、ハルキはつい聞き耳を立ててしまう。隣のサクヤは熱心にLテクを読み込んでいる。雑音など耳に入ってこない様子だった。
 どうやらアラタがヒカルのシャツを間違えて着ているらしい。同室であるが故のトラブルだ。しかも二人の背格好に大差がなければシャツのサイズも同じ可能性が高い。名前でも書いておかない限り一緒くたに洗濯してしまえば区別などつかない。まあ、この二人が一緒に洗濯をするほど仲が良いとは思ってもみなかった。アラタは頓着しなさそうだが、ヒカルが嫌がりそうだなと勝手なイメージをハルキは抱いていたのである。そして実際、そのイメージは決して間違ってはいない。

「大体、何で俺とヒカルのシャツが混ざってるんだよ」
「知らないよ。君が勝手に持って行ったんだろ」
「俺を泥棒みたいに言うなよ」
「だって僕は渡していない」
「俺だって取ってない!」

 不毛な言い合いに、アラタの語調だけがヒートアップしていく。また怒鳴り声でクラス中の視線が集まる前に、落ち着くよう声を掛けるべきかハルキは迷う。普段、アラタに対してだけその役割を担っているユノは今回不干渉の立場を先程表明したばかりだ。
 だが、ハルキが制止をかけるよりも先にアラタの表情が硬直した。あ、と声を漏らすと、徐々に顔が赤くなって今にも泣きだしそうな顔にすら見える。そして最終的に、勢いよく机に突っ伏した。咄嗟に腕を枕にしているが、そのまま行けば派手な音を立てていたに違いない。呆然と見つめるしか出来ないハルキを余所に、ヒカルは突然何だと胡乱気に眉を顰めた。そんな反応をするということは心当たりがあるんじゃないかと詰るヒカルに、アラタは消え入りそうな声でどうにか俺は悪くないと言い返した。だが、その声にはいつものアラタの覇気は微塵も宿っていなかった。

「…一昨日、脱いだ、一緒に。そんで、ほら……着た」
「―――は?」
「だから、部屋で脱いで、そん時、混ざった、たぶん」
「………ああ、」

 ぽつりぽつり、アラタが片言でヒカルに告げる。断片的な情報はハルキに全く事の真相を明らかにはしてくれない。だがヒカルは合点が行ったと頷いている。
 どうやら一昨日部屋で服を脱いでまた着る際に取り違えたということはハルキにも察しがつくのだが、一体どういう状況でそんなことをしたのかが読めて来ない。学校が終わって着替えたのならば、再度シャツを着る必要はないと思うのだが。素直に尋ねれば良いものを、盗み聞きという位置から成り行きを見守っていた所為で今更説明を求めるには決まりが悪かった。小隊長という立場も手伝って、どうもアラタとヒカルの二人に対して下手に疑問を提示することが難しい。

「彼シャツかあ…」

 事態が飲み込めないハルキとは対照的に、決して背後を振り向かないままユノが呟いた。アラタとヒカルに聞こえるよう、絶妙な声量で。
 その言葉に露骨に慌て始めるアラタと、無感動を装いながらもまんざらではないという風にアラタを凝視し始めるヒカル。そんな二人の姿を観察しながら、ハルキはひとり彼シャツとは何だと首を傾げ、後でユノかサクヤに聞いてみるかと次の授業の準備に取り掛かることにした。



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凝視する窓のない日々
Title by『ダボスへ』





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