――好きだったんだと思う。
 呟かれた言葉は曖昧に、されど単純な意味しか持たずにあっさりとジンの鼓膜を揺らした。視線を向けてどういう意味かを問えば、バンは困ったように笑ってみせた。それが、まるで随分と年を食った大人が見せるようなものだったからジンは少しだけ戸惑った。一足太に時間を飛び越えた訳もなく。バンが流れる時間の中で迎えた成長という変化を、途切れ途切れであるもののジンは割と近くで見ていたから、違和感を覚えたりはしなかった。ただ、普段のバンらしいと形容されている状態からすると幾分覇気のない今の様子は、何度直面しても慣れることなくジンを身構えさせるのだ。何かしてあげなくてはと、何かしてあげられるはずだと反射的に向き合おうとするジンに、バンはただその情が友愛であったのならば自分はもう少し意地を張ってしゃんと振る舞ってみせたよなんて言えもしない本音を毎度心の内で唱えている。

「LBXが好きだった。友達が好きだった。家族が好きだった。仲間が好きだった。兎に角あの頃の俺には好きだった物が沢山あった」
「だろうね。それが君の原動力でもあったろう」
「そうだね。詰まるところ俺は俺が向き合っている世界が好きだったんだ。だからいきなり世界の命運なんて背負わされても父さんの安否とかLBXの悪用を防ぐとか脇から理由を持ってきてあっさり戦うことを選べたんだ」
「………」
「今思うと、俺の世界って狭かったよね」
「どうかな。他人のことをとやかく言えるほど、僕も広い世界を生きていた訳じゃないからね」

 まるで言い逃れをして解答を誤魔化すような言葉だとジンは思った。それでも一度紡いでしまった言葉は巻き戻せない。
 ジンのそんな気まずさを察したのか、バンは彼の言葉にはこれといってわかりやすい反応をしなかった。思い出を語り合ったことはさほどなく。僅かな語らいの中でバンが知ったジンの人生は祖父の影がちらつくどころか覆い被さっていたと言ってもいいくらいだったから、強ち間違いでもない。
 だが、ジンを囲む世界の有り様は非常にシンプルで分かり易いから好ましいとバンは思う。祖父の為に一人、自分の前に立ちはだかった彼は強かった。純粋に敬意を払える程に。ズレとも呼べない、自我の芽生えとも違う、だけどもジンが祖父と違えた道がバンの道と沿ったのか重なったのか。今では当たり前の様に傍にいる。それが不思議でもあり嬉しくもある。素直に好きだと好意を伝えられた例がないのだが離れ離れになる予定も今の所ない。
 真っ直ぐ進んで狭い世界から抜け出し始めたジンの隣で、バンの世界は狭く、だが彼よりずっと多くの人と関わりながら生きてきた。アキレスを手にしてからは本当に目まぐるしく景色が変わりだして、出逢いも多くバンは自分を囲む世界が広がっているものとばかり思っていたのだけれど、案外そうでもなかったのだと最近では思う。
 人類の絶望と希望、そんな大仰な言葉と共に託された世界の命運の重さなど、実際幼い子どもの手で量れるはずもなかったのだ。だから、目の前に次々と現れる敵を倒すことと好きなことで負けたくないという意地、それから力を貸してくれる人達と親しくなっていくことは一切の矛盾もなくバンの行動を示し続けたし間違ったこともしてこなかった。世界の為に出来ることと今自分に出来ることが天秤に乗りその釣り合いが取れてしまうことの恐ろしさなど、あの頃のバンは知らなかった。

「失敗も窮地もあったけど、取り返しのつかない敗北とかは無かったし、するとも思ってなかったんだ」

 客観的に振り返れば傲慢だよな、と苦笑するバンに返す言葉はない。そうだねと頷く訳もなくその境地に至るだけの実力が君にはあったろうと本音を呟いても返答としての褒め言葉は大抵世辞の響きを拭えないから、口下手なジンは結局沈黙しか選べずに益々言葉を手繰るのが億劫になる悪循環に陥る。
 そもそもバンの自虐手前の回想が意図する物が理解出来ていないから、世辞よりずっと彼が望んでいるかもしれない言葉が見つからないのだ。バンもLBXの知識を語る以外では思考を理路整然と並び立てて論理的に語るタイプではない。ジンの場合、思考としては割と筋道を立てて物事を捉えているので全くの似た者同士とはいえないのだが、お互いの差異を認めた上で似た箇所も認めているから、沈黙に対して早く次の話題をと焦ることも急かされることもない。
 そんな、バンの意図不明な言葉に焦っている風でいて実は悠長に構えているジンの姿勢を受けて、バンは特に気に掛かることもなく続ける。

「イノベーターの時はさ、世界が狭すぎて、人類とか言われて、俺自身世界を救うんだとか勇んでても結局関係者の問題でしかないと思ってたのかもしれない」
「………」
「今回のディテクターはLBXをしている人は勿論、そうでない人も巻き込むだろ」
「…そうだね」
「タイミング次第では後手に回って被害を避けられない時もある」
「世界規模で、広すぎるから?」
「うん、何か今回は色々難しく考えちゃうんだ」

 LBXが好きだから。好きな物が悪事に利用されない為に戦う。それは確かに充分な動機になるし現に疑う余地もないバンの本音だけれど、ふとした瞬間に思うのだ。LBXがブレインジャックされた時、自分達が救おうとしているのは本当にLBXなのかと。本来の持ち主の手を離れてしまったそれらを破壊してしまうことも当たり前としてある。取り戻した正常の後に独り歩きしたLBXが元の持ち主に回収されたかも知れずただ安堵するのは政治家と事態を把握しきれない現地の住民達で。
 ――それって最終的にはLBXを壊してでも人間の暮らしを守るってことだよね?
 組織の趣旨から見れば、何の間違いもなく正義と呼べる行いかもしれないけれど、時々バンには疑問に思えて仕方なくなる時がある。世界を救う、嘗てそれは父から託された願いで、またその人を取り戻す為だった。自分だけのLBXを手に入れて、それを壊されないことだった。
 さて今回は。アミとカズを助け出す。そしてLBXをテロ行為に利用させないようにする。舞台は以前よりもだいぶ広い。ひとりで無茶をしようにもなかなか勝手が利かないくらいに広大に思えた。だけどもしアミとカズを助け出せたらその後は、自分は何の為に必死に頑張るのかと考えるとLBXも世界も漠然とし過ぎてバンの心は微かな靄に覆われ始める。

「もし俺がLBXを少しでも嫌いになったら今みたいに頑張れなくなるのかな」
「なかなか有り得ない事態だと思うけどね」
「うん、だけど…」
「だけど?」
「俺あんまり強くないから」
「…ヒロ君達の前では言わない方が良い台詞だ」
「ジンの前なら良いって?」
「ああ、構わない」

 世界大会チャンピオンと、世界を救った英雄を前に無邪気な憧れを振りまく年下の仲間の姿を二人ばかり思い浮かべる。彼等はきっとバンを強いと形容するだろう。間違ってはいない。ただいつも前向きなバンでも弱くなる時があることを知らないだけで。知っていたとしてもバンがその弱さを晒け出す相手なんてジンくらいのものだから仕方ない話だ。
 元来直感的な人間があれこれ思考散策してみても碌なことがない。自分のこととしてバンはしかと自覚している。それでも考えずにはいられない時も、事態もあるのだ。考えなしに大人に指図されるまま動くにはバンは知りすぎたし背負いすぎた。本人の意志の尊重なくば気の毒に見えるほどに。人によってはその重圧に耐えきれずに逃げ出したり潰されてしまったかもしれないもの。背負えたのは仲間がいたからだと、いつものバンなら考えるまでもなく答えていたに違いない。だけど今回、バンの背負う荷の重さを理解した上で一緒に戦うよと手を伸ばしてくれた仲間は彼の隣にはいない。LBXを始めて間もない新しい仲間は、バンからすれば嘗ての自分だった。目の前に現れた現実に立ち向かう以外の選択肢を示されないことに疑いなく受け入れていたあの頃の自分。だからバンは、彼等には優しくしてやりたいと思う。今の自分に後悔があって、似たような道を歩ませないようにと願っている訳ではないけれど。

「俺ジンが居てくれて良かった」

 締め括るようにバンは笑う。散々考え込んで疲労した脳はとっくに思考の中断を促している。纏まらない悩みは粗雑にバンの中で解消されることなく転がっている。だけど仕方のないことだ。LBXを手放すという最終手段を持たない、放棄不可な戦いに身を投じたことを悩めども悔やめない自分には考えるだけ無駄なのだ。そう割り切ったつもりで、またその内思い詰めてジンに意味のない、回答しようのない言葉を投げるのだろうから申し訳なく思ってはいる。ただこれは発作みたいな物だから目を瞑ってくれないかと甘えてみたり。
 バンがある程度下降気味な気持ちを吐き出して満足したであろうことを察して、ジンはさてどうしたものかと腕を組んで考える。バンの気が済んだのならばもう話題終了と打ち切っても良いのだろうが、それだと自分が体の良い話相手に格下げされてしまうようで微妙な気持ちになる。
 好きな相手に尽くせば反面それなりの見返りを求めるものだとジンは己の気持ちを率直に認めている。だから出来れば、こんな風にバンが弱音を吐く相手が自分しかいないのならば、それを上手く慰める人間も自分だけでありたい。ただ肝心の手段が伴わないからジンは悩む。バンの内側にある薄暗い本音に比べれば幾分軽い。当事者として事態の中心にいると色々と麻痺してしまうのか、確かによくよく考えればそう何度も世界の命運を背負わされて良いよ良いよ今回もちゃんと俺が救うよなんて安請け合い出来る人間がいる訳がないのだ。ましてLBXが強いだけの、それ故に求められた子どもが。

「バン君」
「ん?」
「好きだよ」
「…きゅ、急に何?」
「いや、言いたかっただけだ」
「心臓に悪いからいきなりは勘弁して」
「それは残念だ」

 予想外に戯れとなってしまった偽りのない本音を盾に、ジンは一瞬でも抱いてしまった物騒な考えを戒める為に目を閉じた。
 あまりにバンにばかり重荷を負わせるばかりの世界ならばいっそ壊れてしまえば良いのだ。そこからまたバンと自分が只の子どもとして健やかに暮らせる世界が作られるならそっちの方がよっぽど素晴らしいだろうに。
 なんて思ったりもするけれど、実際そうなってしまってはきっとバンは不要な自責の念に捕らわれてしまうだろうからこれはあくまで妄想の域を出ない。
 取り敢えず自分に出来ることはありふれた優しい言葉を掛けてやることよりも、抱き締めて傍にいるから大丈夫だと安心させてやること。それから後は少しでもバンの負担が減るようにと、次にディテクターが動いた時はトリトーンで邪魔者を叩き潰すくらいか。
 ――うん、大丈夫。得意だ。
 満ち足りたように、しかし何か企むように口角を釣り上げて、ジンはポケットからCCMを取り出す。救いたい物など、そう多くはない。ジンの一連の言動を不思議そうに見てくるバンの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。バンがLBXを好きだから、それを救う為に戦うのならば。ジンも同じように自分の好きな物の為に戦おう。微笑みに込められた決意など知る由もなく。いきなりCCMを取り出したジンに、もしかしてバトルしたくなったのかと、バンは頓珍漢なことを思っていた。


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結局君は大丈夫じゃなかった
Title by『告別』





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