※死ネタ




 ここは墓場だね。そう笑う声は無邪気を捨てて狂気だ。ジンはそう思う。黒い雨傘に隠れては斜め後ろから表情を伺うこともできやしない。だから雨は嫌いなのだ。あの日も雨が降っていた。ジンの最初の家族が死んだ、あの日も。
 バタバタと傘を叩く雨足がアスファルトに跳ねてジンのズボンの裾を濡らしていく。鬱陶しいけれど仕方ない。暗鬱な空から降り注ぐ水は何もかもを洗い流してはくれないから期待もしていない。地面に吸い込まれずに溜まる水はやがて訪れる晴れ間の熱に蒸発して帰れるのだろうか。落ちてきたくなどなかったと、そんな気持ちを抱えたまま遙か上空からの襲来にジンは何ともやるせない気持ちになる。その間にも、バンは紳士用の、彼にはまだ不釣り合いな大きさの傘を鼻歌交じりに揺らしさっさと歩いていってしまう。振り返らない。ジンを顧みない。それは着いてくるなとも着いてこいとも思っていないということ。ならばジンは着いていく。他者を望まないバンほど、放っておけないものはないのだから。
 進んできた一本道には何もない。道路の中央線を踏んづけで歩くバンを危ないと叱ろうにも車なんて全く通らない。そもそも人の気配すらしないのだ。ジンにはそれが薄気味悪くのしかかるのだが、バンには何ら気にかからないようで、鼻歌は止まず水溜まりを踏みつける彼の足元はぐちゃぐちゃだった。水溜まりを避けるジンの足元にも降り続ける雨は彼が足早になればなるだけしきりに降り注ぐ。足首に貼りつく濡れた布の感触が不愉快だったが、いちいち引き剥がしていてはバンの姿を見失う。一定のテンポで歩いているバンに、追いつけない。歩幅の問題ではない。だがどうしても今のジンではバンを追い越し、彼を振り返り、帰ろうとその道を塞ぐことができない。

「どこまで行くんだい」

 尋ねても返事はない。雨音と鼻歌に混じりジンの声は届かなかったのか。もしくは無視されたか、そもそもバンには答える義務がないということかもしれない。

「バン君、君は一体どこまで行くんだい」
「――――」
「ここには何もないよ。誰もいない」
「――――」
「雨もやまないし、早く戻らないと風邪を引く。みんなも心配するだろう」
「――――」
「そろそろ戻ろう」
「――――どうして?」

 返事がないのならば、寧ろ遠慮などいらなかった。これまで何故沈黙を守っていたのか。一丁前に相手を尊重していたつもりか。戸惑いながら、ジンは事務的な台詞を並べ立ててみる。窺えないバンの表情と感情を、損なわないで済むであろう当たり障りのない言葉。けれどそれもジンの本音であることに、内心彼自身が落胆していた。何も疑問に思わずに、バンの進む先に無条件で着いて行く自分であれたらよかったのに。そんな我儘。
 バンの声を期待しないでいた、その矢先に返された疑問の言葉にジンは面食らって歩を止めてしまった。その間も、バンの足は前へと三歩踏み出されていた。慌てて、その散歩分だけを駆け足で埋めてジンもまた続く。
 ――どうして、とは。
 戻ろうという提案に、どうしてと返されるとは思わなかった。理由なら、雨と風邪と仲間を提示しておいたじゃないか。そう思ったけれど、それでは納得できないのだろうか。それ以上に、足を進めなければならない理由がこの寂れた道の先にあるとは、ジンにはどうしても思えないのだけれど。

「ここは墓場だね」

 一度聞いたことのある台詞を再度、愉快な雰囲気を転がしながらバンが呟く。一度目は、無邪気と狂気を感じた。二度目は、無邪気を差し引いてそこに虚無を見た。ジンは一瞬背筋が粟立ったことをどうにか誤魔化そうと必死で、その言葉の意図を言葉にして問うことができない。
 黒い傘が振り向いてバンの顔を覗かせることはなく、しかし漸く足が止まった。釣られるようにジンも止まる。相変わらず、二人の間に横たわる数歩分の距離を残したまま。気の所為か、バンが止まった途端雨足が強まったような気がした。視界を地面を指す様に降りつけるもはや豪雨とも呼べる雨に遮られて、バンの輪郭が滲んでいく。

「俺はずっと先まで行かなきゃならない」
「――――」
「ここには何もない。誰もいない」
「――――」
「雨はやまないけど、風邪は引かない。みんなには悪いけど」
「――――」
「俺は戻れない」
「どうして?」

 そんな義務と、意思をないまぜにして言わないで欲しい。バンが決意してしまえば、覆すことなど不可能だから。それなのに、とても一人では成せないようなことを勝手に決めてしまうから。だからジンが必死になってついてきているというのにバンは縋るどころか一瞥すら寄越さないのだ。その隔絶が、ジンを焦らせる。
 どうして、どうしてと頭が彼の言葉を理解を示すことを拒んで、警鐘を鳴らす。聞いてはいけないし、言わせてはいけない。それなのに自分は力尽くでバンの腕を取り来た道を引き返すことも、正論染みた理屈を駆使して彼を折らせることもできない。ひどく身体が重たかった。思えば随分長い時間悪天候の中歩いてきた。傘を持つ手は疲労を訴え、強まった雨足の所為で余計に体力を消耗していく。しかし目の前のバンは、何の疲労も感じさせない真っ直ぐとした後姿のまま凛と立っている。そのことに、ジンはまた小さく震える声でどうしてと呟いた。返事は、ない。

「ごめん、もうここまでだ」

 返事の代わりに寄越されたのは、これまで背中を向けることでジンに無干渉を貫いてきたバンの突然の拒絶だった。切れ長の瞳を精一杯見開いて、何故悠長に残しておいたのかわからない距離を埋めようと足を踏み出す。傘も放り出して、冷え切った腕を伸ばす。けれど、届かない。
 最後にジンの視界に映ったのは、曇天の薄暗い世界で疲労も悲壮もなく微笑む振り向きざまのバンの姿だった。そして暗転。さようなら。



 目覚めたジンの視界に映り込んだのは、心配そうに彼を覗き込む数人の仲間たちで。大雨の中道路のど真ん中で倒れていたのだと言われても意識がまだ覚醒しきらないジンの耳には入り込まない。白い病室のような部屋は眩しすぎて清潔を過ぎて毒だった。そして部屋中を見渡しても、見当たらない人影があることに気が付く。彼は何処にいるんだと尋ねたジンに、仲間たちが揃って気まずげに顔を背けるのを見て、ああそうだったとジンは迂闊な失言を詫びることなく未だ重く疲労を訴える身体の要請に従うように瞼を閉じた。広がる黒闇の方が、今のジンにはよっぽど心地いい。
 彼はもう、ジンの――誰の手も届かない場所に逝ってしまった。先程まで、ジンは彼の見送りをしてきたのだと告白したら、果たしてこの場の何人が真剣に耳を傾けてくれるだろうか。だがそれはどうでもいいことだ。何故だか、ひどく眠たかった。



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残像の行方
Title by『弾丸』





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