※未来捏造・夫婦設定注意



 自宅にいる時、朝は和食と決めていたランが朝食にトーストとサラダ、スクランブルエッグとコーヒーでも文句を言わなくなったのはヒロとの同居生活が理由。それ以外にはなく、またそれ以外がランの生活習慣に改変を求めて来ても彼女は頑として自分のリズムを譲らなかったことだろう。そしてヒロもランを迎え入れるに当たりきっと一人分のペースを所々崩さなければならなかった。崩して繋げて混ぜ合わせて、いつしかヒロの横にランがいること、ランの横にヒロがいることは当たり前のこととなっていた。
 ヒロの水色のマグカップは使用頻度の割にランが食器を洗うときに姿を見かけない。仕事部屋に持ち込まれたまま洗いに出されないカップを迎えに行くのもランの役目の一つだ。だってヒロは、中身をすっかり飲み干してしまったことにも気付いていないのだろうから。
 ヒロとランが結婚して、そろそろ一年が過ぎようとしていた。あのヒロとランがねえという昔の仲間たちからのむず痒い祝福を一身に受けて、ランは自分の名字を捨てた。実家の道場には今でも顔を出しているし、時々子どもたちに指導することもあるけれど、常駐するほど窮屈な役職でもなかったランはその身一つでヒロの暮らすマンションに飛び込んで来た。勿論、既に恋人同士の二人だったので歓迎されない筈はない。
 母と同じ科学者の道に進んだヒロは、今度こそあの子たちを正しく世に送り出してあげたいという夢を抱き日々パソコンに向かい合っている。具体的な名は、新しく作り上げるものが既に機能を停止したものと同一であると言いきれないが故唱えられなかった。けれどランにはわかる。だから「ヒロならきっとできるよ」と迷わず背を押した。時々昔の縁故でタイニーオービット社から仕事の依頼がきて、副業としてこなしながらヒロは用事がなければ一日中仕事部屋に閉じこもっていることもあるので、それだけがランの心配の種だった。
 ヒロの母親が仕事の為に自宅を留守にしがちだったとは正反対の現象で、ランが呼べば直ぐに返事を寄越すものの、人間である以上太陽の下で身体を動かすことこそ必要だと信じる彼女の活発さは大人になっても損なわれないまま彼を外に連れ出した。ヒロは文句を言わない。自分の好きなものにとことん没頭する気のあったヒロも成長し、過程でランと結ばれてからというもの盲目になりがちな自分の調整を彼女に任せるようになっていた。ランがヒロを呼んで、出掛けるよと宣言するときがヒロの仕事の切り上げ時ということだ。

「ねえ、夕飯は何がいい?何でもいいは絶対にダメだよ」
「うーん、昨日はハンバーグでしたよねえ」
「そうそう、魚の方がいいかな」
「じゃあ現物見ながら決めますか」
「うん、でもスーパーは一番後で良いよね?ちょっと歩こうよ」
「いいですよ」

 こんな風に、お互いを日常に組み込んでいる大前提のまま交わす会話。ランの歩調は不規則でヒロの隣にぴったり並んでいることもあれば数歩先を歩いて振り向き、廻って見せたりもする。それから小走りにヒロの隣に戻り腕を絡めてみたり。振り回されることもなく、ヒロはランの言葉ひとつひとつに頷いて、答える。
 まだ若い二人は、時には仲睦まじい恋人に映ることだろう。以前、擦れ違いざまにそう間違えられて以来、ランはヒロと外出するときは必ず左手の薬指に指輪を忘れないようにしていた。それに巻き込まれる形で、ヒロも倣っている。お互い無くしたら困るからと、普段は指輪をしまっているのだが誰に誇示するでもない習慣を、彼女はそこそこ気に入っていた。ヒロも、指輪をはめるときのランが毎度鼻歌を奏でるほどご機嫌な様を見ている内に慣れてしまい、面倒だとは思わなかった。
 目的地もなく歩いていると、ヒロは時々不思議そうにその景観を見つめることがある。以前通ったときにあった店が別の店になっていたり、工事で通行止めだった道路が開通していたり、酷い時には季節が移ろった気がするとまで言い出すのである。毎日外に出ているランからすれば珍しくもない、寧ろ自分の目でその変化をまじまじと見てきた光景。

「ランさん、この道って先週まで工事してましたよね?」
「何言ってるのヒロ、それは先々週の話でしょ」
「あれ、そうでしたっけ」
「そうだよ。もう、ヒロは本当に私が誘わないと外に出ないよね」
「そんなことないですよ。ほら、この間は一人でお使いに行ったじゃないですか」
「それもう陽が落ちてるから私が外に出るのは危ないって行ってくれた奴の話?もっと明るい内に運動しないとヒロ、すぐおじさんになっちゃうからね」
「うーん、そうですね。気を付けます」
「そんなこと言ったってまた家に帰ったらパソコンの前から動かないくせに」

 怒っているわけではないけれど、期待もしていないよとランは溜息を吐いてみせる。結婚してからの生活に不満はなく、夫が仕事にかまけて家庭を顧みないなんてありがちな悩みとも今の所無縁だ。けれどこの先の人生を変わらず添い遂げたいと願うならばもう少しヒロには活動的になって欲しいと思う。彼の夢が叶えばまた違うのかもしれないと悠長に構えようとしたこともあるけれど、夫の健康を気遣うのが妻の役目なのだ。

「…ねえヒロ、」
「何ですか?」
「ヒロはさ、結婚する前に家事とか育児は夫婦で協力してやるって言ったよね?」
「言いましたね。あれ、今日の夕飯は僕が作ったほうがいいですか?」
「ヒロあんまり料理上手じゃないからいい」
「えー。地味に傷付きますね」
「そうじゃなくてさ、」
「はい」
「―――やっぱりいいや、こんな往来で言うようなことじゃないかも」
「…?はあ」

 ランの自己完結に首を傾げながら、ヒロは深く追求しない。彼女の口ぶりからして、家に帰ってからまた言い直すつもりかもしれないから。ヒロの予想通り、ランはまた後で同じ話題を彼の前で展開しようと決めていた。結婚前の約束が後になって反故にされるなんてよくある話だろうけれど、これに関しては徹底した履行を求めて行く決意。家事も育児も夫婦二人で協力する。この、主に後者に対するヒロの責任をランは絶対に甘く見積もったりはしない。
 ――赤ちゃん欲しいって言ったらびっくりするかな?
 ヒロの腕に自分の腕を絡めて、今ではすっかり離された身長の所為で丁度いい位置に在る肩に頭を預けてランは考える。結婚して、一年も過ぎれば家事にも慣れて生活スタイルも固定される。そろそろ次に進んでみても良いと思うのだ。女の子に言わせるなんてどうなのと思わないでもないけれど、先陣をきって突撃するのは元々ランの得意分野だったから良しとしておこう。二人の薬指には、一つの曇りのない指輪が光っていた。
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Title by『Largo』




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