※ジン→バン


 抱き寄せた身体は見た目の細さに反してしっかりとした、アミとは違う確かな異性のものだった。だからダメなのよね、と残酷に言い切ることはしない。力なく椅子に腰かけているジンと、その正面に立って抱き締めているアミとではその背丈は彼女の方が高い。けれど、いつもよりジンが小さく見えるのはそれ以外の要因が働いているのだろう。
 アミは本当に時々だけれど、男の子に生まれ変わってみたいと思う。思うだけで願わない。彼女がそう思うのは、決まって幼馴染のバンが影響していて、男の子同士の付き合いを女の子として眺めているしかない歯痒さが根底にある。とはいえ、アミが女の子だからという理由でバンから蔑ろにされたことはなく。少し前までは女の子のアミよりも身長が低いことを気にしていて、そういうときに向けられるバンからの視線というものはアミを心地よくさせたものだから、女の子という一点だけを劣等感に突き落とす必要はなかった。バンと一緒にいたいと願うなら、研ぎ澄ますべき武器はたったひとつ。それは女の子だとか男の子だとか、母胎の中でちょっとした確率の転倒で決まることとは無縁のもの。バンからすれば父親との絆でもあるLBX、それさえ容易く操ってみせればよかった。少なくとも、バンが突然進むことになった困難ばかりの道を寄り添うことはできたのだ。
 ――嫉妬、とは。
 ジンの髪を撫でながら、アミは想う。この、恋人でもない女の腕に収まっている少年は言った。「僕は君に嫉妬しているのかもしれない」と。憤慨も、失望も、驚愕も、焦燥もない。ただ納得した。嫉妬なんて醜い言葉をぶつけられても、その理由を明かされなくても、アミはただそうなのと頷いた。それがジンを傷付けたというのならば、アミはもう黙るしかない。謝ることはないだろう。アミは何も悪くないと知っているから。

「バンのこと、好き?」

 尋ねるまでもないだろうと、アミの周囲にいる人間の大半が頷くだろう。だからこそ、ジンに聞いた。向けられた嫉妬が彼女の内側によくない菌をばらまく前に。


 ジンはこれまで一度たりとも女の子になりたいなどと思ったことも願ったこともない。ジンの育った環境は性別を問わず、彼が優秀であれば事足りた。一般家庭と呼ばれる場所ではなく、愛情を過度に受け取ることもなく、だが受けた恩は家族という枠組みの中で返すべき義務感を帯びジンを駆り立てた。ジンにとっての当たり前と、世間の当たり前はだいぶずれこんでいたけれど不便はなかった。表面上の裕福は、ジンを世間知らずにしてしまった。
 だからか、ジンが思うのはバンと出会う前に恋のひとつやふたつ、経験しおけばなあということぐらいだ。男同士という壁なのか、お互いを高め合った最高の仲間という既存の関係が落とし穴なのか。きっとジンは、バンと離れた一年の間にこれまで知らなかった世界を見た。珍しいものでも特殊なものでもない。場所が違うだけで、バンもきっと見ている日常という景色。目新しさが日常に溶けて行くように、いつかバンへの気持ちもありふれた、何か名前をつける必要もない、ただそこにいる普遍的なものに変わるんじゃないか、そんな気がしていた時期もある。
 ――恋、とは。
 アミに上体を任せながら、ジンは想う。彼女は、ジンにとって一番バンの近くにいると映る女の子だった。もし二人の間に恋の文字が生まれれば阻む物などないのではと恐ろしくなるほどに。そして漸く、ジンはバンへ抱く自分の特別な気持ちに恋という名前を付けることにした。特別であることの自覚が先立って、恋愛という分類へはまだ放り込んでいなかった。そして恋という想いでバンを眺めるようになって初めて、ジンは独り善がりな想いだと自分が抱く感情を持て余すようになった。

「バン君のことが、好きなのか?」

 尋ねるまでもないだろうと、ジンの周囲にいる人間の大半が頷くだろう。だからこそ、アミに聞いた。幼馴染の無邪気な情が、艶を絡めてバンと繋がってしまう前に。
 アミは頷かなかった。けれど、何もかも見透かすような瞳でジンを見つめてきた。何もかもを、というのは語弊があって、彼女は何処か、バンに関することだけを敏く見抜くのではないかとジンは恐れた。例えば、自分が抱くバンへの恋心だとか。

「バンのこと、好き?」

 問い返された言葉に、ジンは返す言葉が浮かばなかった。恐れた通り、アミは自分の想いを見抜いてしまったのだと思った。決めつけて、だからアミだって同じようにバンに恋をしているのだろうとまた決めつけた。でなければ、戦えないと思った。可愛くて、柔らかくて、優しくて、強くて――そんな幾つもの形容で表せるアミのことを、ジンは仲間として好いていたけれど、今となってはその多くの形容全てが彼女を強靭な存在として彼の前に顕現させていた。

「僕は君に嫉妬しているのかもしれない」

 打ち明けたつもりだろうが、その実これはジンの弱々しい攻撃だった。けれどアミは微塵もその言葉に揺らされなかった。頷いて、それからジンを抱き締めた。いやらしい意味はなく、彼女の胸に当てられたジンの頭に響く心音は穏やかで、それが自分たちの間にある何かを訴えた。何もなければ、こんな緩やかなテンポは生まれないとジンは知っている。一定の許容と、親しみ。嫉妬すら含むものだろうか。今のジンには自分の心音は聞こえないからわからない。

「私は――強い方がいいけどな」

 そう呟いたアミは、僅かに滲ませた羨望をジンの鼓膜に落とした。弱くはないつもりで、けれどあっさり自分を置いていく強さを知っている彼女を魅了するだけのものがジンにはある。けれどジンは、それだけでは至れない場所を探しているのだという。正確には言っていないのだけれど、アミにはわかってしまう。
 女の子であればいいわけじゃない。強ければいいわけじゃない。ならば取り替えてみようとはいかなくて。けれど取り替えたいとは思わない。こんな自分を、不足ばかりが目につく自分を見つけて掬って揺さぶって変えてくれたバンに惹かれたのだ。
 アミから伝わる温度と柔らかさはバンとは程遠い。ジンの纏う熱量と儚さはバンとは程遠い。ないものねだりを仕方ないと前を向く堅実さを持ち合わせてしまったが故、ジンもアミも傷を見せても舐めあえない。

「どうしたものかな」
「どうしようもないわ」
「そうだね」
「そうよ」

 心地よくはあるけれど、手放す以前に掴んでいないものだから、ジンもアミもお互いの関係を名付けようとはせずにただ成すがままされるがままでいる。
 本当に、どうしようもない。


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あわれみと無性の悪意
Title by『ハルシアン』





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