※高校生


 昇降口を出て鞄からCCMを取り出すと数件のメールが届いていた。LBX関連の広告メールが二件と、真理絵からのメールが一件。差出人から真っ先に母親のメールを開き、スクロールする必要のない用件のみの簡素な文章に目を落とす。どうやら今日の夕飯は肉じゃがのようだ。しかし醤油がきれてしまったので帰りがけに買ってきて欲しいとのこと。他には何も頼まれていないことを二度ばかし確認してからCCMを閉じて歩き出す。校庭を占領している運動部を避けるため、校門までをやけに遠回りして目指す。その間、何となく視線を足元に落としてしまうのはひとり居残りの課題を押し付けられた疲労感と如何にも学業の延長に部活動を据えているような光景に帰宅部であることを責められているような気がするからだ。バンは中学も高校も帰宅部だが、それでも放課後は存外忙しい。時には他の子どもたちが勉学に励んでいる時間帯でも忙しく世界中を飛び回っていた。その所為、というと成績優秀品行方正な幼馴染に睨まれそうだがバンの成績はあまり芳しくない。小さい頃から勉強よりも遊ぶ方が好きで、LBXを始めてからは更にその兆しが強まった。壊滅的とは言わないが、前日徹夜をすればあっさりと翌日授業中に陥落するような態度も相俟って、先日授業中に抜き打ちで行われた数学の小テストの結果がクラス最低点だったバンには特別にプリントが出され、それを提出してから帰るようにと担当教師に言われてしまった。

「早かったわね、バン」
「――アミ?」
「あと十分待ってこなかったら先帰るとこだったわ」
「それでもよかったのに」
「プリント終わった?」
「うん。俺数学得意だし」
「じゃあ何で最低点なんて取ったのよ」
「途中で寝ちゃってさ、プリント回収された記憶もない」
「呆れた!」

 校門を出てすぐ、塀に寄り掛かりながら幼馴染のアミがバンを待っていた。高校に入ってからクラスの離れてしまった彼女に勉強面で頼ることが難しくなってしまったこともバンが学業面で苦戦する一因だった。しかしバンの抱える苦戦とはできないのではなくやらないことからくるもので、追い詰めてしまえばあっさりと乗り越える。情報処理といったパソコン、数時関連にはなかなか通じており決して劣等生ではない。
 要領がいいんだか悪いんだか。呆れる親友と怒る幼馴染に挟まれて、バンは学生であることではなく子どもであることを楽しんでいたかった。だから勉強よりもLBXバトルがしたい。それだけだ。

「アミ、俺今日途中でスーパー寄りたいんだけど」
「いいよ。おつかい?」
「うん。肉じゃが作るのに醤油がないんだって」
「それ急がないとダメじゃないの?」
「うん、たぶん」

 急かされているわけではない。ただ確認されただけ。視線の先で歩行者用の信号が点滅し始めたけれど、バンは走り出そうとはしなかった。隣を歩くアミも、そんな彼を一瞥するとそのペースに合わせて歩き出す。立ち止まった交差点で夕方の空を見上げれば紅緋色の空の端が徐々に薄暗く染まっている。先程はいつまでもバンがこないのならば先に帰ってしまうところだったと言ったものの実際はいつまでも待っているつもりだったアミはとっくに時間の確認を放棄していて、現在の正確な時刻はわからなかった。
 帰り道唯一のスーパーは夕飯の材料を購入する主婦たちで賑わっていて、醤油ボトル一本だけを抱えるバンの居心地を大層悪くしたらしい。レジに並びながら「コンビニで済ませればよかった」とぼやくのでアミは「スーパーのがちょっと安いじゃない」とだけ言い添えておいた。
 店を出ると辺りは暗がりに覆われていて、アミは少しだけ驚いた。バンはレジにて袋はいりませんと言ってしまったが故にごちゃごちゃとした鞄の中に醤油のボトルを押し込もうと奮闘している。教科書は机に置きっぱなしにしているくせに、彼の鞄にはやたらと物が入っている。主にLBX関連のものだから、手放すという発想がない。
 あまりに苦労しているようなので、アミは自分の鞄から普段持ち歩いているナイロンのエコバックを取り出して広げてやった。すると何の疑問も抵抗もなくバンはそれを受け取った。彼女の家は母親が働いている為夕飯の買い物から調理までアミがすることもあることを知っている。エコバックを持ち歩いていることも、そのことでポイントがつくスーパーを利用していることも知っている。

「アミんちの夕飯は何なの?」
「ハンバーグ」
「アミ好きだもんなあ、ハンバーグ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」

 可愛らしいハート柄のエコバックを何の抵抗なくぶらさげるバンと、自分の好物を他人の意見に任せてしまうアミ。特別なことなど何一つしていない帰り道で、自分たちの姿が周囲にどんな風に映っているかなんてわからない。付きあい方なんてずっと変わっていないのに、学校ではそういう、男女の付き合いをしていると疑われる回数が格段に増えた。どちらかが悪いとかではなく、だから気まずいとか、頭を下げることもないのだけれど。バンはアミと恋愛を意識した話題を交わしたことがないことを悪いとは思わない。しかし無関心でもいられない時期なのかもしれない。「潮時」という言葉が過ぎって、そんなお終いを予感させるほどのことではないだろうと否定する。
 仮に今、バンはアミとの間にエコバックをぶら下げて挟んでいるわけだが、それを反対の手に持ち替えて彼女の手を取ることに気恥ずかしさはあっても嫌悪感はない。不自然だとは多少思うが、不可能ではない。アミに手酷く拒絶される予感もしない。こういう気楽さがダメなのだ。恋愛とか友情とか以前に過去が大前提となって自分と彼女を繋ぐから、親しみさえあればどこまでも続いていくのだと無意識に甘えている。

「――バン、話聞いてた?」
「…ごめん聞いてなかった」
「そろそろテスト勉強しなさいって言ったの」
「聞こえないでよかったのに…」

 他愛ない会話と沈黙を繰り返し、いつの間にかバンの自宅前に到着していた。此処まで来ると、いくら陽が沈みきっていてもアミを送ることはしない。それほど二人の家は近かった。けれど今日は、もし自分たちの関係が幼馴染ではなく恋人だったら僅かな時間も名残惜しいと足を伸ばすのだろうかと考えてしまう。その所為で眉間の皺が寄ってしまったことを真正面からアミに見つかって、バンは勝手な妄想に申し訳ないと何も言わずにただ肩を落とした。

「…じゃあね。また明日」
「うん。あ、バック返すよ」
「ああ、そうだったわね。鞄、もうちょっと整理したら?」
「これでも必要最低限の物しか入ってないよ。だからアミがそれ持ち歩いててよ」
「図々しいわね」
「はは、でも貸してくれるでしょ」
「そりゃあ、持ってれば、ね」

 アミはそのまま手を振って自分の家の方へ歩いていく。あっさりと向けられた背中は何も語らない。昨日も一昨日も、同じように見送っていた自分のものよりも小さい背中。一緒にいることを大前提に繰り広げた会話は、いつだってもしもで終わらずに実現してきた。今度だって、バンがまたお使いを頼まれれば同じようにアミは女子高生の鞄から取り出すには似合わないエコバックを差し出してくれるのだろう。
 こういう甘ったるい繋がりがいい。すぐに見えなくなってしまう背中を追い駆けたいとも引き留めたいとも思わない。ただ意識もせず一番近くにいる存在が彼女であってくれさえすれば。微かな自覚を持つ執着の念が友情であるか恋情であるか、バンにはどうしてもわからなかった。



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杞憂に寄り添う少年
Title by『告別』





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