無防備は罪だから。ジンは先立つ言い訳を盾に背後からバンを抱きすくめてその健康的な色の首筋に噛みついてやった。短く息を呑む声なき悲鳴は無視した。風呂上がりの肌は温かく、頬に当たる髪はまだ湿って水滴をぶら下げていた。きちんと乾かさないと風邪を引いてしまうだろう。咎めるように噛みついていた口を離して、バンが手に持っていたタオルを取り上げて頭に被せる。そのまま有無を言わさずに髪を拭いてやるも反応はない。ジンも特に気に留めず、ドライヤーに頼らずにどれだけ水気を取り払えるかばかり気にして手を動かし続ける。沈黙が続き、けれどジンが漸く満足して手を休めるのを待っていたかのようにバンが口を開いた。

「何で噛んだの?」

 問いかけに、ジンは一瞬何のことだと首を傾げそうになって、直ぐに髪を拭く直前の自分の蛮行を思い出した。見れば、バンの首筋にはしっかりと鬱血した歯形が残っている。彼はまだ気付いていないだろうが時間の問題だろう。そうなれば、果たしてバンは怒るだろうか。痛いと訴えることも嫌だと拒むこともしないで、ただ理由だけを尋ねてくるバンの寛容は時々ジンには辛くのしかかるのだけれど、言い訳なら先程無防備は罪とこさえてある。納得して貰えるかどうかはあまり問題にならない。ただいつだってジンの前に無防備に晒されているバンの全てが恐ろしく思えた。――捕まえて、消えちゃうよ、関わらないで、触らないで、愛してるなら。まとまりのない言葉が次々にバンの周囲に浮かび上がってジンの目から彼を隠してしまう。行動と結論を急かされるのは好きじゃない。だけど実際急がなきゃ、バンの隣に陣取るのはいつだって自分以外の誰かだと、ジンはとっくに気付いていた。
 ムカムカと苛立ちで疼く下っ腹と、それを恥じて苦しくなる胸の意味を言語化してはジンはずっとバンを見ていた。好きだよとは友情でも気安く口に出来ない性質で、恋愛であれば尚更億劫だった。臆病と称さないのは、どこかで一握りの希望がバンを信じているから。何処にも行かないで、いつか自分が抱えるのと同じだけの気持ちを持って彼も向き合ってくれる日が来るのだと。夢見がちも甚だしくて、仲間たちに囲まれて笑うバンはいつだって彼らしくて隣にジンがいなくたって何も変わりやしない。恨みがましい視線と澄んだ瞳の遭遇はいつだって疚しさが敗北すると決まってる。だからジンは飲み込んできた。本当は微塵も疚しくなんかない、純度百パーセントと胸を張りたい程の好意を。今だって、何故噛みついたのと振り向くバンの瞳は真っ当な理由を求めている。そういう無防備が悪いとジンが咎めても確実に通じない世界に身を置いたまま。

「ねえ、何で噛んだの?」
「…噛みたかったから」
「………そっか」

 納得する言葉を贈ろうと、理屈を通すより正直な本音を零した。噛みたいと思わなければ噛みついたりはしない。間違ってはいないつもりなのに、素直に引き下がられてしまうと逆に不安になってくる。本当に君はもう少し他人を疑った方が良い。それがたとえ仲間であっても。そんな忠告が自分への警戒にすり替わることが恐ろしくて言葉が続かない。髪を拭いていた手は完全に止まりもう終わったのだと判断したバンはするりとジンの手からタオルを回収し間合いからも数歩距離を取った。そんなこと、深い意味がある筈もないのに気落ちしてしまって縋るように首筋を目で追う。

「噛みたかったなら仕方ないのかもだけどさ、女の子とかにやっちゃ駄目だと思うな」
「心配ない。絶対にやらないから」
「…言いきるんだ」
「ああ。たぶんバン君にしか噛みつかない」
「出来れば俺にもあんまり噛みつかないで欲しいんだけど…。痛かったし」
「すまない。まさか此処までくっきり痕が残るとは思わなかった」
「え!?嘘、うわ、ホントだ!」

 バンは噛まれた場所を漸く確認して、見事な歯形を指でなぞり肩を落とした。ジンは遂に痕については詫びたものの噛みついたこと自体には頭を下げなかった。彼は心底バンの無防備こそが罪だと信じて疑わないのだ。そもそも何故風呂上がりに二人きりなのか、さっさと着替えて髪を乾かして脱衣場から出て行ってしまったヒロとユウヤも悪いだろう。感謝もするけれど、バンへの恋心は大衆の中でこそ隠しもするが二人きりならば遠慮はしない。好機と挑むべきだろう。後から増えるばかりの障害と呼ぶには無邪気すぎる仲間たちにジンはいつだって弾かれて、それを気取られないよう腕を組んで立っているだけ。バンとじゃれ合う自分の姿は想像し難いが、睦言を交わして懇ろになりたいとは常日頃思っている。恋が欲深くなって、そうなると邪かと自制を働かせようにも対象はいつだって勇ましく飛び出してまたジン以外の人間を傍に置くからどうしようもない。
 そんな風だからどうか諦めて欲しい。二人きりになってしまった、その時点で。噛みつかれて、それだけで済ませたことを褒めて欲しいし感謝して欲しい。許されるなら、纏ったばかりの寝間着の裾から手を潜り込ませて暴いてやりたい場所が沢山あるのだから。詰まるところ男子と一括りにされて風呂に入っていること自体危険なことだということは自覚してくれなくても構わない。ユウヤにヒロを上手く連れ出すように頼めばどうにでもなりそうなことを、ジンはまだ妄想の中で済ませておける。それが何も知らないバンへの愛情だと信じている。

「…印くらい、良いだろう」
「ん?何?」
「いや、明日この痕を付けたのが僕だって知ったら、みんな驚くかと思ってね」
「――は?」
「冗談だ。後で絆創膏を貰ってこよう。先にバン君はドライヤーでしっかり髪を乾かした方が良いな」
「ああ、うん…」

 押し付けられたドライヤーを受け取って、俯いてしまったバンの姿を見つめる。先程みんなに歯形を見られたらと言い出した際に僅かに曇ったバンの瞳を、ジンは見逃さなかった。そして広がる薄暗い充足感が無意識に彼の口端をつり上げる。バンにしか噛みつかないと言った意味を、どうか少しでも深読みしてくれればいい。悩んで疑って、友だちだって鬱血するような強さで歯を立てたりはしないとさっさと気付いてもっと自分を意識して欲しい。
 絆創膏に隠してしまっても、きっと不自然に目立つだろう。そしてジンはじっと見つめるだけでバンを引き寄せられるようになる。もしも痕が薄らいでバンの表情が安堵に綻ぶのなら、また隙を窺ってガブリと噛みついてやるのがいいだろう。

「好きなんだから、仕方ないことだ」
「――?何か言った?」

 ドライヤーの音にかき消えると見込んで呟いた告白を、ジンは頭を振って誤魔化した。そしてまた無防備に背を向けてしまうバンに頭を抱えたくなる。鏡越しとはいえ、彼は全くジンに注意を払っていないのだから。
 もしもまたバンに何で噛んだのと問われたら、今度は無関心は罪だからと告げてみようか。痛々しく鬱血する痕を凝視しながら、次は本当に血が出るまで歯を突き立ててやろうと思う。そうすれば、流石のバンも知るだろう。ジンがどれだけ自分を想っているか、その丈を。




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40万打企画/あかね様リクエスト

青さを欠陥だとは思わない
Title by『ハルシアン』


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