――いつかきっと駄目になってしまうよ。

 そんな酷いことをジンが心底信じているかのように呟くから、バンは怒った。声を荒らげたり、暴力に訴えたりするような怒りではないただ無言で、バンは真っ直ぐにジンを見つめる。傍から見れば、いつも通り意志の強そうな澄んだ瞳が正面からジンを貫いているだけのように見える。けれど、ジンにはわかってしまう。バンは怒っている。静かに口元を引き結んで。その根底に流れているのは苛烈な激情ではなく冷ややかな悲しみだ。バンは、傷付いたのだ。

 男同士の恋愛が世間でいう通常に含まれないことなんて想いを抱く前から知っていた。恋愛の先に結婚があって出産へと繋がり種の存続に端を発するであろう感情を抱く相手が、いくら想いと身体を重ねても何の生産性もない同性であることを微塵も悩まなかったわけでは、流石のバンでもありえない。同じように、ジンも悩んだ。生真面目な彼だったし、背景とか立場とか諸々を含めてバン以上に悩んだかもしれない。それでも、二人して大切な人は案外あっけなく自分を置いて遠くへ行ってしまうことを、身を以て知っていたからどこか慌てるように身を寄せ合った。祝福されたいわけじゃない。ただどうか引き離さないで。それだけを切に望みながら、ジンとバンは恋をしていた。
 だけどジンは弱々しいけれど確信があるかのように言う。いつかきっと駄目になってしまうと。その度に、バンは傷付く。明確なゴールのある行為じゃないから、明るみに出せない繋がりを未来永劫守れるかと現在で誓えるかと言えばバンだって多少迷う。だけど進んで失いたくはない。いつかはいつだっていつか。現在からは追いつけない時点の話。そんな場所に囚われては、そちらの方が駄目だろうにジンは言う。時折、思い出したかのように何度も。
 初めは全て終わらせたいのかと思った。そのいつかは今だからもう終わりにしようと言葉が続くのだと思った。しかしいくら待てどもジンは一向に次の言葉を紡がなかった。だから代わりにバンが紡いだ。

「俺のこと嫌いになったの?」

 不自然な流れではない筈だった。だがジンはとんでもないことだと瞳を見開いて、バンの両肩を掴んだ。力加減もなく骨が軋む。それでも痛みを訴えるよりも先にバンはジンが自分のことを嫌いになったわけではないということに安堵した。
 ジンはただどうしようもなく怖くなる時があるのだと言う。日常の中にありふれた、バンが自分以外の人間と接する瞬間にその恐怖はやってくるらしい。会話の延長での接触、笑い声と距離感。ジンには調整しようのないバンの間合いに入り込む人間全員が障害のように視界に映り込む。嫉妬の二文字を知らないわけではないが、ジンはそれを嫉妬ではなく恐怖と呼んだ。バンには自分がいなくても成り立つ世界が漫然と存在しているに違いない。だけど自分には無理だった。現在の海道ジンという人間に辿り着くまでにバンと出会っていなかったら間違いなく今の自分はいなかったと断言できる。それほどに、ジンにとってバンは重要な意味を持って輝いていた。
 大切だと思うことはひとりでも簡単だった。友情で済ませてしまえば視線がバンばかりを追うこともなかった。恋愛感情で結びついてしまったばっかりに、ジンは自分の感情すら上手くコントロールすることが出来ない。バンの気持ちだって、以前より測りあぐねるようになった気がする。好意に応えられた瞬間から、自惚れないようにと程度を増した自制心が重りとなってジンの思考をマイナスに引っ張っていく。
 肩を掴んでいた両手はいつの間にか背に回されて、バンはジンに抱き締められている。抵抗する理由もなく、バンはジンの服の裾を握った。抱き締め返したら、今のジンはびっくりして自分を突き飛ばすのではないかと思ったから。自分ばかりがいつだって揺らがなかったわけではないから責めないけれど。だけどもう少しだけ、バンがジンを想う気持ちを過信してくれたらいいのにと思わずにはいられない。そうでないと、いい加減流石に泣きそうだ。

「ジンは、俺が他の誰かと話すのが嫌なの」
「――そうじゃない…と思いたい」
「ジンだって俺以外の人と話すじゃん」
「最低限だ。別に望んでない」
「そういう問題じゃないよ」

 話したくないから、相手が嫌いだから、どうでもいいからと無視をすることはありうる話。ではその逆に言葉を交わすこと全てに好意的な感情が働いているかといわれればそれは否。社会や組織の中に身を置けば誰かしらと繋がることは必然で、仲間や友だちもいる。彼等と会話し、触れ合うことに自身が望んでいるかとその度に突き詰めて考えることはしないしきっとする必要だってない。それなのに、何故だかジンはバンのこととなると途端に排他的になるから困る。何故だかなんて、意地悪な言い方をするけれど、それにしたって不思議であることに変わりはなかった。
 友情と恋情の違いくらい、バンは実体験の中で知っている。一番と特別は少しだけ意味合いを違えて、ジンへの気持ちを気付かせた。一番の友だちなんて決められないくらい大好きな人たちを大勢持つバンの中で、ジンが特別だと理解した。
 だけど。
 こんな風に一辺倒なジンの頑なさに触れていると思うことがある。案外、物事に対して聡明に映るジンの方が友情と恋情の線引きを明瞭に出来ていないのではないかと。友情の中に一番を設けてしまえば、相手がそうではないことに執拗な不安を覚えるのではないか。一番だと思ったバンが、他のジンにとっても大切な人たちに埋没してしまうかもしれない。そのことが怖いのではないか。言ったら、また先程のようにとんでもないと肩を掴まれて揺さぶられるだろうか。言葉にできない絶句で、ただ瞳を見開くだろうか。そういう瞬間にばかり、ジンにとって自分は特別なのだと実感し得るバンは少しだけ寂しかった。
 ジンの言ういつかが、彼には足音を立てて確実に近付いてきているとでもいうのか。こうして触れ合える距離にいれる幸せを、バンは優先して掴んでおきたいと思うけれど。慎重が過ぎて現在の幸せよりも未来の不安を憂うジンは馬鹿だとおでこを弾いてやりたかった。こんなゼロ距離で抱き合っていては不可能だ。

「ねえジン、ちょっと苦しいよ」
「…すまない」
「うん。でも力緩めないんだ?」
「ああ。すまないと言った」
「結構ジンも勝手だよ」
「バン君には及ばない」
「失礼だな」

 こんな細やかな会話すら、いつかへの不安に潰されて何の価値も無くなってしまうの。バンは、この僅かな時間の間に沢山の言葉を飲み込んでいる。それは不満とか我慢とか、一方的に忍耐を強いられていることとは違う。咄嗟に思い浮かんだ、けれど本心からは少し離れた軽口が通じないままジンを悲しませることは本意ではないから、言わないだけだ。もう少し、言葉で相手を諭せる能力が発達していればよかったのだけれど。本来ならば、そういったことにはジンの方が秀でている筈だった。必要最低限のことしか言わずに言葉足らずになることも多いけれど。そういう所だって、ジンのことだからという理由だけでバンは愛しく思えるのだ。
 ――いつかきっと駄目になってしまうなら。
 心の中で、唱えた。バンの望まない未来。ジンだって、怯えているだけで望んでいるわけではない。きっとバンがジンの不安を復唱でもしようものなら本当に嫌がるだろう。もしもでもそんなことは言ってくれるなと、矛盾で勝手だとは知りながら。だけどそれでもどうしようもなく不安だと言うのなら。バンはそんなジンの不安が少しでも軽くなるように、何度でも言い返そう。
 ――いつかきっと駄目になってしまうなら。その時は、もう一度最初からやり直せばいいよ。
 何度だってジンを好きになる。そんな自信が今のバンには満ちている。ジンを怖がらせないようにと服の裾を掴むだけだった手は、いつの間にかしっかりと彼の背中に回されていた。




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別れることはあるでしょう、失うことはありません
Title by『わたしのしるかぎりでは』




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