背を向けて眠るユウヤの長い黒髪が、白いシーツの上にはらりと広がり映える。睡眠のときくらい解けば良いのにとバンは思う。思うけれど、言わない。主張しないということは、結局妥協出来る程度のことなのだ。ユウヤのことはユウヤが決めればいい。今の彼にはそれが出来るのだから。
 引っ張ってしまわないように注意しながらユウヤの長い髪を掬う。バンの癖っ毛とは全く違う柔らかく真っ直ぐな髪。ふと脳裏にいつだったか授業で習ったぬばたまのという枕詞が過ぎった。けれどユウヤは男だから褒め言葉にはならないかなとバンは手遊びで三つ編みをしながら考える。
 ダックシャトルのベッドも特別寝心地が悪かった訳ではないけれど、NICSの施設で休ませて貰える方が自然と落ち着く。やはり人間は地上に近い方が良い。男女で区切っただけの大部屋扱いだった頃とは違い、バンたちには個室が用意されていたのだが、現在二人は一つのベッドに横になっていた。それでもスペースにはまだ余裕があるのだから驚きだ。あまり広々とし過ぎていても落ち着かないのでバンとしては誰かがいてくれた方がありがたかった。
 出動する事態ではないとしても、NICSに詰めているバンたちが謳歌する自由は少ない。要求すれば呼び出しに応じられる範囲で許可も降りるに違いないのだが、何せ住み慣れた土地を離れている以上観光気分に陥ることも出来ないままある程度の快適さでバンは充足してしまっていた。LBXの訓練と調整、世界情勢の確認は一日の大半を費やすことはなかった。それでも一緒に過ごす仲間たちがいたので無為な時間を過ごしたつもりはなかった。しかし夕飯と入浴を済ませて、後は眠るだけとなって部屋に戻ってしまうと途端にやることがなくなってしまう。暇だと訪ねてきてくれる人もいたし、逆に出掛けていったりもした。四方山話とまではいかないが、解決すべき事件に頭が占拠されているダックシャトルでの移動中ではとても盛り上がれない会話を重ねた。
 こうしてユウヤがバンのベッドで眠っているのも、眠気の訪れない夜の暇を紛らわす為に遊びに来てそのまま意識を落としてしまったからだ。部屋の行き来は約束を取り付けて行われていた訳ではないし、何人かが集まれば折角だからと残りの面子にCCMで招集をかけたりする。昨晩は、偶々ユウヤだけがバンの部屋に遊びに来ていた。トランプだとかLBX談議だとか人数が多ければ盛り上がる類の話を咲かせるでもなく、だから二人きりのまま少年一人では余りあるベッドに横たわり布団も被りながら他愛ないことを話した。BCEのことや、その時のユウヤとアリスのこと、観客席の様子。昨年のアルテミス以降のユウヤのこととバンのこと。些細なことでも、言葉として紡ぎ始めればキリがなかった。
 そして「そういえば僕たち二人きりで話したこと殆どなかったね」と微笑むユウヤにバンもそういえばと頷いた。仲間になってくれたことは純粋に嬉しく、アルテミス決勝以降顔を合わせる機会もなく別れ際の状況が状況だっただけに元気な姿を見せてくれた時は感情のある表情も含め驚いた。けれど皆と一緒にユウヤの話を聞いていると、つい間にジンを挟んで考えるようになってしまっていたことも事実だった。命の恩人と言うからには相当な思い入れがあるのだろう。だからと切ってしまうのは些か乱暴かもしれないが、バンはついユウヤに対して受け身になってしまった。彼から歩み寄ってくれない限り自分からの歩み寄りには限界があるように思い込んでいた。実際それは只の思い込みに過ぎなかったのだと、ランやヒロがユウヤと親しくなっていく様子を見ている内に気が付いた。出遅れてしまったことを少しだけ悔やみながら、バンは静かにユウヤを見つめていることしか出来ないでいた。
 だから、こんな風にユウヤがひとりで自分を訪ねてくれたことも、会話に詰まることなく色々な話が出来たこともバンには喜ばしいことだった。ジンでもヒロでもなく、自分の所に。半ば舞い上がる心地でいつの間にか意識を手放していた。バンが先かユウヤが先だったから思い出せない。けれどバンの目が覚めたとき、眠る前に消した記憶のない部屋の明かりが消えていたのだから、ユウヤが消してくれたのだろう。本人も眠気が限界だったからかもしれないが、まあいいやと部屋の移動を諦めてそのままバンのベッドで眠れるくらい自分はユウヤに心許されているのかと思うと寝起きの覚醒しきっていない意識でも自然と緩んだ口元を自覚できた。たった一晩、劇的な転換期などはないけれど自分とユウヤの距離が一気に近付いたような、そんな気がした。
 さて、バンに背を向ける形で眠っているユウヤは、実はバンが起きるよりも少し前に既に目が覚めてしまっていたことを今更どう明らかにしたものかと悩んでいた。背後でバンが自分の髪を弄って遊んでいる気配がする。それは一向に構わないのだが、その手遊びに混じって時折聞こえる吐息がやたらとご機嫌に響いているから困ってしまう。「ふふ」と小さく漏れた声色は映画の恋人たちがベッドの中で幸せな朝を迎えたかのような甘美さを放ってユウヤの耳朶を揺らした。途端湧き上がる気恥ずかしさに、ユウヤはおはようと告げるタイミングを益々逃してしまった。初めは、目が覚めてぼんやりとした視界が徐々に開けた瞬間目の前に広がったバンの寝顔に驚いて仰け反ったとき。混乱しかけたものの、直ぐに昨晩の記憶が甦ってきて猛烈な眠気に負けて他人様のベッドに潜り込んだまま朝を迎えてしまったのだなと思い至った。それから、まじまじと眠るバンの顔を見つめて一年前よりも逞しくなったと確認する。それでも十四歳という齢からはかけ離れることは出来ていないことも理解する。年相応の顔に、ユウヤは何故か安堵して鼻先が触れるほどの距離まで自分の顔を近付け
てみた。寝息すら届く距離で止まる筈だった。
 けれど。
 いけないと葛藤を挟む暇もなく、ユウヤの唇はバンの唇を塞いでいた。そっと触れて離れていく一瞬の出来事を、後悔するよりも柔らかさや優しくできたことに満足を覚えてしまったことをユウヤは少しだけ反省する。バンは相変わらず眼を閉じたまま。しかしユウヤからのキスでこれまで規則正しく繰り返されていた呼吸を乱された目蓋が数度痙攣し、「ん…」と声が漏れた瞬間ユウヤは弾かれたようにバンに背を向けて狸寝入りを決め込んでしまったのである。
 バンには見えないように、何度も自分の唇に触れては先程の柔らかさを思い出してあまり血色の良くない頬に熱が集まるのを感じる。何をやらかしたのか、湧かなかった実感が徐々に高まり今すぐベッドを脱け出して自分の部屋に戻りたいとすら思った。しかしとうとう起きてしまったバンは自分の髪を弄って遊んでいるからそれは出来なかった。救いは、どうやら彼は自分に何をされたかわかっていないことだろうか。だがその反面、あのキスが自分しか知らない、バンにとっては存在しないものになってしまっていることが物悲しくもあった。一方的な口付けに乗せた想いが報われて然るべき等とは言えないけれど、これまで距離縮めることがなかなか叶わなかったバンと二人きりで朝を迎えキスしたことは、ユウヤにとってみれば無かったことになんて到底出来ないことだった。
 だってユウヤはずっとバンに近付きたかったのだから。

「――バン君」
「あれ、ユウヤ起きたの?」
「ごめん、実はちょっと前から起きてたんだ」
「そうなの?俺寝てるかと思って髪悪戯しちゃった。ごめんな」
「ううん、いいよ」

 「僕の方がとんでもないことやらかしちゃったから」と胸の内で唱えて、漸くユウヤはバンの方へ向き直る。悪戯と言わないのは、自分の気持ちは本物だという意地に近い。にこやかに「おはよう」と告げるバンはやはりユウヤにキスされたことなど気付いていないようだった。朝の挨拶を返して、少しだけバンとの距離を詰める。逃げられないように肩を掴むつもりが収まりが悪くて首もとに手を添える形に落ち着いた。ぱっちりと開かれた瞳が疑問符を浮かべている。それに対してユウヤも微笑みできちんと説明するよと応えた。果たして自分の仕出かしたことに、バンがどんな反応を示すのか。ユウヤには全く予想がつかない。けれどどうか嫌わないでいてくれたら、それだけで充分。
 一晩で埋めた距離が再び開いてしまわないようにと祈りながら、ユウヤは朝の空気を小さく吸い込んだ。どちらに転ぶにせよ、バレたらジンに怒られるだろう。もしそうなるならば、折角だしもう一度くらいキスしてしまえば良かった。ユウヤからの思いがけない告白に、バンは寝起きの瞳を驚愕に見開いた。そんなバンを見つめながら、咄嗟の思い付きを実行する為にユウヤはまた彼に唇を寄せていた。



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わたしじゃだめですか?
Title by『にやり』







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