※二年後設定 十二月のある日のこと。待ち合わせ場所に指定したのは図書館だったが、当日現場に到着すると漸く勉強を他人に教えて貰うのに私語厳禁の公共の場は適していないことにヒロは気が付いた。着込んだコートで守りきれなかった首筋が冬の風に当てられて背筋を震わせる。マフラーを忘れてしまったことにこのとき初めて思い当たり、ヒロはCCMで時刻を確認しながら浮かれて早くに家を出過ぎた自分を反省した。取りに帰るにはもう時間が足りない。季節柄人っ子一人座っていない図書館の外のベンチに腰を下ろし、今日会う約束をしたバンの到着を待つことにした。 ヒロは今年受験生となった。将来のビジョンを鮮明に描き、その為に確実に滑り込まなくてはならない志望校もない彼は、単純に自分の慕う人たちが通っている自宅からもそう遠くない高校を目指すことにした。その学校にはバンを初めアミやカズといった面々も通っており、同じく受験生であるランも志望校に挙げていたはずだ。本格的に受験シーズンに突入してからというもの、ランとは偶にメールや電話をすることはあっても直接顔を合わせる機会がないので正確な第一志望校だったかどうかはわからない。 そんな、受験という人生の難所にぶち当たったことを口実に、ヒロはバンに勉強を教えて貰うという名目で約束を取り付けることに成功したのである。一年前に同じ学校を受験したからというヒロの要望に、バンは当初アミに話を付けてやろうかと親切心で切り出した。何せバンも受験生の冬はご近所さんのアミを毎日自分の専属家庭教師と言わんばかりに付き合わせていたのだ。持つべきものは優秀な幼馴染だと。詰まる所自分の学力は他人に物を教えるほど秀でていないのだと遠まわしに及び腰になっていたバンを、ヒロは不自然にならないよう意識しながらも必死に口説き落とした。LBXの指導は優れていたじゃないですかとか、アミさんと二人きりは慣れないから勉強が捗らないかもしれないだとか、兎に角バンに面倒を見て欲しいのだと理解して貰うのに小一時間を要した。その間に英単語を幾つか覚えられそうなものだが、ヒロの中で学問とはバンに劣るもの。そもそも志望校を高望みして設定しているわけでもないので正直さほど切羽詰まってはいない。優秀とは言い難いが、平均点はキープしている。山野博士お墨付きの集中力さえあればよほどの怠惰を極めない限り合格できるとヒロは見積もっている。こんなことを言ったらヒロとは違う理由で学業に優秀とはいえないランから正拳突きを喰らいそうだ。ヒロは勉強すること自体はさほど苦痛ではない。机に大人しく向かい合うこと自体耐えられないランとは地が違う。 試験日までの日数を逆算して、そこまでの勉強の予定を頭の中で照らし合わせる。正月休みに戦士マンのDVDに手を出さなければ計画的な受験勉強をこなせそうだ。焦るほどの点数の欠乏がないとはいえ、ヒロは第一志望校以外の学校に全く魅力を感じていない一辺倒な学校選びをしてしまっている。是が非でも合格しなければならないという思いは今で机に齧りついているであろう受験生たちと遜色ない。 リュックを背負ったまま、自由な両手を温めようと息を吹きかければその白さに余計寒さを覚えた。バンに向かって早く来て欲しいと念じる。待ち合わせ時刻までは、まだ十分以上の余裕を残していた。 「あれ、ヒロ早いね」 「バンさん!」 掛けられた声に顔を上げれば、バンは既に到着していたヒロに随分驚いたような顔をした。冬の待ち合わせに、しかも場所が屋外であるにも関わらずかなり早めにやって来る人間も珍しいと思っているのだろう。それでも、バンだって五分前行動を順守している。 両の手をズボンのポケットに突っ込みながら、ヒロは忘れてしまったマフラーをしっかり巻いているバンは何故かコートを着ないで高校の制服であるブレザー姿だった。日当たりのいい日中ならば乗り切れるかもしれないが、朝夕の移動は辛そうだ。それに今日の風は冷たい。 「バンさん今日学校あったんですか?」 「ん?いやそうじゃなくて、勉強するなら制服の方が気合い入るかなと思っただけ」 「そうなんですか。単に楽だからかと思っちゃいました」 「それなら部屋着のまんまで直接ヒロに家に来て貰うって。困ったらアミも呼べるしさ」 「はあ、」 「でも勉強するって言っても自主勉じゃないしなあ。図書館ってミスだな」 「僕もそう思ってました」 折角家から歩いて来たけれど、図書館の建物を見上げながらヒロもバンも中に入ろうと足を動かさない。バンはきっと、声を出しても怒られない勉強場所の候補地を思案している。ヒロはただ、久しぶりにバンと二人きりで会うことの出来た喜びを噛み締めている。初めて出会って渦中に身を置いた騒動に巻き込まれていた頃は寝食すら共にする近しさだったというのに、日常生活に回帰してしまうと一年という歳の差はヒロの上にはっきりと降ってきた。約束がなければ会うことのできない距離にいる人だったのだと思い知った頃、一足先に受験生となったバンは勉強の合間にLBXを操作する相手に時折ヒロを呼び寄せるくらいで目まぐるしく流れる時の中を駆け抜けた激闘の日々など忘れてしまったかのようだった。本当に忘れてしまっていたらヒロを構ってくれたりはしないはずなので、ただ子どもの自分が拗ねているだけだと理解している。幼心にバンを慕い、ヒロはその歯止めが利かない気持ちに恋と名前を付けた。だから、もっともっとと際限なく望むことを許した。同じ高校を受験することなんて、至極当然の流れだと言わんばかり。 「――ヒロ?」 「あ、はい何ですか!?」 「待ち合わせしといて何だけど、俺んち行く?」 「良いんですか?」 「うん。たぶん押入れ漁れば去年アミが俺に作ってくれた受験対策のノートとかあるはずだし」 「是非お邪魔します!」 「…LBXは勉強終わらないとしないぞ?」 「なっ…わかってますよ!」 バンの提案に途端に元気に声を張り上げるヒロに、ついバンは見当違いなことを言う。唇を尖らせるヒロに、確かにそんな分別のない子どもでもないかと思いながらお詫びの意を込めて頭を撫でてしまうバンは結局彼を可愛い弟分のようにしか思っていないのだ。冬空の下どれだけ自分を待っていたのか、頬も手も赤くなっているヒロの為にと、バンはやって来た道を引き返す様に歩き始める。ヒロは小走りで隣に並んで歩き始める。リュックのベルトを掴む両手がどんどん冷たくなってかじかむ。このままバンの自宅に着く頃には、速やかに筆記用具は握ることは出来ないだろう。 そんな言い訳があれば、バンは自分の話を聞いてくれるだろうか。勉強なんて口実からはかけ離れた、自分がバンをどれだけ好いているかということだとか、無事合格して同じ校舎に通えるようになったら一緒にやりたいことだとか、そういうこと全て。自分のいない場所でバンがどんな日々を過ごしているのかとかも尋ねてみたい。一度喋り出してしまえば、呆れたように眉尻を下げながらもきっと相槌を打ちながら聞いてくれるに違いない。バンの前では真面目に勉強をしていなくても、影ではきちんとやるべきことをやっているという信頼を得ているという自信がある。 ヒロの隣で頻繁に言葉の合間に「寒いな」と呟きながら、気温だとか年末の雰囲気だとかについて語るバンの声に曖昧に相槌を打つ。今日顔を合わせてから、先程ヒロの頭を撫でた時以外は始終ポケットに突っ込まれたままの彼の両手が気になる。繋げるだなんて微塵も思ってないけれど。 兎に角、ヒロの秘めたる今日の目標はただ一つ。参考書やプリントの消化枚数などでは決してない。受験生という立場を盾にして、これから訪れる年明けに如何にしてバンと初詣に行く約束を取り付けるかなのである。二人きりは流石に無理かなと、顔に出せない落胆を代弁するかのようにヒロの頭の触角が力なく倒れた。 ――――――――――― 背中合わせで待ち合わせ Title by『ハルシアン』 |