※パラレル


 今日は何やら外が騒がしい。他者との交流を絶って暮らすジンの苦手な子どもたちの笑い声がひっきりなしに聞こえてくる。やかましくもないが、静かでもない。落ち着こうとすると思い出したかのように意識に引っかかるのだ。それはとても煩わしい。
『トリックオアトリート!』
『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!』
『トリックオアトリート!』
『さあさあ大人たちは早くお菓子を出して!でないと真っ白でピンと伸ばされたベッドシーツをぐちゃぐちゃにしちゃうよ』
『それとも庭の綺麗な植木たちをちょん切ってしまおうか?』
『家中のお鍋と蓋を別々の場所に隠すのも良いね!』
『ほらほら急いで!僕たちは本気なんだから!』
 意識を澄ますと、甲高い声がジンの頭の中に直接響く。声を集めたのは自分であるにも関わらず、ジンの眉間には不快の皺が刻まれる。何故こうも、人間はハロウィーンだのなんだのとはしゃぐのだろう。特に子ども。こんな特別な日付にかこつけなくともとびきりの笑顔だったり、強情の涙だったり、子ども特有の武器を用いればお菓子なんて普段からいくらでも食べられるだろうに。大人になれば自由が利く金銭で自分の好きな食料を手に入れることが出来る。どちらにせよお菓子に喘ぐ理由がわからない。顰められた眉を解くタイミングを逃しひとりきりの部屋で苛々と腰を落ち着けたロッキングチェアの肘掛をトントンと人差し指で叩く。暖炉の中の薪が音を立てる。
 無邪気に家々の戸を叩いて回る子どもたちは知らないのだろうか。ハロウィーンとはそもそも火を囲い作物と動物を犠牲に放り込むものだと。宗教など熱心に心を傾けていなくともそれはそれで構わないのだが。
 もういっそ使い魔をけしかけて邪魔をしてやろうか。幸い自分の使い魔はハロウィーンに放り込んでもお似合いの出で立ちをしている。もしかしたら悪魔辺りと勘違いされて大騒ぎかもしれない。くっくと喉奥で笑いを噛み殺すジンを諌めるように、古びた木製の扉に掛けた鈴が鳴る。首だけで扉の方を見ても開かれた形跡はなく、それならば足元だと視線を落とす。使い魔に一定の自由行動を許し放し飼いをしているジンの自宅の扉には足元に小さく彼ら専用の扉が設けてある。よくあるペット用の入り口と同形式の物。タイミングよく使い魔が帰って来たのかと思いきや、そうではなかった。これはまた珍しいとジンは眼を見張る。
 入って来たのは、茶色のふわふわとした毛並みを持った猫だった。ジンと目が合うと、その猫は身体を震って汚れを落とす。そういうことは屋内に入る前に済ませるものだと、ジンは猫を叱らない。毛先がしっとりと湿っていて、猫はジンを素通りし暖炉の前に陣取り丸まる。その姿勢が猫そのもので、ジンは随分馴染んでしまったのだなと物悲しい気持ちになってしまう。だから、意地悪だとは知りながらジンはその猫を抱え上げて自身の膝の上に乗せた。予想外に、抵抗はされなかった。


 猫の名前はバンと言う。数百年ほど前まではジンと同じ人間の姿をしていて、けれどジンと同じように人間ではなくて。人里離れた森の奥でひっそりと暮らしていた。ジンと違い社交的で人懐っこく人受けの良い性格だった彼はよく街にも足を伸ばしていた。嘗てはジンも同じように人間と交流を持ったこともあるけれど、移ろう時の流れから自分が逸脱した存在であることを自覚してからは疲れるだけだと控えるようになった。知識もあったし経験も実践する日常もあった。使い魔を使役すれば遠出する必要もなく魔術だって難なく使いこなせるようになっていた。自分の持つものを活かせば活かすだけ人間からは遠ざかるのだと理解しながら、生きていく上で他人が必要ないことを知ってしまえばそのことを何とも思わなくなっていた。それでも、必要はなくとも一人ぼっちは寂しいという弱さはジンにもあった。だから、ジンより人間のことが好きだったバンは猶更募るものがあったことだろう。
 けれどいつの頃か。バンは人間の姿で街に下りることをしなくなった。決まって猫の姿を取るようになった。やがて人間の界隈に背を向けるようになり、それでも猫の姿を維持し続けるようになった。ジンはとても寂しくなった。人間を忌避するならば、黒猫辺りがそれらしいだろうにと問えば、毛色は生まれつきの髪色が反映されてしまうらしく、バンは茶色い毛並みの猫にしかなれなかった。ふわふわと髪質まで影響されてしまったのは彼の技量の問題だろう。以前ジンが試しに猫になってみた時は、それは麗しい艶やかな毛並みを持つ黒猫に転じて見せた。バンの機嫌を損なったので、それ以来ジンは猫にはなっていない。自分まで人の姿を捨ててしまったら、こうしてバンが濡れて帰って来た時に暖炉に火をくべてやることが出来ないので。
 ジンの膝の上で大人しく丸くなったバンの背を撫でながら、ジンはふと目を閉じる。バンといると、余計な雑音が聞こえない。先程まで頭の中で響いていた子どもたちの姦しい騒ぎ声すらも。ハロウィーンという喧騒が、ジンの中から一気に遠ざかる。

「ねえ、バン君」

 返事はない。ピクリと耳が動いたことが、聞いているという意思表示だった。猫になるようになってから、バンの口数はジンよりも少なくなってしまった。猫が喋っていた所で、それを気味悪がる人間はこの界隈には存在しないというのに。

「今日は人間の暦ではハロウィーンなんだそうだよ」
「ふと黙り込むとね、子どもたちの声が煩いんだ。トリックオアトリートだとか。悪戯するぞだとか」
「悪戯と粗相の線引きもわからない子どもたちがあまりに鬱陶しいからね、これ以上騒音が止まないようならゼノンをけしかけてやろうかなと思ったんだけど、丁度バン君が帰って来て、何かどうでもよくなった」
「トリトーンはちょっと迫力に欠けるだろう?」
「何故信仰心もないくせにハロウィーンなんて伝統が残ったんだろうね?あの南瓜をくり抜いたの、あれは可愛いと思うけど」

 つらつらと騙るジンの声に、バンは目を閉じまま時折相槌を打つように尻尾で彼の掌を打った。声帯が死んでいるわけではないが、何百年という時間の間に随分喋るのが億劫になってしまったのだ。言いたいことも、伝える相手がジンしかいなかった。そしてジンはわざわざ言葉にしなくとも大抵のことを察してくれたから甘え過ぎた。最近の自分は惰性で生き永らえているだけの残り屑だ。いっそ意識だとか自我だとか放り出してジンの使い魔に成り下がるのも楽しいかもしれない。そんな馬鹿なことを考える度に、それではジンが泣いてしまうではないかとその浅薄さを戒める。想われているという自覚は愛おしい分束縛も生むのだなと今更ながらにバンは実感している。その輪から抜け出したいとは、もう思えないほどにジンとバンは共に生きてきた。昔はもっと仲間もいた筈なのに。今では顔さえも思い出せないほどに曖昧だった。
 ぱちぱちと音を立てる暖炉の熱が徐々にバンの身体を乾かすことから温めることに至って、このままでは眠ってしまうと起き上がる。膝の上で安定できる位置を探し座る。見上げれば、もう何百年も前から変わることのないジンの顔が目の前にある。人間の姿に戻れば、バンだってもう何年も変化することのない幼い顔立ちを維持しているのだろう。

「――ぁ、」
「ん?」
「にゃあ、」
「………バン君は意地悪だね」
「―――それはジンの方だ」
「何故?」
「子どもたちにゼノンをけしかけるなんて。楽しんでる子どもたちにだって、ゼノンだって可哀想」
「そうだろうか」

 首を傾げるジンに「そうだよ」の意を込めて太ももに爪を立ててやる。猫の顔に感情が浮かぶかは知らないが、ぶすっとした感情が伝わるように。久しぶりに発した人語は最初こそ掠れてしまったが直ぐに流暢に紡がれて、やはり自分はそちら側なのだなあと実感する。尤も、人間だろうと猫だろうと変わらないのは等しく腹が減るということだろうか。きゅるると情けない音を立てた腹を労り、今度は大きな瞳でじっとジンを見上げた。伝わるだろう。お菓子だろうとご飯だろうとジンは用意してくれる。それこそ、「トリックオアトリート」なんて呪文を唱える必要はない。

「――今日はパンプキンパイに挑戦してみたんだ」
「にゃー」
「……ハロウィーンは関係ない」
「にゃ!」

 「何も言ってないだろ」という訴えは美味しそうな香りに心を奪われて忘れた。ジンがキッチンからパイを運んできて、暖炉の前のカーペットに直に腰を下ろしたのでバンも彼の隣に寄り添った。切り分けたパイが小皿によそわれる。ジンの分とバンの分。どちらの皿にも添えられたフォークが暖炉の火を受けて眩しい。前足でフォークをどけて、バンはパイを口いっぱいに頬張った。ジンを一瞥して、美味しいと伝える。初めて食べたが、バンはこの味を心底気に入った。
 もし本当にこのパンプキンパイとハロウィーンが無関係だというならば、是非来週にでもまた作っていただきたいものだ。そう思いながら、バンは尻尾をご機嫌に揺らした。


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君だけはひとりにしない。
Title by『呪文』

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