マサキが風邪を引いたから家で面倒をみてるよ。そう簡潔なメールが風介からヒロトと晴矢宛てに届いて数分。サイレントに設定されている携帯が着信を知らせるランプを灯していることに気が付いて、風介は発信者を確認することなく通話ボタンを押した。

「はい」
『風介?え、マサキ風邪引いたの?何でそっち?インフルエンザ?隔離?園なんか全体行事みたいなのあった?』
「うるさいよヒロト。ごちゃごちゃ喋ったら質問が解りづらい」
『全部質問だよ!』
「何言ってるんだい、君」
『…ん?』
「マサキは風邪、というより下校途中に…ほら、学校から帰る時、橋を渡って道路沿い歩くより河川敷歩いた方が早く園に着くだろう」
『ああ、良く通ったね』
「その時うっかり川に落ちたらしくてずぶ濡れでふらふら歩いてるのを捕まえたら熱があるみたいだから家に連れ込んだんだ」
『へー』
「問い詰めには来るなよ」
『熱がある内はね』
「……。君より玲名か杏の方が適してると思うけど?」
『んー、ま、晴矢には俺がちゃんとメール送り直しとくよ』
「どうも」

 またね、なんて挨拶は挟まずに通話を切る。それと同時に寝室から戻ってきたクララがリビングに顔を覗かせる。風介が携帯を手にしているのを見て、直前までの彼の行動を粗方把握する。

「ヒロト君から?」
「うん。一応来るなと言って置いた。……マサキは?」
「寝たわ。なかなか粉薬を飲んでくれなくて困っちゃった」
「ふうん、子どもっぽい所もちゃんとあるんだな」
「杏だったらマサキの頭ホールドしてでも飲ませたでしょうね」
「……君はどうやったんだ」
「………。風介君今度お給料出たらマサキに新しくスパイク買ってあげてね」
「おい」

 売ったな、と目を細めれば買わせるのよと交わされた。マサキを構い倒す口実にもなるし、最悪ヒロトと晴矢にも払わせるから構わないけれど。薬一回飲んだだけでスパイクが手に入る世界なんてそうそうない。これなら諦めると思って要求を釣り上げたのか。どうやってマサキの要求の程度を下げるかではなくどうやって自分を傍観者に持って行くかに論点を素早くシフトしてしまったクララにあっさりと要求を飲まれてしまってはマサキもこれ以上の駄々をこねるのは無理だと悟ったのだろう。何より病人だ。そんな気力もあるまい。
 一方で、マサキが拒絶ではなく我儘を示し始めたことが喜ばしい。演じるのが無駄だと知っても、必要以上の摩擦を避ける為ならば苦手な薬くらい表情を取り繕って飲み込んでしまいそうなものだけれど。うっかりでも地が出たのなら、もう少し攻めても良いだろうか。勿論、彼の体調が全快してからの話だが。

「マサキの服洗ってくるわね」
「クララ」
「何?」
「普通に河川敷を歩いてれば、川になんか落ちないよね?」
「…そうね」
「お日さま園の何人かは経験済みだから」
「落とされたって言いたいの?虐めだって?」
「喧嘩でも虐めでも良いよ。ただ衝突があってああなったのなら黙ってないだろう」
「私達が?」
「うん。何よりマサキが黙ってしまったら許せないよ」
「それは同感」

 ずぶ濡れの衣服を放り込んだ洗濯機を回しに行こうとしていたクララを引き止めて、風介は今日のマサキの様子を振り返る。そうして少し自分たちの過去を思い出した。お日さま園に馴染んでからは親のいない寂しさなんて感じなかった。だがそれを当たり前としない連中からは家族が不揃いであることを平均以下と捉える馬鹿がいる。同情も勝手で済むなら結構。押し付けた挙げ句見下しに変わるならば応戦しなければならない。そうして、クラスのがき大将的なグループと喧嘩になったことがあった。女子に人気のあるヒロトと、短気で喧嘩っ早い晴矢は何かとやっかみを受け、風介はすかしているなどと言い掛かりを着けられたらこともあるし、他の何人かも似たような経験をしている。
 要するに、お日さま園という場所に住む子ども等が自分たちを不幸と嘆かずにいることが気に食わなかったのだろう。よく喧嘩をしては今日のマサキの様に川に落ちた。学校から園への帰り道。自分たちから喧嘩を申し込まない風介等は大概待ち伏せを食らい、川に掛かる橋の影に連れ込まれるというのが定石だった。まあ、返り討ちが基本だったが。
 もしマサキが、現在進行形で自分たちと同じ様な目に合っているならば。それならば早急に対策としてマサキを鍛えてやらねばなるまい。保護者でもないくせに学校に乗り込んだり、当事者でもないのに手や口を出すのも実体験として面倒だと知っている。マサキみたいな人間は特に。うっかり落ちたと嘘を吐いたのは、心配させるのを恐れたからではなく事態がこじれるのを恐れたのだろう。子どもの癖に小賢しく物事の展開を割と的確に予測する所が可愛くない。だから構い倒したくなるのだというのに。

「…マサキの熱が下がるまではヒロトも晴矢も家には来ないと思うけど」
「どうかしら。一日で下がらないと忍耐続かないんじゃない」
「そうかもね」
「マサキも色々大変ね」
「色々?」
「今日のこととか、私達のこととか」
「ああ、でもそれは…」
「そうね」
「「だって愛だからね」」

 思わず重なった言葉をもしマサキが直接聞いていたら、また警戒心を顔に浮かべて後ずさったろう。幸い、今彼は夢の中にいるのだから、聞こえるはずはないけれど。だけど届いて欲しいと思う。いつかでも構わないから。



 翌日、クララの予想通りヒロトと晴矢が突然風介宅を訪ねてきた。マサキは熱は下がったものの様子見と、昨日学校から直接風介宅に引き取られた為着替えやら教科書やらが揃っていないので休ませた。瞳子に頼まれて学校に欠席の旨を伝える電話をしたのはクララで 、何だか楽しそうにマサキの保護者を名乗る姿を、彼は彼女の手作りのお粥を啜りながら眺めていた。因みに小学生が元気良く登校している時間帯。風介は未だ爆睡中だった。
 洗濯物として干しているマサキの服が乾いたらお日さま園まで送るからと言われて大人しく待っていた。午前中はクララは家事をしており、風介は低血圧なのか起きてもマサキの頭を数回ぽんぽんと叩いたきりぼんやりとソファに座っていた。そのアクションが、熱が下がって良かったねの意であることなど十分過ぎる程伝わっている。だから、面と向かって礼は言えない代わりに珍しく自分から風介の隣に座っていたのだが。
 突然やってきたヒロトと晴矢の所為で流れていた穏やかな空気など一気に崩壊してしまった。普段ならば二人と同じ側の風介も、彼等のけたましさに不愉快そうに顔を顰めている。

「お前川落ちたんだって?喧嘩か?ちゃんと相手も落としたか?」
「え、晴矢いきなりそこ聞く?まずは体調聞こうよ」
「…いきなり来た時点で体調の確認なんて無駄だろう」
「あれ、風介怒ってる?」
「眠いんだろ」
「ふーん。じゃあ早速本題だ。マサキ、喧嘩?」
「……………」
「言わないと此処に玲名と杏を呼ぶよ?」
「喧嘩です!」
「ふーん、何で隠すかなあ。うっかり落ちたなんて」
「だって、面倒じゃないですか」
「そうかなあ、案外すぐバレるし、やられっぱなしの泣き寝入りさえしなければ誰も干渉しないよ」
「え…」
「そりゃあ両手を挙げて喧嘩して来いなんて言えないけど、瞳子姉さんなら逃げるなって言うよ」
「俺達の前例もあるし、お日さま園で遠慮とかするだけ無駄だぞ」
「あんた達にバレると更に?」
「良く解ってんじゃん」

 男の子ならば、多少のやんちゃはするべきだ。
 病み上がりのマサキは、普段よりもやはり威勢が良くない。だが心配しなくとも負けてないという彼の言葉に、ヒロト等は満足した風に笑った。
 初めから出る幕無かったんだね、と安堵して呟いたヒロトに、風介はそれはそれで結構だと零す。

「マサキを構い倒すのに専念出来るだろう」

 瞬間、嫌そうな顔をするマサキを、ヒロトと晴矢が両脇から頭を撫でたり頬をつついたりと構い出す。
 そうして、家事を終えたクララに煩いと怒られた。そんなに暇ならマサキに昼ご飯でも奢ってやれと四人全員外に放り出された。納得行かない顔をしているマサキを横目に、風介は昼ご飯よりもスパイクを買ってやらなければならないことを思い出し、隣を歩く悪友二人をどう巻き込むかを真剣に考え始めていた。



20120203