最近ヒロトがやたらと一緒にお日さま園に行こうと誘ってくることに、玲名は若干辟易していた。お日さま園は確かに自分たちにとって実家とも呼べる場所だ。瞳子もいつでも好きな時に遊びに来なさいと言ってくれる。だが一方で学び舎でもあるのだ。卒業とは呼ばなくとも一度巣立った場所にへらへらと頻繁に顔を出すべきではないと玲名は思っている。部活動の引退と同じだ。しょっちゅう出向いては相手に気を使わせる。そんな玲名の見解を、ヒロトも同様に抱いていたはずだった。彼の場合、吉良との都合もあって同年代の中では一番お日さま園に顔を出しているがそれでもだ。
 先日、瞳子に呼ばれて晴矢や風介とお日さま園に出向いてからこうなった。新しく入った子に会ってきたのだという。名前は確か狩屋マサキ。借りてきた猫のようだったと語るヒロトに、誰だって初めはそうだと面白味もなく聞き流していた。何もマサキだけを特別認識するほど、彼は珍しいケースを抱えている訳ではないことを、ヒロトが前置きとして宣言していたからだ。
 それなのに。ヒロトは玲名に一緒にマサキに会いに行こうと執拗に誘いを掛ける。それが玲名には矛盾しているように感じて不思議でならなかった。

「ねえ玲名、明日お日さま園に行こうよ」
「またそれか」
「いや、ほんとマサキに会わせたいんだよ」
「そんなに変わった子なのか?」
「いいや全く。警戒心が強いだけのただの子どもだよ」
「なら何でそんなに狩屋マサキに会わせようとする」
「あの子昔の俺に似てるんだよ。警戒はするけどのらりくらり交わしながら本音を隠して傷つくのを避ける」
「そういう人間もいるだろう。…お前とかな」
「かといって好きな人が出来ても臆病だから素を隠すよ。傷付けたって明確な自覚あれば嫌われて当然って納得も出来るから変なとこで攻撃的だし」
「………」
「でも攻撃的な部分を周囲に認識されると敵が増えちゃうじゃない?その為の作り笑顔が上手いんだよ、これがまた。それが昔の俺の笑い方と一緒だよねって晴矢と風介と話してたんだ」

 つらつらと狩屋マサキの人物像に語ってみせるヒロトに、玲名は少しだけ、引いた。いくら同族とはいえ初見でここまで見抜くとは考えにくい。玲名がヒロトの誘いに乗らずとも、彼はひとりでお日さま園に出向いて件の少年を構い倒したのだろう。そうして敵、もしくは鬱陶しいと認識されたに違いない。様子を窺っていた猫に、攻撃される程度には。その上、もしかすると彼は晴矢や風介までも相手にしなければならなかったかもしれない。瞬間、玲名の内に見知らぬマサキへの同情が一気に広がる。
 だが、それ以上に。

「お前に似ているとは、またエラく厄介な質だな」
「悲しいけど否定出来ないね。だから俺自身の経験からして構い倒したいんだよ」
「何故」
「愛されることに否定的で悲観的だからだよ」
「――ああ、それは――」
「でも愛されたいんだ。だから作り笑いも上手くなる」
「成る程、それは確かに――」

――構い倒してやるほかあるまいな。

 呟かれた言葉に、ヒロトは「だよね!」と満足げに頷いた。
 愛されたい。だが愛される筈もない。そんな見当違いな思い込みで自分の殻に籠もってしまった子どもを、玲名は確かに知っている。昔のヒロトを思い返せばいつだって忌々しいと舌打ちする程に、当時の彼はもどかしかった。だから玲名はヒロトを愛して傍にいることを選んだ。愛されるなんて、案外簡単なのだとわからせる為に、今に続く沢山の時間を費やした。
 つまりそういうことなのだ。
 構い倒して、愛してやりたいのだろう。ヒロトがマサキに働きかける全ての原理がそこにある。ならば少しくらい手伝ってやろう。何の面識もなく、だがお日さま園にいるというだけで玲名にとっては家族のような存在で。そしてそんな当たり前の情すら狩屋マサキという少年は知らないでいるのだ。いつかの子どもたちのように。



 マサキが八神玲名に初めて対面したとき。涼しげな顔からは少しの棘が感じられた。それが想像以上にマサキの作り笑いがヒロトのそれに酷似していたことへの嫌悪だったのだが、そんなこと知る由のないマサキには悪意として映った。
 だから睨んだ。敵ならばまず境界線を明確にしなければならない。それなのに。
 マサキが玲名を真正面から睨み付けた瞬間、彼女は顰めていた表情から一転、穏やかに微笑んだ。それから、そっと挙げられた腕に、叩かれるのかと思わず身を縮めればまたも予想外に優しい手付きで頭を撫でられていた。ぱちぱちと何度も瞬いた。カメラのシャッターのように場面を映してはやはり理解が追い付かない。玲名の少し後ろに控えながら、にこにこと生温い眼差しを向けてくるヒロトだって視界に収めているのに噛み付くことも睨むことも出来ない。

「お前、可愛いな」

 沈黙を断ち切って落ちてきた言葉は、マサキには想像も着かなかったもので。驚いて玲名の顔を凝視しても眼差しは変わらず優しくて猶居心地が悪い。
 この数分間の玲名との出来事は見事にマサキを振り回した。そして許容量をいとも容易く超えてしまった。結果。
 マサキは全力でその場から逃げ出した。適わない。それだけを理解して、ならば逃亡こそが最善だと答えを導いた。
 完敗だけは癪だと、十分な距離を開けてから、マサキは玲名の方を振り返り、一睨みしてからまた走り去った。玲名は追いかけてはこなかった。

「可愛い」

 マサキが逃げ去った方向を見つめながら、玲名の口から呟かれた言葉は、マサキ本人に聞こえることはない。ただ彼女の傍にいたヒロトだけが拾い、頷き、やはり構い倒さなくてはなるまいと二人の心を結託させた。



20120122