触れたい、と思うようになるのは、恋愛に於ける諸症状の中では割と重症な部類だと拓人は思っている。思っているから、困るのだ。片想いの相手に、しかも自分の幼馴染の彼女にべたべたと触るなんてこと許されない。尤も、許された所で自分の性格では気軽なスキンシップすらままならないだろうと諦める。こんな風にして、この恋心も諦めてしまえば良いのだと最近では思い始めた。叶う見込みのない恋は、いずれ消え去る末路を待っているのだから、自主的に諦めるというのもひとつの手段に違いない。問題は、それが出来るか否か。想いが募りに募っている現在ではまるで不可能のように思える。それでも諦めなければならない。気持ちを抱えている本人すら苦しむだけの、こんな不毛な気持ちは。
「シン様」
 最初は誰のことを読んでいるのか惑っていた呼び名も、いつの間にか拓人の耳に馴染み茜の声がこのフレーズを紡ぐだけで彼女の姿を探す程度には、自分の内に浸透していた。「どうした」なんて、最初から優しく応じてやれていたのなら、彼女も少しは自分を憧れではない感情で眺めてくれただろうか。拓人はこんなもしもを繰り返しながら、自分の発想の貧弱さに苦笑する。あり得ない未来を、そうそう連想するものではない。戒めて、そして自分を呼んだ茜の姿を捉えて、やっぱり自分は彼女が好きなのだと自覚して、直ぐに幼馴染の姿が浮かんで顔を歪めてしまう。それは、茜からしたらさぞ不機嫌そうだったり、具合が悪そうに映るのだろう。
 心配するように差し伸べられる優しさが逆に辛いなどと被害者ぶって、結局の原因は自分が作り出しているのだから悪循環だ。
「シン様は、今帰りですか」
「ああ、山菜は…霧野待ちか?」
「はい、少し職員室に寄るそうです」
「そうか」
 放課後、用事を済まして教室に戻れば、誰もいないと思っていた教室に茜がいた。要件なんて、蘭丸と茜の関係を知っていれば明らかで、尚且つ彼女が蘭丸の席に座っていた為直ぐに分かった。少しだけ痛む胸が、邪魔だと思った。
 珍しく部活もないから、一緒に帰るのだろう。そのまま放課後デートなんて、学生カップルらしいことでもするのかもしれない。自分を憂鬱にする思考を重ねながら、拓人は次の一歩を踏み出しかねていた。そそくさと、退散するべきだろうと思いながら、あと少しだけ茜と同じ空間にいたいと歩を躊躇った。
 出来るだけゆったりと帰りの準備を進めながら、同じように出来るだけ茜の方を見ないようにする。万が一にも視線が合ったとして、交わす会話なんてあまりないから。
「シン様、あの…ありがとうございます」
「…何が?」
「余所のクラスにひとりって…あまり落ち着かなくて。シン様が来てくれて、ちょっとほっとしました」
「そっか、」
 照れたように、茜が笑う。それに釣られるように、拓人の頬も緩んだ。たったこれだけのことで可笑しなくらい嬉しいと思う自分がいる。
 だから、そんな風に優しく笑わないでくれと、拓人は心底思うのだけれど。本当は、そんな風に優しく自分だけに笑って欲しいと願う自分がいることにも気付いてしまうから。拓人は今日も、想いを殺さなくてはと決意しながら結局は足踏みすらしていない自分を責めてそれ以上に擁護している。想うだけなら自由だと、本当はずっと言い訳して、拓人は今も茜が好きなままだった。



20110825