部活が終わる直前、拓人から久しぶりに一緒に帰らないかと声を掛けられた。口調は和やかなのに瞳には有無を言わさぬ力強さがあった。不覚にも、蘭丸は気圧されて無意識の内に頷いていた。茜に断る必要もないことを、当然拓人はもう知っている。彼女と付き合い始める以前は二人で帰ることに何の不自然もなかった。けれど並んで歩く通学路の景色が酷く久しぶりに映るのは、蘭丸が抱える拓人への嫉妬だとか遠慮がその視界を歪めているからなのだろうか。
 何か話があるのだろうと思った。蘭丸も拓人に言いたいことがあった。けれど何を言いたいのかはわからない。謝罪か、抗議か、それともまた別のことか。どうであるにせよ、綺麗な言葉など浮かんでは来なくて、結局自分からは何も言うことが出来ないでいる。
「――今日、山菜と話したよ」
「…うん、知ってる」
「俺のこと好きだったって」
「それも知ってる」
「――俺も、山菜のことが好きだった」
「知ってる」
 拓人の口から紡がれる言葉全てに、蘭丸はぶっきらぼうに相槌を打った。適当なようでいて真実だ。蘭丸は知っていて、その真実全てに痛めつけられてきたのだ。そしてそれはもう終わったはずなのに、何故今更拓人がその話を掘り起こすのかと苛立った。一番何も見えていなかったくせにと、噛みつかずにはいられない。
「なあ霧野、一つだけ、酷いことを聞いても良いか」
「―――ん、」
「……どうして何も言ってくれなかったんだ」
「………そんなの、」
 瞬間、蘭丸の中で激しい怒りの念が湧きあがった。抑える暇もなく隣を歩いていた拓人の胸倉を掴みあげて住宅街の壁に押し付けていた。人通りがなくて良かったのか、だから逆に引っ込みがつかないことを嘆くべきか、そんなことを考える余裕はなかった。
「…何て言えばよかったんだよ」
「――霧野、」
「お前に!俺が!何を言えってんだよ!山菜がお前のこと見てるって!?憧れじゃなくて恋だからもっときちんと向き合ってやれって!?馬鹿だろ!俺は…!」
「山菜が好きだったんだろ?」
「そうだよ、…そうだよ!だから、」
「だから俺は、それをお前に言って欲しかった」
「―――、」
「何にも見えてなかった、その所為で霧野のことも山菜のことも傷付けた。だけど本当にあの頃何もわかってなかったんだ」
「知ってれば、教えてやってればどうにか出来たって?」
「――自信はないな」
「何だそれ」
 拓人の上着を掴んでいた手を離し、蘭丸はまた覚束ない足取りで歩き出す。拓人も何も言わずそれに倣う。
 どうして何も言わなかったか。そんなことは、蘭丸が茜を好きだったからに決まっている。だけど彼は、茜を好きだったのならばどうしてと尋ねている。そう逃げ道を塞がれてしまうと、蘭丸は黙り込むしか出来なかった。荒げた言葉の端々が、結局は自分勝手なだけだと蘭丸自身を嘲笑う。けれどその嗤いは、拓人も茜も自分自身に浴びせたものだ。
 黙り込む蘭丸の隣で、拓人は考える。パーツさえ出揃ってしまえば、物事の組み立ては拓人の方が得意だ。きっと蘭丸は、自分だけが余計なことをして事態を拗らせた悪者だと思い込んでいる。だから、責めて欲しいのかもしれない。けれどそれはおかしな話だ。現に蘭丸は拓人を詰って見せたのだ。彼が持つ原因を詳らかにしてみせたのだ。それなのにどうして、拓人が蘭丸を責められるというのだろう。山菜にしたって同じことだ。
「霧野、俺はお前が好きだよ」
「―――」
「山菜だってお前が好きだよ」
「―――」
「だから、もう痛がりたくないんだよ」
 お前にだって痛がって欲しくないんだよとは、伝える必要はないだろう。蘭丸だってわかっている。茜が彼を振り切って拓人に想いを告げたのは、それを実らせるためでも蘭丸が嫌いになったからでもない。ただ、進みたかっただけなのだ。だから蘭丸は苦しんでいる。進んだ先にあるかもしれなかった、微笑み合っているかもしれなかった拓人と茜を引き裂いたかもしれない、自分の振る舞いに。
 けれど、茜は乗り越えた。拓人も此処で乗り越える。蘭丸が立ってくれるならば、きっと。
「…俺は、山菜のことが好きだったよ」
「――そうか」
「アイツがサッカー部に入る前からずっと」
「…それは、長いな」
「はは、だろー?」
 打ち明けてみれば、これだけのことだった。思わず素で感心している拓人に、蘭丸は苦笑した。今隣を歩いているのは、恋敵というよりは幼馴染の拓人だった。区別することは出来ない筈の、だけど負けたくなかった相手。恋敵と憎まなくても良かったのだと、唐突に理解してしまう。幼馴染でも、恋敵でも、ただ茜を好きと言うだけで良かった。
 そんな単純なことに、蘭丸は漸く気が付いた。



20121119