「――今、神童がいた気がするんだけど」 重ねていた唇を離してからの第一声がこれとは我ながらひどいと蘭丸は思う。茜は彼の言葉に大きく瞳を見開いた後、ぱちぱちと数度瞬いてそれから微かに目を伏せた。正直、露骨に動揺されるのではないかと思っていた蘭丸は、心が抉られるような痛みが来るとばかりに構えていたので、なんだか肩すかしを食らったかのような気分だった。 いくら幼馴染相手とはいえ、恋人とのキスシーンを目撃されるのは恥ずかしいものがある。だが彼が茜に向けている感情を思えばこれはある種の幸いだったのかもしれない。薄汚い自分の思考に嫌気がさして、今度は蘭丸が唇を噛んで目を伏せた。そうしたら、いつの間にか顔を上げていたらしい茜と視線がかち合ってしまう。 「ねえ、霧野君」 「……何?」 「どうしてそんな痛そうな顔するの」 「……」 「霧野君の方こそ、私のこと嫌いなんじゃないの?」 「そんなことない!」 「でも……」 咄嗟に荒げてしまった声の、先に続く言葉はお互い紡ぐことが出来なかった。言ってはいけないと本能が警告している。 ――神童拓人のことを忘れてしまえればこんな痛み生まれるもんか。 本来部外者である筈の人間に二人して心を乱されて痛めてまで繋ぐ手を解かないなんて馬鹿げているのだろうか。馬鹿げていたって、離せない手があることを蘭丸は知っている。馬鹿げていたって、縋らなければ崩れてしまう弱さを茜は知っている。誰の為でもなく、自分を可愛がっているだけの惰性が憎くて、触れ合った唇は温かくて嫌悪などありはしないのに愛の行為だとはとても思えない空白が寂しい。 「ごめんね霧野君…私貴方を傷つけてばかりなの」 「違う、」 「卑怯だったの」 「それでも俺は山菜を傍に置きたかったんだ」 「好きになれると思ったから」 「好きだったから」 キスをする前から繋がれていた手に籠められた力が一瞬だけ強まって、次第に弱まっていく。お互いの指先が絡むだけになって、無言のまま二人してその手を見つめれば、いつの間にか流れていた涙の粒が二人の手に数滴落ちた。 自分だけの山菜茜が欲しかった。それが、自分の薄暗さに悩む彼女であったのならそれでも良かった。拓人を忘れられずに、それでも叶わない恋に挑む勇気もないまま蘭丸に寄りかかっている茜だとしても彼はきっと喜んで受け止めたろう。実際に今、彼が繋ぎとめているのはそういう、決して茜自身は誇れない彼女だった。そんな茜だって自分なら愛せるのだと蘭丸は誇りたかった。茜の心に日増しに増える棘は彼女諸共蘭丸にまでも突き刺さる。そして傷ついたとしても、それでも蘭丸は茜を放したくないと願うのだ。少なくとも、拓人と茜が本当に想いを通じ合わせてしまう、直視し難い現実に叩きのめされるその時までは。 20120101 |