相手に勘違いをさせる行動というものが刹那には理解出来ない。彼とマリナ・イスマイールの関係を遠回しに遠慮していたフェルトに「俺と彼女はそういう関係ではない」と言いきったものの、そういう関係がどういったものか突き詰めて想像したこともなかった。身近に大切な異性と結ばれた人間もいたし、外の世界を出歩く中で視線を巡らせれば簡単にそういう関係の人間を視界に捕らえることは出来た。だが刹那にはその人間が見えているというだけだった。善も悪もない。世界を構築する有象無象の人間たちを個々に認識するには刹那個人の世界はどこか閉鎖的だった。
 思春期というものを、恐らく刹那は取りこぼして生きてきた。境遇がそうさせたし、恋愛の二文字が刹那に差し迫ってくることもなかった。あったのは仲間、年上ばかりの面子。甘やかしてはくれなかったが、年少とは思われていた。暖かかったのかもしれない。組織の目的を鑑みれば、内部まで冷えきっては心が傷んでいただろうから。
 フェルト・グレイスという少女は、刹那が初めて年下と認識した女の子だった。武力介入開始までの潜伏期間を振り返れば、日夜トレーニングばかりの刹那よりも実務に駆られていたのかもしれない。分野が違うのだから、当然といえば当然かもしれないが。つまり、組織内で担う分野が違う二人は殆ど交流を持たなかった。お互い物静かで、他者への干渉には消極的だった所為もある。
 それはCBが武力介入を開始してからも変わらなかった。刹那は時折、フェルトがロックオンと話している所を目撃したが特に思うことはなかった。彼女がハロを気に入っているという情報を聞いてもいないのに寄越してきたのはロックオンだった。やはり刹那はそうなのかと頷く以外に思うことはなかった。
 一方で、フェルトはロックオンの下に足を運ぶ度に話の端に頻繁に刹那の話題が上ることに気が付いた。話題には事欠かない問題児だからなと苦笑混じりに語ったロックオンの優しい眦を、フェルトは今でも覚えている。憎みきれない、貧乏くじを引きながら見守ってきた背中。きっと刹那とフェルトの年齢が近かったことも話題のチョイスに影響を与えていたのだろう。
 フェルトが刹那と初めて私事で会話をしたのは、ロックオンへの手紙をしたためて届けた時のこと。あの時、刹那は手紙を出したい相手などいないと、彼女からの問いに幾許かの沈黙の後に答えた。もしかしたら、嘘だったのかもしれない。意味のない問いだと流されたのかもしれない。だけど、寂しいねと呟いたフェルトに、寂しいのはロックオンの方だと言った時の刹那の言に、きっと偽りはなかった。
 だからフェルトは刹那に手紙を送ったりはしない。会いに行けない人に、直接打ち明けられない想いの丈を綴ることはしない。手紙ならば、刹那は読んでくれるだろう。直接告げれば困った顔をしながらも拒まれるだろう。片想いなのだと、フェルトは知っている。花を手渡す権利はあった。マリナ・イスマイールとは恋愛関係にはないと教えてくれた。
 けれど、二人の間に恋ではない何かがあることも感じていたから、フェルトはやはりあの皇女様を羨ましいと思う。離れ離れが当たり前、だけど同じ場所を目指す二人。CBに属す以上、フェルトだって刹那と同じ場所を目指しているはずなのに、どこか違う。それは、刹那がCBに辿り着くまでの人生を知らないからなのか。考えても、答えは彼等にしかわからない。
「フェルト、」
「――刹那?」
「ロックオンがハロを探していたぞ。これからティエリアを相手にシミュレーションで模擬戦を行う。返してやってくれ」
「そう…ごめんなさい、どうぞ」
「すまない」
「……?どうして謝るの?」
「…ハロがお気に入りなんだろう……ロックオンが言っていた」
「――そう」
 直前のロックオンとは別人を指しているのだと、刹那の声色と間の取り方が教えてくれた。何より刹那に自分のことを話題にするロックオンはたった一人、もうこの世にはいない優しすぎた人。
 ――好きだったよね、私も、貴方も。
 言葉にする機会がないから、言わないけれど。言葉にすると悲しくなる。過去を振り返るにはまだ世界は変わりきっていない。言い訳ばかりが先に来る。だけど、きっとフェルトは空気がそれを許せば容易く口にしていたことだろう。ロックオンが好きだったと。幼い、閉鎖的な環境で育った彼女の初恋だったのだ。
 休憩時間だからと食堂へ向かう途中、無重力にぷかぷかと浮かんでいたオレンジ色のハロを迷うことなく抱きかかえた。結局向かったのは食堂ではなくフェルトに与えられた個室。やはり勝手に連れ込んではいけなかったかなと、刹那の方にハロを放ってやりながら反省する。刹那は彼女の部屋の扉を開けて以降決して中には足を踏み入れずにいた。立ち尽くし、自分の下へ転がってきたハロを持ち上げて再び謝罪の言葉を口にした。
 それが、今度は別の意味での謝罪のように思われて、フェルトはそっと唇を噛んだ。今此処で泣くのは場違いだと必死に感情を抑え込む。明かりを付けていなくて良かった。その安心感だけが、フェルトの表情を和らげるに値するたったひとつの要素だった。
「…刹那、行かなくて良いの?」
「行って良いのか」
「え…?」
「今、フェルトを放って行ってしまっても良いのか」
「……知らないよ、そんなの」
 どうやらフェルトの泣きそうな表情は、刹那にばっちりと見られていたようで。気遣われるだけ惨めだから無視してくれれば良いのにと我が儘な自分を嘲りながら、彼の優しさが向く場所に自分が存在していることが嬉しくもあった。
 だけどそれは、あの人と同じ優しさなのだろう。誰にでも、刹那の傍にいる人間にであれば容易く向けられる。誰かを励まし、癒やし、奮い立たせる真っ直ぐな眼差し、感情、行動。本人からすれば、優しくしている自覚すらないのかもしれない。

「――ホント、刹那は勘違いさせるのがうまいね」

 嘆いた一言は小さかったけれど、きっと刹那には届いただろう。意地悪な自分に、また乾いた笑いが浮かんでくる。もう堪えるだけ無駄だからと諦めてしまった涙は頬を伝い落ちる。そうして見つめた先の刹那の表情は、明らかにそんなつもりはないと語っていた。
 どことなく、正確に伝わらない言葉をもどかしくも感じているような瞳。勘違いなどさせるつもりはなく、そもそも何が勘違いだというのか。自虐的なフェルトの表情にも苛立ちは募る。嫌いではない、仲間である以上大切な人間だった。それなのに、刹那はフェルトのことがまるで理解できない。こうして距離を挟み向かい合いながら、弱々しく自分にこの場を去るよう促すフェルトに、刹那は従うべきなのだ。訓練開始の時刻は既に過ぎており今頃ティエリアはご立腹に違いない。だが刹那の足はフェルトの部屋を前に動かない。何か、絡まってしまった何かを解かなければこの場を去ってはいけないと直感が訴えてくる。
 だがその何かがわからない。大切であることをそのまま伝えるだけでは齟齬がある。何故かはわからない。フェルトに対してだけ、刹那の言葉はありふれた優しさに堕ちてその信頼を失うらしかった。
 ――アンタみたいには上手く喋れないんだ、ロックオン。
 記憶の中の彼は、随分彼女と親しそうで、朗らかにハロを抱えながら会話していた。今同じようにハロを抱えるだけでは、刹那はフェルトに何も伝えられない。
 途方にくれる刹那の腕の中で、ハロだけが空気を読まずに「遅刻、遅刻!」と騒ぎ立てていた。





―――――――――――


愛するという高望み




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -