捕まえた手首の細さに驚いた。俯くウェンデイのか弱さに怯んだ。キオの中で微笑むウェンデイは、いつの間にか思い出となっていた。涙に濡れた瞳の理由を、キオは知らない。それが悲しみの涙かも、喜びの涙かも判別がつかない。当たり前のようにいつだってウェンディは、キオがふと思い立って振り返った場所にいて笑いかけてくれるものとばかり思っていた。けれどそれは、どうやら錯覚だったらしい。
 キオは子どもだったけれど、ウェンディもまた子どもだった。自分より幼い子どもを前に、不安を与えないよう微笑まなければならない。そんな気遣いを理解した子ども。けれど大人は彼女の気遣いを理解しない。こんな状況でも笑っていられるなんて、子どもは気楽でいいなだなんて見下げた言葉を吐く大人だっていた。勿論優しい大人だって。しかし戦争は一個人の優しさなど容易く吹き飛ばす。アスノ家のキオのそばにいれば尚更。それでも。ウェンディはキオの傍にいて、離れるならば微塵も揺るがず待っていてくれた。ウェンディの視線は絶えずキオに向いていて――勿論それは恋ではなく優しさに属していて――振り返って彼女の所在を確認する必要も与えないものだった。
 初恋に近い親しみと喪失の痛みを教えてくれた女の子を、キオは終ぞウェンディに引き会わせることはなかった。出来るはずもなかった。けれど、地球とヴェイガンの戦争が終わるまでルゥやディーンが生きていて、無邪気な友情だけで結び合うことができていたのなら、ウェンディはよくルゥに優しくしてくれただろう。キオにそれを要求する権利も必要性もなく、それが彼女の人柄という美徳だった。
 何故今になってそんなことを思い出すのかわからない。澄んで痛く美しい思い出にウェンディはいない。だが今の彼女に対してキオが感じている想いはどこか初恋に似ている。形のない焦燥を、ガンダムの技術を提供することで得た病の緩和剤で誤魔化したように過去の親密な思い出で誤魔化そうとしていた。つまりその先は、失うという未来の予感。唐突にキオの頭の中をけたましい警鐘が殴りつけるような激しさで鳴り響く。捕まえた手首に籠める力を強めると、ウェンディが苦しげな声を漏らした。キオの力に、痛めつけられてしまう彼女の細さ。戦場でもないのに、兵器を操っているわけでもないのに。いつの間にか縮まっていく身長差を誇示することさえ今はできない。

「ウェンディは――」

 続く言葉は、上手く音にならなかった。
 ――ありがとう。
 代わりに、頭の中でウェンディの声が聞こえた。キオではない、キオの知らない男に向けられた言葉と、その雰囲気から笑顔を浮かべていたことを想像して眩暈を覚えた。直視できない角度に立っていて良かったと思う。嫉妬と呼ぶにはどうしても、権利が必要なはずでキオはけれどウェンディに執着する自覚が乏しかったからとても耐えられないのだ。ウェンディが誰かに愛の対象として認められていること。贈られた愛の言葉に、笑顔で礼を返す幼馴染の少女の不気味さときたら! いつまでも子どものままで寄り添っていられたら、キオはきっとウェンディのことを異性だとすら認識できない。無邪気さと恋しさは両立しないのだ。正しく、望む未来を選択しなければ失うということをキオは大袈裟な世界規模で体験している。幼馴染との距離に当て嵌めるには大仰過ぎるだろうか。それでも、失う痛みは決して小さくはないだろう。それほどに、ウェンディはキオの内側に潜り込んで顧みられることのない一部分だった。
 キオは選択しようとしている。ウェンディという少女が、自分以外の男性と共に歩むという分岐点に立った時(或いはもう、ずっと前から立っていて、キオ以外の誰かを選んでしまったのかもしれない)、どこにもいかないでと彼女を自分の傍に引き戻すことを選択しようとしている。正誤はあやふやで、ウェンディの意思は不確かで、キオの稚拙な想いは言葉にならない。

「ウェンディは、ここに、いてよ」

 絞り出した声が情けなく縋り付く響きを持っていたことに、キオは自身に落胆を覚える。年下に甘んじて、ウェンディに甘えようとしている。それはもう効果切れが迫っている手段だ。有効ではない。
 困ったように、キオを見つめているウェンディがいる。優しい微笑みが、眉を下げて言外に彼に退くことを求めていた。或いは、彼女の妥協を予感して呆れていた。どうか後者であってくれたのならば、その場しのぎの時間稼ぎだって構わないからキオはこの手を離してしまえるのだろう。そうしてまた取り返しがつかなくなる直前に必死に伸ばした手で彼女を捕まえて、当然のように開いた距離に怯えて言葉を繕うのだ。年下の幼馴染とは、かくも狡く振舞えるものなのだ。ウェンディ・ハーツという少女に許されて生きてきたキオには、それが当たり前だった。
 どうしてもっと大切にしてあげられなかったのだろう。大人の中で悩むキオの傍にいつだっていてくれたウェンディが大好きだったのに。家族なんだからきっとわかりあえるよと、戦場に臨むキオを励ましてくれた言葉に救われてきたのに。ひび割れていく思い出が、二人が家族じゃなかったからどうしてかわかりあえなかった結果ならば、キオはウェンディと家族になりたかった。そしてそれは、駄々っ子の言い分だ。
 それでも、どれだけ頭の中で駄々をこねてウェンディの手を離せないとしても。元々キオは聡い子どもだった。純粋だった。裕福に、純粋に、鷹揚に、しかし厳格に育てられてきた。世間知らずな面もあったけれど、世界を、宇宙を、未来を見て成長してきた。だから、ウェンディの答えだって本当は聞かなくても知っている。彼女の表情の意味を読み逃すほど愚鈍じゃない。ただ心の行く先だけは見失ってしまったけれど。

 ――ごめんね。

 ウェンディがはっきりと宣告するまでは縋っていよう。彼女が謝る謂れは何一つないのだと胸を張れるまでは、キオは情けなくも幼馴染という関係を盾に彼女の傍に駆け寄るのだろう。恋だったのかすらわからない愛情を引きずって、キオはウェンディの手首をもう一度きつく握った。痛がればいいと願ってしまった己の矮小さに無性に泣きたくなった。ウェンディは何も言わなかった。



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それでも、あなたが残した爪痕を頼りに、わたしはこれからも生きてゆく
Title by『告別』



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