穏やかな日だったと、ゼハートは記憶している。
 その日は、朝目が覚めてからダズの用意した朝食を摂っている時点でコロニー・トルディアに情報収集の為に戦闘を仕掛ける予定がないと決まっていた。毎度ガンダムに手を焼かされていることは苦々しくもあったが、その一方で学校での自分の予定が組みやすくなったとも思ってしまう。ゼハートはいつの間にか、トルディアの中で普通の学生として生活することに馴染んでしまっていた。勿論、休日のような扱いの日であったとしても何があるかはわからない。ヴェイガンの人間が紛れ込んで連邦軍の基地から情報を持ち出して外に送信している電波を探知でもされようものならば即座に臨戦態勢に入らなければならないのだから、連絡の回線は常に開いている。それでも、朝出掛けるときから、放課後に教室を出て当然の様にモビルスーツクラブのガレージに向かう仲間たちと、嘘を吐いてまで進行方向を違える必要がないのだと思うだけでゼハートの気持ちは幾分軽いと言ってよかった。ゼハートがクラブに顔を出さないと告げたときの、アセムのがっかりした顔を見ないで済むのだ。

「それでさあ、ユノアの奴がお兄ちゃんは今日夕飯ができるまで帰ってこないでって言うんだよ――」

 ゼハートの前に座るアセムは、声の低さのせいもあってあまり似ていない妹の口調を真似ながら不満を露わにしている。彼の前にある木製のトレイの上に置かれた桃のタルトは手つかずのまま、セットで頼んだラテ・マキアートのグラスの中身だけが減っていく。グラスに纏わりつく水滴を眺めながら、ゼハートはぼんやりとアセムの話に相槌を打っていた。
 トラブルが起こったという連絡もなく、学校は終わった。モビルスーツクラブに、ゼハートとアセムを含め全員が集合したのだけれど、大会に向けた機体の動力部のプログラムを弄るにはまずコンピュータのハードウェアを完成させなければならないのに、その為に必要な部品が足りていないことに作業を始めてから気が付いた。あまり出回っていない部品でもあったので、ゼハートとアセムが店に直接出向いて確認して、あれば購入するし、なければ取り寄せるか代替の部品で補えないかを相談するということが決まり、一応二人以外はその場で解散という形を取った。
 直ぐに二人はパーツ屋に向かったが、生憎その店には在庫がなかった。しかしアセム達のクラブがこの店を贔屓にしていることもあり、店員が別の店に在庫がないか調べてくれることになったのだ。その間の時間潰しとして、二人はカフェにやって来ている。評判のいい店なのか、はたまた立地条件がいいのか。午後のティーブレイクの時間を少し過ぎ、夕飯の準備をしていてもおかしくない時間帯になっても店の中には女性客がそれなりの数いた。男同士という客層は、ゼハート達だけだった。そのせいか、何度か他の女性客からの視線を集めてしまいゼハートはその度に顔を顰めている。対照的にアセムは笑いながら「お前やっぱりモテるよな」などと囃したてていた。その件に関しては、アセムもそれなりに人目に留まれば高評価を受ける見目をしていると思うのだが、わざわざそんな興味のない話題を掘り下げることもあるまいとゼハートは口を閉ざした。
 アセムと二人でいるとき、ゼハートは話題がモビルスーツ関連にならないと饒舌にならない。なれないと言った方がいいだろう。今ではだいぶ矯正されたと思っているが、そもそも身についている一般常識からして違い過ぎる。アセムが冗談で言ったことに真顔で答えてしまい目を丸くされた回数は片手では足りないだろう(そもそもゼハートにはあまり冗談が通じないのだが)。
 この日も、アセムの取り留めのない話にゼハートは短く言葉を挟みながらも聞き手に回っていた。ゼハートには縁遠い、善良で幸せな家庭からもたらされる家族の話。興味はなかった。けれど退屈だとも思わなかった。ゼハートはアセムの声を聴いているのが好きだった。普通の少年の声。傍で響く音が、ひどく心地よかった。テレビだか雑誌だか知らないが、外から妙な影響を受けた妹が突然料理に目覚めて夕飯を自分一人で用意するから、アセムはいつも夕飯を食べる時間になるまで帰って来るなと言われたらしい。別に妹の料理をしている姿をつぶさに観察して気を散らそうなどと思っていないのだが。そう不満をつらつらと述べる割には、妹の行いへの不平はあっても妹自身への不平には至らないのだなと思いながらゼハートは頷いた。無意識に、口元が緩んでいたらしい。

「何で笑うんだよ! 俺が兄貴なのに、妹に追い出されてるんだぞ?」
「いや、アセムは妹想いだな」
「お兄ちゃんなんだからって母さんまでユノアの味方するの目に見えてるんだから、しょうがないだろ!」
「はは、仲が良いんだな」
「だから違うって!」 テーブルの上で拳を作りながらアセムは拗ねたように唇を尖らせる。そんな表情を見ても可愛いと言ってはならないことをゼハートは学んでいる。ゼハート自身、アセムに対して可愛いだとか好きだとか、意識する回数が多くなればそれだけいつか自分の首を絞めることになると理解しているので自重しようとは思えども感覚というものまではなかなかコントロールできない。それよりもアセムが自分の前で無防備すぎるのだなと今では問題をすり替えてしまっている。
 ――重症だな。
 緩く笑う。楽しんではいけないのに。ただアセム・アスノという人間は、人生のどこかで偶然出会い親交を深める相手として非常に魅力的だった。踏み外した自覚はある。それは人間という種がもつ倫理観からか、ヴェイガンの戦士としての誇りからか。しかしそれは、アセムを前にして悩むことではないだろう。彼は目の前の人間が悩んでいる様を放っておくような人間ではないのだから。
 開いてしまった間を持たせようと、ゼハートも注文したアイスティーに口を付けた。氷が溶けきって水分が上澄みとなり茶葉の味に届かなかった。食べ物は時間帯が微妙だったので頼んでいない。アセムはフォークを手持無沙汰に彷徨わせ、タルトをぺちぺちと叩いた。

「行儀が悪いな」
「ん」
「――何だ?」
「これ、やる」
「は?」

 まだ一口も食べていないタルトの皿を、アセムはゼハートの方へと押す。折角頼んだのにと首を傾げるゼハートに、アセムはそっぽを向いて手を引っ込めてしまう。ラテ・マキアートのグラスはとっくに空になっていた。

「食べないなら頼まなければ良かっただろう」
「お腹は空いてたけど――」
「けど?」
「腹が減ってれば、どんなものだって美味しいって言ってやれるかもしれないじゃないか」
「……なるほど」

 そっぽを向いたまま、しかしアセムはゼハートの前で適当な言い訳はしなかった。正直に、だからこそ何気なさを装っては打ち明けられないようだったけれど。
 ゼハートは、アセムの言葉に浮かべたままの笑みを僅かに深めてそれ以上は何も言わない。彼が押し付けた皿を自分の手前に引き寄せて、フォークを取りタルトを口に運んだ。甘い。そう感想を漏らすと、アセムもやっと楽しげに眼を細めた。

「アセムは妹想いだな」
「やめろって」
「そんなアセムが俺は好きだな」
「……俺もゼハートが好きだよ」
「光栄だな」
「お互いにな」
「食べ終わったら、店に戻ってみるか」
「そうだな」

 二人して、恥じらいもなく。年頃の男子が、緩やかな喧騒の中で「好き」だなんて言葉にしてみせたりして。ゼハートの手は規則的なペースでタルトを口に放る。アセムはぼんやりとそれを眺めている。ゼハートが静かに物を咀嚼する姿を美しいとすら思っている。けれどそれだけ。
 ゼハートの手が、フォークを置いたらパーツ屋に戻り報告次第で明日以降の予定を打ち合わせて他の仲間たちにメールを送らなければならない。それから、アセムはトルディア内でも有数の敷地面積を誇る自宅に戻って、けれどありふれた家族の群像の中で妹の思いつきに振り回されて、付き合って、笑うのだろう。その行き先は息を潜めるように暮らしているゼハートとはあまりにかけ離れている。
 けれどこうして向かい合っている二人の姿は、傍から見ていてどこまでも対等な、制服を身に纏うただの同級生だ。本人たちも、そう信じている。
 特別な感情の欠片さえ覗かせず、友だちのようでいて無意識のうちにそれ以上を認め合う二人の、どこまでも穏やかな日の出来事だった。



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愛に生きなきゃならないほど今の生活に困っていません
Title by『にやり』




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