幼なじみの父親である宇宙海賊の首領を前に、ウェンディはハロを抱えたまま途方に暮れた。腕の中で耳の部分をばたつかそながら何度もアセムと叫ぶ。その名は幼なじみや彼の家族の口から聞かされた名ではあったけれど、目の前の人物が名乗った名前はハロの呼ぶそれとは違う名だったから、ウェンディはどうしたものかと思案した結果、自分と彼の間に立つ少年を借りた。

「キオの、お父さん」

 ウェンディの声に、吐き出した単語に、目の前にいる人はその意味を肯定した。目元が一瞬優しくなって、それから唇が穏やかな曲線を描いた。キオという音だけで彼はこんなにも穏やかな空気を纏えることを、ウェンディは当然とも、意外だとも思った。13年、大人である彼にとっては、生きてきた年月の半分に及ばない。しかしキオにとっては全ての時間、ウェンディにとっても似たような時間、彼は家族を置いて宇宙にいた。死という絶望をもっとも愛する人たちに突きつけて生きていた。もしかしたら一生出会えなかったかもしれない。ウェンディならばその可能性を引き当てる。けれどキオは違ったのだ。アスノの血を継いで生まれ落ちた瞬間に、経緯は違えどもいずれはAGEデバイスを手に戦場へ赴いていただろう。
 ――運命? いいえ、ただの尻拭いよ!
 ウェンディは、キオが戦わなければならない理由をずっと考えていた。キオの母親から聞かされる彼の父親の話、キオから直接聞く父親の話。輝かしい称号なのだという。連邦のエースパイロットだった、白いガンダムの軌跡。優しい恋人で、夫だったという。悲しい哉、空白の父親の記録を埋めるようにキオはガンダムを求めた。玩具じゃない。彼が本当に戦場に飛び出すまで、ウェンディも知らなかった。
 宇宙海賊の首領と向き合うなんて経験も、大切な男の子の憧れをちょっとだけ煙たく感じる狭量さも、きっと知らないで良かったはずなのに。

「――ユノアはいるかな」
「えっと…」
「ちょっと怪我をしてね、手当てを頼みたかったんだが…」
「それなら私が看ますよ!」
「キミが?」
「ユノアさん、さっき休みに部屋に戻ったばかりなんです」

 バラノークの医務室は、ディーヴァのと棚や寝具の位置が似ていて直ぐに慣れた。元は先代のビシディアンの首領が連邦軍から強奪した戦艦だから設計上似たり寄ったりの箇所があっても不思議ではないと教えてくれたのはユノアだった。ユノアはその話を兄さんからの受け入りだと茶目っ気を滲ませたウインクと一緒に教えてくれた。そうなんですかと頷くしかなかったウェンディは、ついキオはこのことを知っているのかと尋ねていた。海賊船のルーツなど親子の話題に乗せていいものか判別しがたいが、ユノアに聞かせているならばキオにだって聞かせて欲しかった。それは、ウェンディの一方的な願い事に過ぎないけれど。結局、ユノアも親子の間でどのような会話が交わされているかは知らないと言ったのでその話題は打ち切られた。どうしてか今、アセムを前にしてそんなことを思い出していた。
 椅子に座って患部を見せるよう告げると、アセムは左手の甲をウェンディの前に差し出した。手袋の外されたそこには赤い線が走っており、血は止まっているが傷口は固まっていない。ウェンディは反射的に顔を顰めた。役職上見慣れているとはいえ、明らかに傷を負ってから暫く放置されていたと思しき具合が気になった。
 ウェンディの表情から不穏な怒りの気配を察知したのか、アセムは右手で困ったように頭をかいた。十代の小娘相手に怯まないで欲しいような、医療従事者として認められているような複雑な気持ちになる。

「ダークハウンドの整備をしているときにやらかしたみたいなんだが、気付かなくてな…ブリッジに戻ってから痛み出したものだから…」
「……?キオのお父さんは、メカニックもやってるんですか?」
「いや?自分の機体だけだし、勿論ウチのメカニックにも頼っているよ」
「でもキオはメンテナンスとか、起動チェック以外は全部ロディさんたちに任せてますよ」
「ああ、それは単純に教わらなかったんだろう」
「お祖父さんに?」
「ああ」
「…あなたと違って?」
「いや、俺は軍人だったからね。それから――」
「……?」
「いや、何でもない」

 アセムの傷口を消毒して、大きめの絆創膏を貼る。作業をしながらの会話は、相手がキオの父親だと意識するだけで手元への注意に比重が傾く。アセムは宇宙海賊の首領で、艦長だ。けれど頻繁にモビルスーツで戦場に飛び出すし、挙げ句にはメカニックの仕事もこなすらしい。多才とは言わないのだろう。パイロットとしては最低限の技量だと言わんばかりの平然とした口振りについキオと比較してしまった。彼はパイロットとしての操縦技術をゲーム感覚で特化して磨いてきた為、整備に関しては一切の技量を持たなかった。元来アスノ家は優秀なパイロットを排出する家系ではない。モビルスーツ鍛冶という、寧ろモビルスーツを弄ることを専門とする家系のはずだ。それでもキオの教育方針を鑑みれば、フリット・アスノが孫をガンダムに乗せることを決めていたことがあけすけて見えて、ウェンディは気が鬱ぐ。
 身についた技術を軍人だからと言いきったアセムに、それはフリットに示された道だったのか尋ねてみたかった。けれど、傷口から漸く顔を上げて捕らえたアセムの表情に、ウェンディは口を噤んだ。――それから。その後に続くのは、どんな言葉だったのか。既にアセムに引き取られた答えには追い縋れない。
 優しい瞳だった。哀しくて、温かくて、煌めいて、それからどこか子どものような瞳だった。本当に一瞬、目の前のウェンディを透過して、アセムはどこか遠くを見ていた。それが、彼の現在に繋がる、人生の岐路における選択を決定づけるほどの出会いを経験した学生時代だとは見抜けない。ウェンディはまだ、あの頃のアセムよりも幼かった。

「――手当て、終わりましたよ」
「ああ、ありがとう」
「……あの、私――」
「ん?」
「私、キオのこと、大好きなんです」
「……そうか」
「だから私、この怪我のこと、キオに言いませんから!」

 ウェンディの唐突過ぎる告白に、アセムはしかしその言葉を理解すると嬉しそうに微笑んだ。稚拙な想いだと侮られただろうか。恋と親しみを区別してくれただろうか。緻密に語らうには、二人の関係は間に当事者をもう一人こさえなければならない。そしてその当事者は、まさかウェンディとアセムが二人きりで会話する事態に遭遇しているとは思わないだろう。それくらい、ウェンディにとってアセムはキオの父親でしかないし、アセムにとってウェンディはキオの幼なじみの少女だ。若しくはユノアの部下。だから、アセムの慈しむような視線を、キオの関わらない過去に向けられると息子以上に無関係のウェンディは困ってしまう。咄嗟に振りかざす主張は、きっと声が震えている。

「キオが――父さん父さんってそればっかりなの、私、ちょっと悔しいですから」
「あはは、喜んでいいのかな…」
「別にいいですけど。キオのことなら、お父さんより私の方が詳しいんですよ!」
「うん、きっと…そうだろうね」
「だから、怪我の話なんかしたらキオは心配してそっちに行っちゃうから、私、言いませんよ」

 アセムは何も言わない。ただじっと、先ほどとは違う類の慈愛の眼差しでもってウェンディを見つめている。
 嫉妬でも対抗心でもない。本当はただキオの哀しい顔が見たくないだけ。ウェンディの内側を見透かすような視線は穏やかな空気を連れてくるけれどいたたまれない。大好きな男の子の、その父親。手当ての為に放り出したハロはこんな時に限って黙り込んでいる。
 目の前の大人の男を見て、ウェンディは無性にキオに会いたいと思った。


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語らずの人
Title by『さよならの惑星』


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