星空が見える。仮面の下で瞼を閉じればいつだって。

 成さねばならないことがあった。それがゼハートの生きる指針となって、夢幻の光景に向かって道は果てなく伸びている。イゼルカントが見せてくれたエデンの中に立つゼハートの心には決意と共にやがて焦燥が滲み始める。早く辿り着かなければと、そればかり思っていた。戦場で積み重なっていく兵士の死体と、悪辣な環境で朽ちていく無力な民の悲劇がヴェイガンを滅ぼす前に、早く。散っていった人々の想いを背負って修羅の道すら歩んでみせようと、亡霊の如く背中にべったりと貼りつき耳元で響く怨恨の声に心が悲鳴をあげようとも立ち止まりはしなかった。それなのに。
 いつもいつも邪魔をする奴がいる。エデンへ辿り着く為に、邪魔者は早急に排除しなければならない。乗り込んだ機体と、叩きつけた白い悪魔。相手の攻撃を避けることなど造作もなく、後は此方が照準を定めて引き金を引くだけ。射撃に不安があるならば間合いを詰めて一閃、コックピットを貫けばよかった。悲鳴も聞こえないだろう。血を流すことも、裂けた肉と砕けた骨を見ることもなく高熱の光に一瞬で焼けていくだけ。敵であると知れば同情することも我が身に照らし合わせる必要もない。薙払い突き進むことがゼハートの望む未来への扉の鍵だった。その鍵を悪意なくゼハートから取り上げ、隠してしまった少年の名を、アセム・アスノという。
 いつもいつもゼハートの邪魔ばかりするアセムは、彼の特別を占有する少年だった。2人を結び合わせてくれた少女も、彼等を取り巻いて日々を過ごした仲間たちも大切だった。ヴェイガンの戦士として戦場を駆けるだけならば、きっと知り得なかった穏やかな時間の中でたおやかに永遠に似た完全さで鎮座し続ける人々。それは同時に、遠い過去の思い出としてしまっておける人々だった。けれどアセムは、アセムだけは振り払うことも押し込めることもできないままに何度もゼハートの前に現れた。容易く退けられると自負しながら、決定的なとどめを刺すことを躊躇った。殺せなかった、その現実がゼハートの歩みを徐々に阻み始めたとしても、それでも。

『人と人との繋がりは――そう簡単に消えたりはしない』

 アセムの言葉。トルディアで卒業を間近に控えた頃、遙か遠くから光を届ける星々を見上げながら彼が言った。それぞれ別の道を歩むはずだった自分たちを励ますための言葉。その言葉に、間違いなく希望を見出していたことをゼハートは忘れない。それほどまでに楽しい日々だった。楽しいという感情自体が戦士として生きるのに似つかわしくないと理解していた。ただアセムたちとの日々を過ごしていた自分は戦士ではなくただの学生に過ぎなかったとゼハートは信じたい。そうでなければ全てが嘘になる。笑いあったことも、いがみあったことも、ふざけあったことも何もかも。思い出を惜しむには長く留まりすぎたのだ。過去は変えられない。だから未来のためにゼハートは過去を割りきりたかった。誰かに打ち明けることもない、こんなこともあったと、ただそれだけのこととして心の片隅に留めることができれば満足だった。
 その為の仮面だった。


 いつからか眠ることが怖くなった。独りの思考に費やす時間が億劫だった。迷うはずがない理想の途中、犠牲にしてきた亡者たちの影がベッタリと背中に貼りついていた。それはXラウンダーとして優良であるが故、十代の若造の配下として扱われることへの敵愾心も、家族を盾にされたという憤りも、何も成せてなどいない人間への過度の期待感も全て孕んでいた。相手が生者であれ亡者であれ、応える方法はひとつだった。エデンに辿り着くこと。それだけがゼハートに全てを報わせるはずだった。
 しかしやがて真実はゼハートを打ちのめし、歪めた。望んだ未来は示されていた道から外れ清らかなまま。ただ道が見えなくなった。その絶望に沈み自分を慕ってくれた、愛してくれた、想っていた人々を犠牲にしてしまった。死んでいった人たちを覚えていることはできた。けれど死んでこいと送り出したことなどなかったのに。自分が壊れていく。心にヒビが入って割れていく。それでも進むしかないと前に足を踏み出す度に零れ落ちて行く心の欠片は果たして誰が拾い集めてくれていたのだろう。受け取りに後戻りすることもできないゼハートには無意味な問いだったのかもしれない。もしかしたら、問うまでもなく答えを持っている事実だったのかもしれない。実際はもう、前に踏みだしたと思っているだけで、方向感覚さえ怪しいほどに血の沼に足を絡め取られていたけれど、その答えだけは間違えるはずがなかった。

『おれがお前を止めてやる』

 時間の流れに逆らったゼハートには数年前の邂逅。たおやかに時を重ねた彼には――アセムには、四十年という時間の中のたった一年と少しの思い出。それを、彼は見失わずにここまでやってきた。心を壊していくゼハートに、落とした欠片を投げつけてお前は間違っていると憚ることなく、あの日共に死ぬことすら大切な人々と地球を守る為に受け入れた場所で語った理想という正義を突きつける。
 忘れたことなどなかった。忘れる必要もなかったはずの思い出だった。それを無理に塞ぎ、生まれた場所の違いからそれを表面化させれば自分たちの絆は消え去ったものと決めつけて郷愁にすら似た愛執を抱いた。それすらゼハートのどうしようもない勘違いだったと、二十年以上の時を経てアセムは教えに来たのだ。ただ、道を違えた。それだけのことだと。

『おれたちは――ずっと友だちだ』

 光が弾けた。Xラウンダーの力を御する必要がなくなり外したはずの仮面は、それでも優しさを捨てきれず弱き民を裏切れずイゼルカントの理想を引き継ぐと決めたときからずっとゼハートの全身を覆っていた。それが、ようやく捨て去れた。そして見た。あの日見た、星の光。ずっと繋がり続けると言ったアセムの言葉に頷いた自分をどうして忘れていたのだろう。どうして、アセムを、ロマリーたちを大切に想った自分を認めてやることができなかったのだろう。
 振り返ればきっと、悔いだってある。けれど眩む視界と意識の中でするべきはそんなことではない。限界が近いレギルスのコックピットからアセムを押し出す。聞こえるだろうか。きっと聞こえない。けれどどうか、伝わってくれるといい。この広大な宇宙でただひとり、ゼハートを殴りつけて叱ってくれる友に、たった一言、万感の想いが。

「――ありがとう」

 願わくば、あの日見た星空のひとつになって君と、君の大切な人たちを照らせますように。



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∵ノスタルジア






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