ぐすぐすと鼻を啜りながら泣きっ面を胸に押し付けてくる浩一を抱きとめながら、森次は明日の予定を思い浮かべこの鼻水と涙のついたスーツをクリーニングに出しにいく時間を脳内で捻出する。金銭面で不便はしていないが面倒だ。かといって汚れたものを捨てては新しいものを仕立て直せば贅沢者めとまるで庶民代表のような顔で森次の手間を増やしている浩一が詰ってくるのだ。全く、面倒だ。
 浩一は存外よく泣く。小さい頃は苛められっ子で直ぐ泣く子どもだったというが、今も十分に存分に泣く。感情の振り幅が常人から外れているわけではないのだが、直面する事態全てを真に受けて振り回されている所為なのか打たれ弱い。JUDA内でも社長の悪戯に驚きだったり怒りだったり悲しみだったり、感情が爆発すれば泣く。高校でも理沙子や城崎とうっかり喧嘩をしようものなら泣く。道明寺に弄られて泣く。戦闘中であってもまさかの敵の総大将である加藤久嵩の言葉に混乱させられて泣く。うっかり人家に被害を出してしまえば落ち込んで、反省し、それから泣く。
 涙は女の武器であるというがこうも連投していれば価値もない。だが浩一の涙はそんな打算を一切含んでいない半ば反射的なものであるから扱いが難しい。構い倒してやってもいいのだが、そうすると際限がない。浩一の周囲にばかり人員を配置するわけにはいかないと、尤もらしい口調で石神が森次に提案したのが、特務室の室長なんだからちょっと早瀬君のメンタルどうにかしてあげてよという何とも雑な任務だった。どうせ面白がっているだけだとわかっているが、真に受けた浩一は泣きそうになると決まって森次を探しまわるようになった。挙句抱き着いて、ぐすぐすと理由も明かさず泣き続け、気が済むとふらっと何処かへ姿を消す。礼も謝罪もないその行為の繰り返しに、流石の森次も疲労を覚え始めた。何せ浩一に抱き着かれている間は森次の行動は停止してしまうのだ。ヴァーダントの整備が終わったからちょっと来てくれと牧に呼ばれていても。緒川に呼ばれ石神の待つ社長室に向かう途中だとしても。出張から帰り漸く一休みできるという時であったとしても。森次は健気なまでに浩一の涙を受け止める壁に徹していた。

「ううーん、言い出しておいてなんだけど、投げちゃってもいいんだよ?」

 石神の言葉に、森次は平気だと一言返しただけでそれ以上の提案を拒んだ。出歯亀精神で他人に厄介事を押し付けて置いて何をと若干非難めいた視線を向けて見ても石神は動じない。寧ろ森次の冷ややかな視線はいつものことと気付いていないのかもしれなかった。

「でも森次クンさあ、浩一クン躾けるどころか手を焼いてるって聞いたよ?」
「――誰にでしょう」
「城崎くん、他特務室の人間数名」
「早瀬軍団、ですか」
「君、嫌われてるの?」
「…………」

 表情筋を動かさず、早瀬軍団を名乗る面子の顔を思い浮かべる。道明寺を筆頭に、幼馴染や城崎、シズナ。最近では宗美まで加わっているようで、浩一を挟んで一方的な敵視を受けている森次としては頭が痛い。痛覚はないが、痛い。
 特に城崎は、初め自身にとって特別な存在であるラインバレルのファクターになった浩一を男だと思っていたらしく、その言動を監視している間は彼は最低だと憚ることなく公言していたにも関わらず、浩一が正義の味方として節度ある行動を心がけるようになったことと併せて彼ではなく彼女だということが判明してからはそれはもう年の離れた妹を持つ姉のように浩一を甘やかそうとしている。状況が許さない場合もあるだろう。だが出来るならば浩一に戦闘など行わせず、加藤機関など滅び去れと念じているのではないかと疑う程である。
 浩一の幼馴染や道明寺、シズナたちも程度の差や接し方に差はあれども根底は変わらない。早瀬軍団に名を連ねるイコール浩一を甘やかすことに定評のある連中に他ならない。そんな連中からすれば、今の森次のポジションが気に食わないというより単純に羨ましいのだ。浩一の方から甘やかして欲しいと近付いて来るだなんて、これが目一杯甘やかさずにいられようか。

「まあ君が降りないっていうなら別に良いんだけど」
「はあ…」
「後ろから刺されないようにね?」
「気を付けます」

 そんなやり取りをして社長室を後にしたのが今から一時間ほど前のこと。それから真っ直ぐ部屋に戻り、明後日からの出張の準備に取り掛かっていた。すると部屋の外から情けない声で何度も森次を呼ぶ声がするものだから、ロックもしていない扉をわざわざ開けてやる為に立ち上がり、出迎えた。果たして、そこには堪えきれない涙を零しながら顔をぐしゃぐしゃにしているであろう浩一がいた。扉が開いて、目の前に森次がいると気付いた途端抱き着いて、ぐすぐすとかれこれ三十分以上は泣き続けている。目元は真っ赤で、声を上げないだけ喉の痛みはないだろうが呼吸は楽ではないだろう。身体の限界ぎりぎりまで泣いて、もうこれ以上は泣く以上にしんどいと身体が判断すると自然と涙も引っ込むらしい。不思議な体質である。

「……森次さん、明後日から出張なんですよね」
「ああ」
「…………」
「何だ」
「出来るだけ、早く帰って来てくださいね」

 でなきゃ寂しいって叫びながら城崎たちの前で泣いてやると森次の胸にまた顔を埋める浩一に、森次はこれだから城崎たちには任せられないのだという本音を飲み込んだ。
 森次だって、可愛いとか甘やかしたいとか好きだとか。そんな打算を働かせずに浩一の涙を受け止める壁になんてなってやれる筈がないのだ。




背の骨ひとつゆずれぬほどに
Title by『ダボスへ』
20130606




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