コロニー・トルディアの季節の設定が来週から夏に切り替わる。クローゼットの衣替えがまだ済んでいないだの、メインストリートにあるジェラート屋の価格が需要に合わせて下がるだの、女子の露出が増えるのが楽しみだのと、シャーウィーたちが文句とも取れない次の季節への期待を口々に発するのをゼハートは黙々と作業に没頭するふりをしながら耳を傾けていた。彼には馴染みのない四季という時節。またその移ろいに合わせて巡る人々のライフスタイルは、地球圏のスペースコロニーの中で安寧に流れる時間に娯楽性を加味したものだ。火星圈で生まれ育ったゼハートには理解できない、惰性で命を浪費しているとすら感じる日常。潜入工作、情報収集とヴェイガンから与えられた大義名分がなければ、故郷の惨状が過ぎる度に申し訳なさで今すぐにでもこのトルディアを破壊してしまいたいくらいだった。白くくすんだ世界、一日を配給による食糧で食いつなぎ、だが日々を生き抜けばそれだけ愛する者を失う絶望に直面し、マーズレイを発症する可能性を高めるだけ。明日への希望ではなく、いつかの未来に地球圏へ帰還するという希望に縋って生きるしかない、そんな日々しかゼハートは知らない。
 MSクラブの部室でもあるガレージの中、和気藹々と語らう仲間たちをよそにゼハートの思考は薄暗く沈んでいく。結局彼らは自分とは別世界で気楽に生きてきた地球種なのだと敵愾心にも似た悪意が膨らんでいく。そしてそれがヴェイガンの戦士である自分の本来持つべき感情なのだと肯定する。

「服装が変わるだけだろ?作業着でいるのがしんどくなるし…夏のどこがそんなにいいんだよ」

 ゼハートの隣にいたアセムから、浮かれた雰囲気に水を差す言葉が飛び出す。案の定、ノリが悪いと不評を買っているが本人は前言を撤回するつもりはないらしく。アセムはゼハートの手元にあるタブレットを覗き込んでは彼が打ち込むプログラムによって駆動系の既存値が上方修正されていく様に感嘆の声を上げる。どうやらアセムは来週到来する新たな季節よりも今目の前で性能を上げていくモビルスーツに執心だった。その事実が、ゼハートの気持ちを驚くほど軽くする。時折凄いなと瞳を輝かせながら見上げてくるアセムに、大したことじゃないと当たり障りのない謙遜で身を引くことを忘れてしまう程に。拒まれないことに気を許したのか、その日アセムは比較的ゼハートの傍にいることが多かった。尤も、他の面子が延々と夏の予定に夢想を繰り広げていたから肩身が狭いもの同士で固まっていただけとも言える。それでもゼハートは悪い気はしなかったし、級友たちの平和ぼけした会話に心をかき乱されることはなかった。

「夏は別に好きじゃないけど、長期休暇があるのはいいよな。一日中部活できるしさ」

 アセムがそんなことを言い出したのは、部活も終わった帰り道でのことだった。バイクで通学しているのがアセムとゼハートの二人だけという環境が手伝って、途中まで一緒に帰ることが多い。寄り道をすることも多く、今日もパーツ屋に寄って行こうと道路脇のパーキングにバイクを駐車して店までの道を歩いているところだった。
 ゼハートはアセムの言葉の意味を理解するのに時間が掛かってしまう。大抵の齟齬は生まれ育った環境の違いで誤魔化せるけれど、気持ちの乱れはそうはいかない。暗くなりはじめた道の途中、建物の明かりや街灯が照らす微笑みは部活中に嫌悪感を抱いた呑気なものと大差ない。ガンダムに乗り込みヴェイガンと交戦したことにあるアセムでさえ、戦場を離れればこんな風に学業と部活動のことで頭がいっぱいになる。そしてそれは彼にとっての日常なのだ。ゼハートにとっては任務の延長にある偽装。何にせよ、長期休暇を迎えれば下手な学生を演じなくて住む気楽さからアセムの言葉を肯定しておくことにした。アセムの言い分では夏休み中も学校に出向かなくてはならないのだろうが。

「ゼハートは休暇中に予定とかあるのか?故郷のコロニーに家族もいるんだろ?会いに帰ったりとかは…」
「いや、特に予定はないな」
「そっか。俺もどうせ父さん帰ってこないし、どこか行ったりもできないだろうなあ」
「…それは…残念だな」
「うーん、まあ暇人同士仲良くモビルスーツいじってようぜ」
「本当にいつも通りだな」
「いいだろ別に」

 ころころと表情を変えながらアセムはゼハートの隣を歩く。すれ違う人影はまばらで、しかし対向からのやってくる人を避けようとすれば時折二人の肘がぶつかった。その近しさが、出会った日からゼハートには気恥ずかしい、得体のしれない恐怖と相反する心地よさをもたらす不可思議な想いをその胸に波及させている。そしてどんな感情であっても、矛先がアセム・アスノに向かっている以上自分にとってはマイナスにしか働かないことにも気が付いている。嫌悪でも憎悪でもない、そして友情でもない親しみを逸脱した愛情という類のもの。こんな風に二人きりで並んで歩けることに愉悦を抱いている。それはアセムと共にいるときにだけ湧き上がる感情で迂闊に口外することなど決してできない恋情だった。
 いつかゼハートはアセムの前を去る。父親の言いなりになって士官学校へ進学すると口にする彼もいつかは軍人になるのだろう。アスノ家の人間というだけでガンダムに乗って戦場に立つのだろう。ヴェイガンの宿敵とも呼べるほどの存在になった悪魔の兵器に乗り込んで、敵として相対する日がくる。余計な情が湧く前に適切な距離を取るべきだったと、アセムを特別に意識し始めてからようやく気が付いた。地球種の生温い日常に絆されている、そんな自嘲が口元に浮かんでもどうしてか後戻りができないままでいる。

「――なあアセム」
「ん?」
「俺は、お前と出会えて良かったと思っている」
「な、なんだよ急に」
「いや、こんな風に誰かと休暇を過ごす予定について話し合ったことがなかったからな…。新鮮でつい口が滑った」
「……お前、友だちいなかったのか?」
「―――想像に任せる」

 柄でもない台詞を吐いた自覚がある分アセムの訝しむ反応が気まずい。パーツ屋への足を速めたゼハートに、数歩分の後ろから慌てた様子で名前を呼ぶアセムの声が取り残される。いつか、こんな風にアセムを置き去りにする日がくるのだろうか。できるだろうか――否、できるに決まっている。
 そうでなければ、ゼハートは自身が自身であることを肯定できない。己の理想と故郷で苦しむ民とを地球連邦軍総司令の息子と比較して悩むことなどあってはならない。アセムを意識する上でそんな敵としての肩書が役に立たないことには意図して無視を決め込んだ。恩人と、故郷と、自分を裏切って仮初の平穏を選ぶ背徳をゼハートは拒絶する。
 けれど。そんな風にして志を立てて生きようとすれば同じだけ大切に想っているアセムを裏切る背徳が未来に浮かび上がるだけ。そして初めからわかりきっていたことである別れが、近付いて来た夏の暑さとは裏腹にゼハートの内側を急速に冷やしていく。

「なあゼハート」
「…何だ」
「まあ、俺もお前と友だちになれて良かったって思ってるよ」
「――そうか」
「うん」

 ゼハートに追いついたアセムの寄越した言葉に、一瞬でも友情という繋がりに歓喜を。友だちという特別ではない普遍に落胆を覚えた心には蓋をして。いつか身に負う裏切り者の謗りへの覚悟も決められないまま、せめてこの想いが恋でなければもっと容易く未来の背徳を受け入れられただろうかと不毛なことを考える。それはゼハートの隣を歩くアセムが、機械で調節されているコロニー内の夏の暑さを厭わしく心配することと同様に無駄なこと。
 罪も罰も、やがて彼等の前に晒される。その日まで、彼等は友情と恋に浮かされて生きて行く。二人の前途を示す様に、周囲の暗がりはすっかり夜に落ちていた。



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いたいけな季節
Title by『弾丸』

企画『.com』様に提出



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