零れるような星空だったら良かったのに。見上げるコロニーの天井は、重力の向きさえ変われば地面にだってなれる。私たちはあの日何処に居たのだろう。そんなことを時々エミリーは考える。アルスハーレンの丘、行こうと強請ったのはエミリーだった。ガンダムの稼働実験があったのに。きっと自分が声を掛けなければフリットはプラネタナイトなど微塵も興味を示さなかった。そして彼を困らせる形であったとして、あの丘へ共に出向かなければエミリーはきっと今頃フリットの傍にはいなかっただろう。あの日駆け出した背中を追い駆けたこと、独りきりで行かせはしなかったこと、それは今でもエミリーの誇りであり、間違ってなどいなかったと胸を張って言える真実だった。
 ――けれど。
 同時に少しだけ見失ってしまったのだ。小さな背中、子どもの背中、男の子の背中。目を凝らせば霞の中で見つけられるような、そんなぼんやりとした距離感に嵌まって動けなくなった。追い駆けることにいつだって迷いはないのに、どうして追いついて隣を歩くことが出来ないのだろうと物悲しくもなる。

「――フリット」
「……ん」
「ご飯、そろそろ食べないと。調理長さんも困ってるわ」
「――うん、」
「…聞いてないんだね」
「――うん、」

 直前までの戦闘で得たデータを、PCモードにしたハロに打ち込むフリットの意識は俯きがちで、正面に立っているエミリーにすら視線を上げない。熱中しすぎるといつだってこうなのだと、腹立たしさは毎度湧き上がれども力尽くで立ち上がらせるには諦めが勝る。パイロットスーツから着替えているだけ、まだましなのかもしれない。
 フリットに戦場へと出向いて欲しくないエミリーとしては、パイロットスーツ姿の彼には未だ馴染むことができなくて、帰艦して早々に着替えてくれることは寧ろ好ましい。初めから着ないで済むことにこしたことはないのだが、それはフリットの意志を曲げられないと悟った以上妥協するしかない。
 昔から、少なくともフリットがノーラにやってきてガンダムの開発に着手してから、彼の生活はガンダムを中心に回っており、それ以外は常に蔑ろにされてきた。人間として最低限必要な睡眠や食事に対しても彼は無頓着な生活を送り、お節介だと顔を顰めながらもエミリーがいなければフリットは何度も病院送りになっていたに違いない。それほどに、同い年の少年に対して不摂生という印象をエミリーはフリットに対してのみ抱くようになっていた。
 格納庫から食堂への道のりを思い描く。エレベーターに乗って、通路を歩く。遠いなんて思わない。ただ億劫なのだろう。フリットは、大切な人に死んでほしくないと強く願う割には、自分が生きているという現実への執着が薄い。戦場に臨めば、最低限の安全が約束される場所に於いては誰もがそうなってしまうのか、エミリーにはわからない。わからないけれど、エミリーはフリットのことが好きだったから、あまりに危うく、希薄な生を歩んでほしくはなかった。

「……フリット」

 小さな呼びかけは、今度はフリットの耳に届かなかったらしい。それでもエミリーは落胆しない。振り向いて欲しい願いを否定はしないけれど、叶わない些細な願いをいちいち砕けた破片まで拾い上げていてはきりがない。痛む心はひとり蹲るベッドの中で癒せばいい。
 それから、エミリーは辛抱強くフリットの作業が終わるのを待った。彼と一緒に取ろうと時間をずらした食事は空腹を助長して、それでも間抜けな音を鳴らさないだけ女の子として最低限場の空気を読んでいるとエミリーは自分の身体のことながらに感心してしまった。

「よし、取りあえずこれでいいかな」
「――終わった?」
「うん、あれ、エミリーずっといたの?」
「いたよ!ほら、作業終わったならご飯食べに行くよ!」

 失礼なことを言う。フリットでなければエミリーにこんな不躾な無視を明らかにする言葉を発することはないし、フリットでなければエミリーは絶対に我慢ならない言葉だった。憤慨したように、呆れているように見えるだろうか。本当は、いつだってフリットの瞳に一瞬でも映り込んだ自分を確認しては安堵している。目の前にいるだけでは拭いされない不安を一時でも解消する手段を探している。ガンダムや、UEから意識を逸らすことに成功すれば、それだけでエミリーの胸中には所詮はまやかしでしかない安らぎが広がる。
 だから、思わず掴んでしまった手は決して力尽くなんて粗野な手段に甘んじたのではない。嘗てフリットが否定しながらもエミリーは信じていた平和な時間に、ノーラで過ごした、もう取り戻すことのできない故郷で過ごした、その名残の幼さと無邪気さが咄嗟にフリットを急かす為にその手を取ったのだ。まるで、学校に遅刻してしまうからとバス停まで走った、いつかの朝の風景に立ち返ったかのような錯覚に惑わされて。思えばあの頃、もっとフリットの言葉や行動を理解してあげられていたのならば、スタート地点は今より近かったのかもしれないだなんて、どうしようもないことを考える。一緒にプラネタナイトに行ってくれるかしらなんて前日の夜からそわそわする、少女らしさよりもずっと、戦争を差し迫ったものと日々を過ごす少年の熱意を汲んでやれる自分だったらと。

「ねえ、エミリーもまだご飯食べてないの?」
「そうだよ、フリットと一緒に食べようと思って迎えに来たら、全然気付いてくれないんだもん」
「呼んでくれたらいいのに」
「何度も呼びました!でも気付いてくれなかったの!」
「……ごめん、あと、待っててくれてありがとう」
「どうしたの?お礼なんて、変なフリット」
「なっ、何でだよ!エミリーがずっと待ってたって言うから僕は――!」

 エミリーがどれだけ親身に日常的な世話を焼いても、彼女の温かみを顧みることのないフリットだったから、突然の謝意に彼女は純粋に驚きで目を見開いた。その反応を失礼だと憤慨するフリットは、エミリーに掴まれたままの手を振りほどこうとはしない。低重力の格納庫を浮かんで移動しながら、手を繋いだ至近距離に高鳴らない胸がフリットの薄情さであり、現実の悲惨さを如実に物語る。
 そしてやはりエミリーは、そんなフリットの態度に痛みと共に経験と諦めを詰む。この先もフリットと一緒に生きていく為に、期待をしないで生きることはできないけれど、傷だらけに泣いて彼を責めるような稚拙からは早々に抜け出さなければならないのだ。
 終わりの見えない戦いの中で、せめてフリットが食堂に着くまでこの手を離さないでいてくれたら、それだけが、今エミリーが抱く淡い期待だった。


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何度だって呼ぶよ
Title by『弾丸』





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