ふわふわと揺れる後ろ毛を追い駆けて、ロマリーはかれこれ一時間はアセムの背後に陣取っている。だというのに、アセムはその間一度も彼女の方を振り向かなかった。無視されているわけではなく、純粋にアセムの集中力が前方にしか向いていない証拠だった。
 休日に、MSクラブも休みだというのに突然足関節のプログラムを変更することを思い立ったらしい。買い物に外へ出ていたロマリーがアセムを見かけて声を掛けてみれば、わざわざバイクを止めてこれから学校に行くんだと言い残して慌ただしく走り去ってしまった。他の皆には連絡入れたのかと大声で叫んでも、既に小さくなるほど離れていたアセムには届かなかった。勝手にプログラムを変更していいものか、そんな心配が浮かぶ。それからロマリーは一度家へと戻り、念の為と制服に着替えてからアセムを追い駆けて学校のMSクラブの部室兼活動拠点でもあるガレージへと向かった。一応音漏れへの配慮でもあるのか、大抵屈まなければ通れない程度にしか開けられていないシャッターは相変わらず。いつもならばシャッターを潜ると同時に中へ声を掛けるロマリーだったが、覗き込んだ際に見えたアセムの背中があまりに熱心だったものだからつい挨拶をしそびれてしまった。しかし気配を殺しているわけでもないのに、あまりに無反応な背中が面白くなくて、ロマリーの中でアセムを驚かせてやろうという悪戯心が顔を出した。そこからは意識して、足音を忍ばせてアセムの背後に陣取った。直ぐにでも大声を出すなり、飛びつくなり、驚かせる手段はいくつか思いついたのだけれど。何せアセムの手元が熱心にプログラムを弄るパネルを叩いているのを見たら、自分の所為で手元が狂って作業を失敗に追い込んでしまったらどうしようという不安が湧き上がってきた。だから、一度アセムの手が中断するのを待ってから、声を掛けよう。そう、クラブのマネージャーとして最低限の気遣いを発揮して、ロマリーは決めたのだ。
 ――しかし。
 まさかアセムの背後に回ってから一時間の間、一度も彼の手が止まらないとは完全に予想外であった。延々と動き続けているわけではないが、止まったと思ってもその逡巡は数秒でさっさとまた手を動かし始めてしまうから、ロマリーはアセムを驚かすタイミングを完全に見失ってしまっていた。膝を抱えて座り込み、じっと耐えているものの正直退屈で仕方がない。そもそもどうしてアセムが学校に行くからといって追い駆けて来てしまったのかとその時点に遡ってまで後悔が過ぎる。これなら、先にゼハートやシャーウィーにアセムのことを連絡しておけばよかったとすら思う。
 ぼんやりと視線を意味もなく巡らせ、壁に貼られた写真、壁面の面積に比べて小さな窓から差し込む光、百パーセントハンドメイドのMS、そうして最後にアセムの背中を見る。ひたむきで、きっと友人にすら見せられない重圧に耐え続ける背中。誰にも打ち明けず、何度もこのコロニー、トルディアを白いモビルスーツに乗り込んで救ってくれた背中。ロマリーが密かに憧れを募らせる、己の力で道を進んでいくアセムの姿。けれどこんな感情を抱いている限り、自分が見つめるのはいつだってアセムの背中でしかないのであろうことをロマリーは知っている。そしてそれを無力として歯痒く想いながらも、自分に出来ることなど何一つ思い浮かべられずにいる。

「なあロマリー」
「……なあに?」
「さっきからそこで何してるんだ?」
「何ってアセムを――へ!?」
「どうした?」
「あ、アセム…私に気付いてたの!?」
「そりゃあ、気付くさ。シャッター潜る時に音してたし、背後に人が座り込めば嫌でもわかるよ」
「じゃあどうして無視するの」
「無視って…、いつもロマリー入ってきたらすぐに声かけてくれるし、今日もそうかなって思ったんだけど…途端に足音忍ばせ始めるから何かする気かなって思ったんだけど、違った?」

 ぼんやりしていたロマリーの意識に滑り込むようにアセムの声が響いた。つい反射で応答しながら、アセムが初めからロマリーがやって来たことに気付いていたと知り愕然とする。自分の忍耐が全くの無駄になってしまったではないかと憤慨するロマリーに、アセムは戸惑い顔で振り返る。勿論怒り心頭というほどの強烈さではないが、色濃い不満が顔に現れて、頬を膨らませるくらいは許されるだろう。そんなロマリーに、先程の無視という単語も手伝ってアセムは己の不備を疑い、焦り、謝罪の言葉を寄越してくる。その穏やかさと優しさに、ロマリーは胸のむず痒さを覚え、顔を綻ばせずにはいられない。こんな善良な人間に理不尽な我儘を押し付けて困らせて、何も感じない人間なんているはずがないとロマリーには思えた。

「あのね、アセムを驚かせようと思ったの。だからこっそり後ろに立ったんだけど、凄く熱心に手が動いてたからその動きが止まったらって様子を伺ってたのに全然止まらないなあって退屈してたところ」
「驚いたよ、まさかロマリーが来るとは思わなかったから」
「ほんと?じゃあもっと早く声を掛けてくれても良かったのに…」
「それは俺の台詞でもあるんだけど…」
「それもそうね」

 いつの間にかアセムはロマリーの方に体ごと向き直り、意味もなく向かい合う体勢でぽつりぽつりと言葉を交わす。作業着姿のアセムと制服姿のロマリー。いつも通りの格好で、光景だった。けれど休日の学校に他人の気配はなく周囲から雑音が飛び込んでくることもない。怖いくらい静かな昼間だった。不意に途切れた会話が静寂を助長してロマリーは肩を震わせた。日当たりの悪い場所だから、アセムは単純にそれを寒さの所為だと捉えたらしい。

「――帰ろうか」
「え?」
「作業も丁度一段落した。あとはゼハートにも手伝って貰わないと自信がないな」
「だったら大人しく明日まで待てばよかったのに」
「まあ、そうなんだけどさ。思いついたらじっとしてらんなくて…」
「もう、アセムったら!」

 先に立ちあがったアセムがロマリーに手を差し伸べて、その手を借りて彼女も腰を上げた。名残惜しむ素振りもなくさっさと手を離して片付けに取り掛かってしまったアセムに、ロマリーが僅かに眉を寄せたことを気付けるはずもない。後片付けを手伝ってやらないのは、その、女の子をぞんざいに扱った迂闊さへの報いだと思っていただきたい。ロマリーは小さく唇を尖らせながらアセムの姿を目で追う。やはり一度もこちらの様子を伺わないアセムはもう少し自分を女の子として意識した方がいいと思う。そんなロマリーの自尊心は、彼女が女の子であるからこそ意図的に視線を逸らそうとするアセムの男心を察せない限り、満たされることはないのだろう。


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沈黙に甘んじて
Title by『ハルシアン』





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