頬に落とした口付けは親愛だった。触れる指先の細さが頼りなく、柔らかさがキオの胸を打つ。抱きしめれば同じように背に回される腕、数センチの差でもって見上げなければならない瞳。ウェンディはいつだってキオに優しかった。その背後にあるものを、誓いを、彼女は愛と呼んだ。
 キオとウェンディはお互いを結びつける感情を恋とは呼ばなかった。想像する、熱烈な衝動に欠けていた。たおやかに、健やかに幼い2人は寄り添っていた。手を繋ぎ、微笑み、じゃれ合いとして抱き合い、どこまでも睦まじい。ウェンディの肢体の線をなぞり、触れて惑い心音を乱すキオがそれでも純然たる子どもでいることは、恋に昇華する暇もない戦場の熾烈さが手伝った。ただ守りたいと思うこと、大切だとか好きだとか、表現のしようは様々にあった。その背を支えてくれる彼女を好ましく思うことに微塵の躊躇いも後悔もありはしなかった。

「キーオー、」
「何?」
「呼んだだけ!」

 ウェンディは浮かれている。その理由にキオは心当たりがないものだから、戸惑ってしまう。頭を胸元に抱き寄せられては、穏やかな音を聴く。もっと乱れてくれてもいいのに。異性と呼ぶにはまだ何か足りないのだろうかと疑問にも思う。好きだと思うこと、告げなかったこと、その意味。
 叔母と同じ、ディーヴァの医療班の制服。清潔な印象の白と水色。血に汚れては目立つだろうに、そういう汚れはきちんと落としやすい材質で出来ているのだという。教えてくれるウェンディの視線は陰っていた。思えばキオは、ウェンディがこの戦艦に乗っている意味を深く考えたことはなかった。原因があり、その因果はキオに繋がっていることは、あの、彼が初めてガンダムに乗り込んだ日を思い返せば知れること。いつだってウェンディは自分を心配してくれている。追いかけてきてくれるし時には待っていてくれたりもする。それがいつからのことかは、生憎思い出せなかった。けれどこんな場所まで来てしまうことは良くないのだろう。初めは何も意識しなかった。キオ自身、子どもである自分が戦場に赴くことに、大切な誰かを喪う痛みを知るまでは何の疑問も持たなかったし、戦う理由も取り上げなかった。火星圏の人々の暮らしを、その惨状を目の当たりにした今、キオには戦う理由がある。守りたいという信念がある。だからもう、何処かへ退くことはないだろう。戦争を終わらせる為にガンダムとXラウンダーの力を使う。途方もない夢であり、何処へ向かえばいいのかもわからない。けれど、キオがどれだけ果てない場所を目指していたとしてもすぐ傍にウェンディはいてくれるに違いない。そう確信することは身勝手なのだ。それでも不思議と揺らがない。何よりも、キオがそれを望む。彼女にいて欲しい。ずっと、いつまでも隣にいて欲しい。我儘で、言葉にするには大人ぶった気障な印象で尻込みしてしまう。こんな風に抱き締められても慌てふためきはしないのに。

「今日はね、大怪我をした人はいなかったの」
「……そう、」
「戦闘になれば、無傷じゃいられないし、相手を一方的に殴りつけるだけなんてもっとあり得ない。わかってるし、もう何度も覚悟を決めたの。私は私の戦いをするんだって――ディーヴァが沈められちゃったら、私もあっけなく死んじゃうけど」
「墜ちないよ。守ってみせるから」
「うん、でも…」

 あんなに楽しそうだったウェンディの態度が、急に悄然としたものに変わる。陽気に戦場を語るほど酔狂な人間ではない。この応酬は戯れではなくて、静かな決意と悲壮が滲む。自身の身の処し方を決めても、大切な人の無事を願う不安は打ち消しようがなかった。抱き締めたキオは子どもで、けれど戦場に飛び込めば年齢など関係なくなってしまう。知っている。だからウェンディも自分の足で立つことを決めたのだから。

「――キオ」

 名前を呼んで、腕の力を緩めた。声に応じてウェンディを見上げようとするキオの顔に、唇に、彼女は影を落とし口付けた。一瞬の、触れるだけのキスだった。乾いていた唇はその感触をどこか味気ないものにしたけれど、ウェンディは確かに重なったその場所の温かさを胸に刻んだ。瞼を閉じて待つような、少女の憧れるファーストキスを叶えることはできなかった。そんな悠長に構えてキオを待つばかりではいられなかった。親愛と好意を履き違えないよう、見極めはしたつもり。確証なんてありはしない、だって言葉にしなかった。けれど堪えることのできない、想うという行為、その内訳を恋とか愛だと名付けるよりも早く触れてしまえる場所に二人はいた。その近しさを築き上げた、それこそが二人が離れがたい存在同士であることの何よりの証明なのだと思いたかった。

「…ウェンディ、」
「――うん、」
「僕…えっと、初めてだったんだけど、」
「私も、初めてだよ」
「えっ、そっか…そうなんだ…」
「ほっとした?」

 キオの表情は、拒絶の念だと一向に浮かべることなくただ突然のことにどうしたらいいのかわからないという戸惑いしか浮かべていなかった。触れ合った唇をしきりに指で弄りながら、しどろもどろな言葉と視線がウェンディに向かっては逃げ、また向かうことを繰り返す。
 初めて、この打ち明けがどれほどの意味を持つのか。誰にでも構わずこんなことするほど尻軽じゃないのよと拗ねるには、キオは嫉妬も知らないままだから張り合いがない。キオでなければ嫌なのよと、彼の祖父と父親譲りの青い瞳をずいっと覗き込む。逸らすことは許してあげない。

「――ほっと、しました」

 白状するように、背後に仰け反りながらキオが言う。正直に返してくれるとは思わなかった。まだ何の自覚もないのだろう。ただどちらも初めてのキスを捧げ合った仲ということに、ウェンディは勿論、キオも少なからず価値を求めたということ。いつかそれが傲慢に増大して、ウェンディへの支配欲になってくれたら、迷うことなくキオの元へ飛び込んでいくのに。尤も、今だって、似たような状況ではある。
 あれこれ考えるよりも、動き出す方が賢い。未だ戸惑いから抜け出せないキオの唇に、ウェンディはもう一度自身の唇を押し付けた。今度のキスは、少しだけ長く。やはり振り払われない熱は、自惚れてもいいのだろう。けれど本当は、手を繋ぐことでも、抱き締めることでも、キスをすることでも、何だって良かった。ただキオと繋がったその場所から、彼女の想いとか、命とか、捧げられるものならばなんだって彼に捧げてしまいたかった。それができないから、ウェンディは啄むようなキスを、何度も彼の唇に落とした。いつの間にか背中に回し合っていた腕は、どちらが先に相手を抱き締めようとしたものかわからなかった。ただお互いを取りこぼさないよう、二人は永い間じっと抱き合っていた。



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君の為なら私はこの心臓さえ捧げることができるの
Title by『彼女の為に泣いた』




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