情操教育という奴だろうか。キオの疑問にウェンディはそんなわけないでしょと顔を真っ赤にして訴えた。13歳の少年と、14歳の少女を同時にバスルームに放り込んだユノアは看護士であって教師ではない。だが仕事柄、人体の仕組みだとか、その辺りに無頓着であるはずもないだろうにとウェンディはうなだれる。永らく戦場で怪我人の手当にばかり追われていたから、健康体の男女の身体と、それに付随する意識の有り様なんて大したことではないと思っているのかもしれない。そもそも、ユノアは自分たちを姉弟に類似した関係性だと思っているのだろうか。だから二人同時に風呂に入ることに抵抗なんてないだろうと決めてかかっているのだとしたら、ウェンディは今すぐこのバスルームから飛び出さなければならない。車のタイヤが跳ね上げた泥水に汚れていなければ、彼女はそうしていただろう。だがここはアスノの邸宅であり、他人様の住宅を泥塗れのまま歩き回り汚せるほどウェンディは粗野ではなく、子どもなりの良識があり、それはひとつ年下のキオと共にあることで損なってはならないという義務感を得て保持されてきた。そしてその良識が告げている。
 ――キオとお風呂って、何か、ダメじゃない?
 血の繋がりも、書類上の繋がりもない。二人は家族ではなく赤の他人であり、それ故に心を繋いだ親愛なる者同士だった。相手のことを好きだと思いながら、言葉にするよりも戦場で互いを守り合う結託を示してきた。だからこうして地球に帰ってきても変わることなく一緒にいる。気持ちが揺らいだわけでもなく、しかし改めて想いを打ち明けるにはタイミングが掴めなかった。寄せ合う想いを恋と呼ぶことはきっと間違いではない。けれど寄り添い合う関係を恋人とは呼べなかった。焦る必要もなく、取り戻した、しかし時の流れと共にまた返上するかもしれない安らぎの中を、キオとウェンディは微笑みながら過ごしていたのだ。
「――っくしゅ!」
 脱衣場で背中合わせに立ち尽くしていたのだが、キオのくしゃみでウェンディの思考は中断された。一緒に風呂に入るかどうかは別として、お互い全身ずぶ濡れの状態であることには変わりなかった。
 ――あの時、せめてトラックじゃなくて普通の乗用車だったらなあ…。
 それならば二人揃ってずぶ濡れになることはなかっただろうにと、トラックの巨大なタイヤが跳ね上げた泥水を避けられなかった数十分前の我が身の不幸を嘆く。
 そんな逃避も再度キオが盛大なくしゃみを零したことで打ち切られる。大丈夫かと尋ねる拍子に振り返れば、キオは既に上着とシャツを脱いでいたらしく、目に映った肌にウェンディは驚いて、慌てて顔を背けてしまった。学校でも看護を専攻し、ディーヴァでは看護士見習いとして怪我人の治療を行っていたのだ。当然、そうなれば他者の肌を直に見て、触れることになるがその際特に恥じらいや感慨はなかった。見習いという未熟さ故、その怪我の具合によっては躊躇いと恐怖を覚えることはあったが。
「キオ、寒いの?」
「うーん、やっぱり冷えたのかな?ウェンディは大丈夫?」
「まだ平気…。ね、キオ先にお風呂入っていいよ。私ここで待ってるから」
「え?」
 一緒に入ることに抵抗がある以上、順番に入ることになる。そうなればウェンディの感覚からするとキオを優先することが至極真っ当だった。余所の家の一番風呂を頂くのは気が引けるし、自分の方がお姉さんだし、キオは寒がっているしと理由は多々挙げられる。
 しかしキオはそんなウェンディの当然に素っ頓狂な声を上げたのだ。彼は彼で優しいから、お客さんはもてなすものだとか、自分は男なんだからだとか、そもそもウェンディを押し退けるという発想がなかったりだとか彼なりの理由が幾つかあるのだろう。そうウェンディな思いたい。急に背後から居心地の悪い視線を感じ始めたがらといって、まさかキオがユノアの対応を疑問に思っていなかっただなんて、彼女の提案に抵抗を感じていなかっただなんて、そんなまさかは有り得ないと信じたい。
「一緒に入らないの?」
 まさに瞬殺で打ち砕かれたウェンディの期待。仰天してウェンディはまたしても勢いだけで振り返り、まじまじとキオの瞳を凝視した。本気で言っているのかしらという疑念を、キオは察知できないのか。Xラウンダーも大したことないのではと心底落胆するウェンディを見つめるキオの瞳が、純然たる無垢では有り得ないことを見抜けない彼女こそが、未だ純粋である証明だった。好きだと通じた想いを認めながら、その相手の下心を許容できないようではまだまだ甘い。ウェンディの身体が女であること、それに関してはキオの方がずっと自覚的であったことを彼女は知らないのだ。
「……恥ずかしいから、一緒はヤダ」
「でも僕があがるの待ってたらウェンディが風邪引いちゃうよ」
「平気」
「そうかな…。濡れた格好のままで寒くないの?」
「だってキオもいるのに脱げないでしょ!」
 ここで僕は別に気にしないよと言うのは間違いであるとキオはわかっている。もしそう発言すればウェンディは私は気にすると怒るだろうし、キオにしても実際気にしないなんて全くの嘘であるから口を噤んでおくのが無難なのだ。
 ウェンディの衣装は雨で濡れても肌に張り付いて露骨に身体のラインを浮き彫りにするものではなくて、だからキオは純粋にその下に隠された肌が気になっている。肉体的にも精神的にも健康的な少年の、どこまでも正当な好奇心である。
「ねえウェンディ、僕――」
 この後に何と言うつもりだったのか、実はキオにもわからない。馬鹿正直に君の裸が見たいですとは、直前口を噤んだ賢明さが水の泡で、まさか脱いで見せて触らせてと欲望に忠実に彼女の羞恥を諦めさせようとしたのだろうか。
 だからキオは安堵した。事態を招いた張本人のユノアが着替えを持って扉を開け入ってきたことに。ユノアは二人が未だに風呂に入っていなかったことに驚いて、一瞬目を瞬いてから呆れたと眉を顰めた。ここぞとばかりにユノアにこの状況はおかしい、何故なら自分たちは姉弟でもないのだからと言い募るウェンディは、両想いではあるが恋人とは呼べない関係を上手く説明することができなかった、だから。
「何言ってるの、あなた達付き合ってるんでしょ?良いじゃない、今更恥ずかしがらなくて」
 そう、ウインクと親指を立てて、実年齢よりも若い仕草を残しユノアはあっさりと出て行ってしまった。ウェンディは呆然とそれを見送り、次いで「付き合ってたとしたっても、一緒にお風呂入ったりするのが今更とかそんなわけない!」と憤慨し始めた。
 キオはといえば、やっぱり情操教育なのかなと腕を組み考えた。言葉に乗せない考えを、それは情操教育というより性教育だと訂正してくれる人はいない。
 二人きりのバスルームに、三度キオのくしゃみが響いた。




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そんなの愛がない!
Title by『にやり』



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