美しい夕焼けを見た。戦場から決して離れられぬ光景だとしても、未だ我らヴェイガンの手にこの青い星を取り戻していないとしてもその美しさを損なう要素など、フラム・ナラにはひとつも見つけられなかった。
 風が木々を揺らす音も、群れを成して飛び去る鳥たちの鳴き声も、引いては寄せる波音も、フラムの鼓膜を優しく打った。火星圏のセカンド・ムーンで生まれ育ったフラムには、こんな地球の自転によって一日に一度、必ず訪れる風景すら眩惑的だった。美しいと感嘆するだけでは終われない、囚われて、支配されてしまうような、そんな感覚だった。瞳を閉じれば頬を撫でる風に自然と意識が傾く。サイドに結われた髪が靡く。自然という、その一語、フラムにはどうしようもなく尊い。だからこそ取り戻さなければならない。嘗ては同じ地球種として分かち合えていたのかもしれない、地球という星の全て。当たり前と貪り、汚染し、顧みようとしない下賤な連中から、必ず。
 その闘志が、激情となって漏れ出でたのか直ぐ傍の枝から野鳥が飛び去った。無音に驚かせてしまったのだろう。フラムはその鳥の名前を知る由もなかったので、目を伏せて悪いことをしたという、若干の詫びを示した。無視してもいい些細なこと。それをしないのは、やはり彼女がヴェイガンの人間であり、地球の、自然という概念に結びつくその全てに、人間という存在を省いてから憧憬の念を抱いて脱せないからだ。
 フラム・ナラ個人が作戦の途で地球に降り立ったとして、そこに高揚をすれども満たされないのは今も苦しんでいる火星圏の民を思えば当然のことだった。長い潜伏期間の間にヴェイガンを裏切り地球種に帰化した兵士もいるという。そんな話を耳にする度にフラムは信じがたい愚行に走る者もいるのだと軽蔑に瞳を細めないわけにはいかなかった。

「――ここにいたか、フラム」
「ゼハート様!」

 気配無く現れた、と表するにはフラムの周囲への気配りが眼前の夕焼けに囚われ疎かになっていた為定かではない。だがまさかゼハートが現れるとは全く思っていなかったので、そこには純然たる驚きがありとっさに冷静な副官としての表情を取り繕う暇もなかった。だが軍人の習慣として、上官を前にすれば自然とその居住まいを正すだけの余裕は持ち合わせている。
 ゼハートはそんなフラムの緊張を、片手を挙げて構うなと制すると先程まで彼女が見つめていた夕日に視線を送った。仮面越しに見上げる表情の奥を見抜くことは今のフラムには不可能であり、だが美しいと思わない筈はありえないという確信はある。ヴェイガンがエデンと呼び求める星の、帰るべき場所の、ひとつの象徴とも呼べる光景なのだから。
 惜しむべきは、こうして二人の男女が美しい夕日を前に並び立ったとしてその心が通い合わない現状だろうか。色恋の念で以てフラムはゼハートを見つめてはいなかった。二十三年前、兄を見捨て死に追いやったのではという疑念から生まれる探りの視線をゼハートは初見から黙殺を通している。Xラウンダー同士、隠しきれない剣呑の眼差しがある。だが警戒されるどころか、副官としてその能力が優秀であると知れるや否や元来最前線で戦うパイロットとしての気質が滲みついているゼハートにとってフラムは格好の艦の指揮官として信頼されるに至っていた。寝首をかくつもりはない。イゼルカントに認められたゼハートを個人的な情で殺すことはヴェイガンに対する裏切りだ。だから十分に見極めてやるつもりで近付いたのだ。それが、随分と絆されたものだと思う。それは一体、どちらが。

「見事なものだな」
「――はい、思わず見惚れてしまいました」
「無理もない。地球はこうも美しいのだから」
「…ゼハート様は、あまりお心を動かされていないようにお見受けしますが」
「そう見えるならば否定はしないでおこう。こんな仮面を付けずに心行くまでこの夕焼けを眺めていられるのならばまた違うのだろうが――」
「その日を迎える為の、私たちです」
「ああ、そうだな」

 汲み取れない感情は、きっと優しさと弱さ、その両面を併せ持って己の感受性が強く働くことを律しようとしている。ゼハート・ガレットという人間の全てを理解できるほど、フラムは彼と過ごした時間は長くはない。しかし地球侵攻作戦として降下してから死人の出ない日などない。ゼハートの部隊、直属の部下でなくともヴェイガンの戦士が地球と宇宙のどこかで散っていく。
 ――確かに私たちが早々にガンダムを落としてしまえば地球種など敵ではないが。
 深読みだとして、ゼハートの心の憂いとなることといえばヴェイガンの民を殺す白い悪魔のこと以外に有り得まい。あの進化する殺戮兵器さえ排除できれば、アスノの一族を根絶やしにできれば、連邦軍の抵抗など簡単に捻り潰せるだろう。
 悉く機を逃している自分たちの戦果に、無意識に唇を噛み締めるフラムの横で、ゼハートは仮面の下、絶えず彼女の背後に広がる夕日を眺めていた。壮大で、水平線が揺らぎ燃えているかのような紅い世界。それは戦場の劫火よりも力強く、人間を圧倒し、だが静かに佇むのみである。ゼハートとて、フラムと同じようにこの地球の光景に心揺らされないわけではない。だが、それでも。
 ――あの日の作り物の夕焼けとて、悪いものではなかったさ。そうだろう?――アセム。
 嘗て、ゼハートの中では一年と少し前。トルディアの海でロマリーを挟み親友と見つめた人工の夕焼けとて、ゼハートの心で美しく映え続けていることを、最も信頼する部下のひとりとなったフラムでさえ、敬愛するイゼルカントさえ知らない。それがどうしようもなくゼハートを孤独に追い遣った。
 それでも、この雄大な世界をヴェイガンの民に齎してやりたいという願いに嘘偽りはない。たったひとつそれが、ゼハートにとっての拠り所であること。そしてその拠り所に、フラムもまた彼女の意志を共にしていること、それだけが、自らの人生を捧げ戦場に生きる二人を繋ぐ絆だった。
 美しいばかりの夕焼けが、ふいに悲しく見えたのは気の所為だと、フラムはそう思うことにした。


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夕べだけが君の泣き声を知っている
Title by『弾丸』





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