背後からソファに腰を下ろしているアセムに抱きつくと、自分と同じシャンプーの香りがした。確認して、キオは満足だと回していた腕を解く。父は不思議そうに振り返りキオを見た。何でもないよと首を振る。スキンシップ、その目的とは。コミュニケーション、アセムとキオ、親子として二人の間に圧倒的に足りていないもの。
 風呂上がりのアセムは温かく、キッチンからはロマリーがキオもさっさとお風呂に入ってしまいなさいと穏やかに声を上げる。聞き分けの良い返事をしてから、キオはアセムの手元を覗き込んだ。ずいっと上体をソファの上に乗り出して、如何にもアセムに反応して欲しいと言わんばかりに。
 宇宙海賊から身を引いて、連邦軍に復帰した父の仕事ぶりは素晴らしいものがあるらしい。入れ替わるように、終戦を機に形ばかりの軍人という位置から身を引いたキオは、その仕事ぶりを間近に見ることはない。ガンダムとAGEシステムは地球とヴェイガンが本当の意味で共生していく世界にはまだ果たすべき役割があるようで、キオもそのパイロットの任から解かれているわけではない。しかしあのオリバーノーツ襲撃以前の生活も徐々に取戻しつつあった。街の景観も、避難した人々の帰還も、経済や行政のシステムの修復も完全とは呼べないが、それでもキオはまたウェンディと学校に行くし、時々サボっては買い食いをし、家に帰れば忙しい家族がいたり、いなかったり。その不在に肩を落としたり、偶々仕事が早く片付いたと期待しなかった遭遇に喜んでみたり。以前と違うのは、祖父が自宅への滞在時間が短くなったことと、死んだと思っていた、写真の中でしか見たことのない父が帰ってきたこと。忙しく顔を合わさない日が続くこともあるけれど、生きていると、その事実だけで被災を免れていたキオの以前と変わらないはずの住宅が違った色を持って映り込んでくるのだ。
 やらなければならないことがあるはずで、やりたいこともあるはずだった。子どもとして扱われることは相変わらずのまま、大人の手を借りて友人の墓を見晴らしのいい丘の上に建てた。ウェンディやウットビットも花を手向けてくれた。けれど、キオの、彼が負うべきだと感じている義務はまだまだ終わる気配を見せない。殺してしまった人がいる。自分の頭で物を考えようともしないまま、他人の言葉を鵜呑みにして引いてしまった引き金がある。だからキオは立ち止まってはいられないのに、ガンダムを操縦するということに関して以外、彼の身体能力も、知識も、年相応を追い越してはいなかったからもどかしい。早く大人になりたい、大人になるまでにだって、果たしてしまいたい誓いが多すぎる。
 アセムの手にはタブレット型のデバイスがあり、リビングで寛ぎながら操作しているくらいだから、きっと機密に触れるほど重要なものではないのだろう。しかし家族を取り戻すための戦いをすると戻ってきた生真面目が、仕事の道具を手にしている姿でキオと接することに抵抗を覚えたらしく、アセムはそれをキオが覗き込む側とは反対に放ってしまった。その露骨さが申し訳なく、キオには喜びとなって胸に広がった。

「ねえ父さん、宇宙は元気だった?」
「――ん?そうだな、もう少し時間が掛かるかもしれない。新しく何かを始めることは、とても難しいことだから」
「そうだね。なら僕は――やっぱりあの場所に帰るべきなんじゃないかな」
「その時が来ればな。もう少し、休んでもお前の場合罰は当たらないさ」

 不適切な言葉を選んだ。けれどアセムはそれを繋ぎ合わせてくれた。宇宙は、セカンドムーンは。戦いで汚してしまった虚空は、長らく望んだ地球圏への帰還を果たした人々は。今、どんな風に広がり、生きているのか。きっと液晶で映るニュースだけを真実としてはいけないのだ。
 EXA‐DBの残骸を狙う連中と、アセムは戦っているのだという。それだけが取り柄とは言わないから、キオも手伝いたいと思った。戦争は悲しいことだから、目的を失った、力の行き先をキオは知らない。
 マーズレイの克服、いつか本当の意味で人類が地球圏を超える日の為に、祖父は毎日忙しく働きまわっている。祖母も、父も、母も。自分だけが戻ってしまった。気持ちばかりが焦って、子どもだからと言い訳にならなかった日々を懐かしんでいる。子どもの不自由を訴えるには、キオの周囲には幸いにして優しい人ばかりだった。だから今、キオの髪を撫でるアセムも、いつかキオがまた飛び込んでいくであろう世界を思いながら、それでも早くと急かすことはしないのだ。

「父さんの休み、僕の学校がない日と重ならないね」
「悪いな、色々融通を利かせて貰っている分、働いて取り返さないといけないんだ」
「ビシディアンにいたこと?でもそれって内緒ってことになったんでしょ」
「公然の秘密という奴だな」
「ふうん」

 連邦の艦隊と行動を共にしたこともあるし、アセムに至ってはキャプテン・アッシュとして平然とルナ・ベースを歩き回ってしまったこともある。今は廃業して連邦に復帰したとはいえ一度は戦死認定された身の上だ。十三年間何をしていたのだと、その輝かしい経歴上付いて回る疑問の声は、アセムのいう公然の秘密によってどうにか抑え込まれているらしい。キオには、アセムが父であるという事実と、彼が生きていて、今はこうして家族として同じ家に暮らしていられる事実があればそれで良かったので、深い詮索はしない。

「キオ、まだお風呂入ってなかったの?」

 キッチンからリビングへやってきたロマリーが、アセムに引っ付いているキオを見つけて眉を寄せた。困った子ね、という仕草。キオを急かす為だけの演技。キオにはそれがわかる。

「父さんと話してたんだ。だって次の休みずっと先だって言うから…」
「それなら猶更さっさとお風呂に入ってしまいなさい。ベッドに入ってから沢山話せばいいでしょう?」
「え、一緒に寝てもいいの?」
「ええ、アセムもいいでしょう?」
「ああ」
「やった、じゃあ僕お風呂入って来るね!」
「走らないの!」
「うん!」

 両親が共に眠るキングサイズのベッドに潜り込むには、自主申告の年頃をキオは過ぎてしまった。けれどアセムとロマリーの許可を得た今晩ならば気恥ずかしさもなくそれができる。話したいことは沢山あるのだと、リビングを飛び出したキオの足取りは軽い。
 自分が立ち去ったことで早速リビングで仲睦まじく寄り添っているであろう両親に、夫婦愛を知る由もない子どもの寂しさも今だけはキオの胸を犯さない。
 やらなければならないことがある、身に着けなければならない教養も、現実に立ち向かう力も、キオにはまだ不足しているものが多々ある。けれどこんな風に、自分を優しく包んでくれる家族がいるのだから、怯えることなど何もないのだと盲信できることが、キオの純然たる強さであった。



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青い星の子
Title by『にやり』




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