※捏造





 なりたいものになるのが良いでしょう。それが子どもの特権、世界を知らず、世間すら知らず。それ故に何の境界もなく羽ばたく夢想が星のように美しく輝くのだ。私もかつては願ったものよ。いつまでもどこまでも大切なあの人と共に在る未来を。ささやかなつもり、密やかなつもり。砕けた命は、誰の心を道連れにして今なお虚空に彷徨っているのかしら。ねえ貴方、貴方はどんな夢を抱えて惑っているのかしら。ひとりぼっちで彷徨うには、どうにも宇宙は広過ぎて行けないと思わない?




 儚い少女だった。風に揺れる三つ編みが、口元に浮かぶ微笑が、この世の悲しみを見たと言わんばかりの紫苑の瞳が、今にも差し込む光に霞んで、溶けて消えてしまいそうだと思った。
 他人の儚さが、アセムには空恐ろしいもののように思えた。夢のような出会いだった。だって事実これは夢だから。それなのに、こんな腹がむかむかと痛む思いをしなければならない。アセムにはどうにも苦痛を伴っていないとはいいきれない複雑な夢だった。戦争から遠い場所であるというだけで、幸せだと浸れるほどにアセムは心を大人にしていなかった。
 木々に覆われた場所。森林という語を用いるまでに、アセムはしばし己の立つ場所をどう表現したものか迷った。木漏れ日が頬に落ちて、緑に遮られるように太陽の姿は遠い。コロニーで生まれ、育ったアセムには見たことも触れたこともないような世界。けれど知識としては、ミンスリーというコロニーは嘗ての地球の環境を再現した場所であると聞いたことがあるような気もする。だがやはり、実際己の足で踏みしめたことなどありはしないのだから、現在を分析する為の比較対象にはなり得なかった。

「あなた、夢はあるの?」
「――目標は、それなりに」
「その違いは明確?」
「よくわからない」
「ふふ、正直なんだ」

 随分昔に切り倒されたのか、枯れ朽ちたのかわからない、苔に覆われた大木に腰を下ろした少女はアセムの言葉に口元を手で隠して笑う。それすらも、やはりアセムには霞んで映った。夢ならば、ひとりで心安らかに時を過ごしたかった。彼女は、きっと自分を放っておいてはくれない。そんな予感が、アセムにはある。
 嫌悪はない。あるのはただ純粋な戸惑いだった。見覚えのない少女、現実味のない少女、こんな広々とした、しかし鬱蒼と茂る森にひとり鎮座する少女。アセムの方がよほど場にそぐわない自我を持って紛れ込んだ異分子のようだった。
 風が吹く。二人の髪が揺れる。いつの間にか少女の三つ編みは解け、癖のない髪がふわりとたなびいて、止まる。少女はそのことに何ら反応を示さず、じっとアセムの瞳を見つめている。まるで何か、遠い面影を探す老齢の人間のように落ち着いた、悲しい瞳だった。

「――ずっと、一緒にいたかった」

 叶わない夢だった。叶わない初恋だった。迎えに来てくれると彼は言った。やってきたのは、悪魔の子どもの狂気だった。それでも、会いたかったと思うひたむきさを、我儘を、この愛を。私はどうしても一目彼に会わなければ生きることも死ぬことも満足に出来はしなかったの。
 少女は語る。昔話だと微笑んで。それでも人が争う歴史のなかの確かな事実として、彼女の記憶を、想いを語る。アセムは口を挟まない。相槌も打たない。何も知らない。少女の名前も、人生も、その死も、愛した男の名前も。夢の中、これは戦場に彷徨う魂の見せた性質の悪い幻で、真面目に耳を傾けるだけ軍人としては無意味な感傷なのかもしれない。けれどアセムは優しい少年だった。優しいだけの、まだ、大切なものも、それを守るための強さも手にしていない少年だった。

「あなた、夢はあるの?」

 もう一度少女が問う。憐れむような声だった。アセムの脳裏にふと、遠すぎる父の背中を見る。彼のようにならなくてはならない。なりたいと思っているはず。周囲の優しさを遮断して、蔑みの視線に背筋を凍らせて、アセムはもう自分がどこにいるのかもわかってはいないのに。それでも、道は見えなくとも、目指さなくてはならない背中だけがどこまでも大きく彼の道を塞いでいる。
 ひゅっと喉が鳴る。息が詰まる。爽やかな空気が、森林の光が嘘のようにアセムを突き放しにかかった。紫苑の瞳は絶えずアセムに注がれている。泣き出しそうに揺れている。その瞳を、アセムはただ見つめ返している。あれは何なのだ、と恐れながら。アセムの弱さ、虚勢、恐怖、その他すべて。フリット・アスノという人間がアセムの前で見せることのない、だから彼も晒してはならないと思い込んでいるその全てを見透かすような瞳がこちらを凝視していた。

「貴方の瞳、きれいね」
「―――、」
「私の大切な人と同じ色をしているもの」
「……俺は、これくらいしか貰えなかったんだ」

 この瞳の色以外、自分と父を親子だと実感させるような相似は持っていない。目の前の少女にはきっと何を言っているかわからないだろうなと思いながらも、アセムはその劣等を吐き出した。母親に似通った髪の色が嫌いなわけではない。ただ途方もなく心細いだけだ。そんな孤独は、心の重圧が視野を狭めているだけなのだと、夢の中の少女が正論で正してくれる筈がない。それでも、少女はじっと彼の言葉に耳を澄まし、言葉途切れると一度だけ頷いてくれた。それだけで、アセムには十分だった。

「どれだけ時間が過ぎても、難しいことは沢山あるのね」
「………」
「だけど貴方は行かなくちゃ」
「行く、」
「そう、貴方は立ち止まらないように。思い出に足を取られて後悔に身を沈めないように。――貴方の大切な人を、守れるように」

 呪文のようだった。祈りのようだった。それがただの後悔の羅列であったことをアセムは知らないまま、もうこの夢は夜明けを待っているということだけを知っていた。朝が来る。ディーヴァ艦内で迎える目覚めに、果たして朝だの夜だのという概念が当てはまるのかは問題ではない。
 儚い少女だった。柔らかい陽光に照らされて、消える。アセムはきっと彼女を覚えてはいられない。偉大な父の背に手が届かないように、親友のように優れたXラウンダーの素質を持たないように。けれどそれが、一等素晴らしいアセムの煌めきのひとつだと、今はまだ誰も知らないまま彼は短い夢の終わりを迎えようとしていた。



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どうしても僕らは美しい国に住みたかった
Title by『ダボスへ』




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