自分が他人の上に立つタイプでないことはとっくの昔に自覚している。しかし大人しく誰かの下で働くタイプかといえば、それもまた違う気がする。上手く利用されたり、むしゃくしゃして噛みついたり、自分ばかりを正当化して突っ走ったり、我ながら扱いづらい人間だったように思う。過去の自分ばかりを振り返って、今は違うだろうと己を励ましてみても、いややっぱりどうかなあ、と怪しい返事しか出来ないのが情けない。これが所謂平和ボケだろうか。もっと前の自分なら、こうして過去を振り返る余裕なんてありはしなかった。振り返る以前に、どっぷり浸かって捕らわれていたから。
 最近、やけに自分の身の振り方について考えたり、自分のあら探しを繰り返したりしているのは、やはり今が平和だからなのだろう。前戦に出向くことなく、プラントで評議会議員の護衛を担当することが多くなった。戦歴だけ見れば、現場に残って戦艦ひとつ任されてもおかしくない経歴を、シンは持っている。だけどそれをしないのは、シンが誰かの上に立つ人間じゃないからだ。結局、誰かの庇護の下、放し飼いに近く、それでも首輪の着いた状態しか経験のないシンに、指示を出したり誰かの責任を負ったりする立場は似合わない。シン自身そう思うし、彼を知る人間なら、気を使って言葉にはしないかもしれないが、殆どが同じようにそう思っているだろう。
 また穏やかな時間に、慣れ始めてしまったというのも、物思いに耽る理由のひとつかもしれない。何せ、シンが護衛している人物は、肩書きだけならプラントで一番偉い人物なのに、纏う空気だけはいつだって柔らかく優しい。権力を持つ人間には、失礼ながらどうしても見えなかった。
 そんなラクスは、シンにだって優しかった。そしてシンは、そんな無防備にも近い優しさを以て自分に接してくるラクスに戸惑い、そんな彼女に取るべき自分の態度を見失った。
 優しくしてくれる人が好きだ。争わなくて済むことに安堵し、自分が拒まれないことだってそれなりに嬉しいから。守らせてくれる人が好きだ。大切なものを奪われた時、何も出来なかった弱い自分が、少しでも強くなって同じ過ちは犯さないと錯覚させてくれるから。
 ラクスは、シンに優しかったし、守らせてくれる。それは只の仕事上の話で、それだけの話で、だけどそれだけでもないような、不思議な感覚。
 シンの仕事はラクスの護衛。正直、あまり果たすべき役目のない仕事だった。何せ世界が平和に向かって動き出している中、プラント最高位の彼女は非常に忙しい。忙しいのだから、よく動き回らなくてはならないし、そうすれば彼女の身の安全を確保する為に護衛の仕事だって多そうなものを、ラクスはシンが護衛についてから一度たりともそういった危険に晒されたりはしなかった。
――ラクス・クラインの人気って…。
 プラントとオーブ。ちょうど擦れ違うように住む場所を変えていたシンは、ラクスの人気を若干舐めていた。シンが知るラクスは、実際はミーアの活動であったから、ただのアイドルだと思い込んでいた部分もある。二度の大戦を経て、ラクスの民衆から得る支持はもはや圧倒的だった。彼女を襲う輩なんて、そうそう現れなくなる程度には。
 それでも、ラクスが同年代の女子のようには生活出来ないことも明らかだった。彼女が既に一般と呼べる日常から弾かれてしまったことは、あまり賢くないシンにだってちゃんと分かっている。だから、最近のシンの役割といえば専らラクスの話相手だったりする。
 ラクスを自宅まで送り届けて、そのままお邪魔して、他愛ない会話に興じて夕飯をご馳走になって帰る。それが、シンの生活のサイクルとなっている。それに伴い、着実に減っていく己の出費と増えていく口座の残高がなんだか申し訳なくて、たまに花や、菓子折りなどをプレゼントしたりもするようになった。あくまで仕事の延長な関係だから、こういうことは良くないかもしれないとは思う。だが、シンが贈り物をした時のラクスが、あまりに嬉しそうに、普通の女の子みたいに微笑んで見せるから、今はこれで良いのだと自分に言い聞かせている。

「…ラクスさ…、ん」
「ふふ、まだ馴れませんね」
「すいません…」

 ラクス様、ラクス様。シンは彼女がそう呼ばれるのに聞き慣れている。何より、シンも彼女のことをそう呼ばなければならない。それなのに、ラクスは様付けは嫌だと珍しく頑固にごねたので、シンは未だに悪戦苦闘している。
 自分の中にいる彼女と、その隣にいる自分自身を、上手く棲み分けすることが出来ない。そんな器用ではない。しかし、仕事中は様付け、それ以外は普通に呼ぶと条件付きでラクスの要求を飲んだのもシン自身なのだから、繰り返し自分に染み込ませるように彼女の名前を呼ぶ。

「ラクス、ラクスさん、ラクス…ちゃん、は、違うか」
「お好きな呼び方で結構ですよ。様以外なら」
「楽しそうですね」
「敬語もいりません」
「…勘弁して下さい」

 くすくすと鈴を鳴らすような軽やかさで、ラクスは笑う。そんな彼女に視線を向けながら、シンはずっと心の中でラクスの名前を繰り返す。
 ラクスの自宅で二人きり。休日だって、滅多にない。今が大事な時期だから仕方がないとラクスは言うし、シンもそう思う。怠けるなんて許されない地位に、ラクスはいるのだから。だがこうして二人だけで向き合う度に、シンにはラクスが只の女の子に見えてしまうから、色んなことが分からなくなる。自分達の不自然に近しい関係や、いつの間にか持て余すようになった気持ちを、シンはいつだって真剣に考えて、考えるだけで終わる。
 もし、近付きすぎて生まれたこの曖昧な気持ちが恋だったとして。ラクスが、普通の女の子のような振る舞いでシンを困らせる理由が、同じように恋だったとして。その恋が実っても、人前で手を繋いで歩けるようなありふれた関係には、きっと辿り着けないのだろう。そんなことは最初から分かりきっていることで、それを望むなら、きっと毎日のようにラクスの傍にいることすら苦痛に感じたりするのだろう。 自分の心臓の辺りに触れる。痛みもなく、緩やかに刻まれる鼓動に、まあそうだろうと納得する。苦痛だなどと、そんなことは。端から有り得ないと知っている。まだまだ餓鬼な自分が、仕事だからと自己を完璧に抑えて自分を振り回す人間と時間を過ごしたりするなんて出来るはずがないのだから。
 では好きなのかと聞かれれば、シンはきっとラクスが好きなのだ。恋と名付けてしまうには、まだ臆病だとしても、このまま行けばきっと恋になってしまうだろうし、それを止める気はない。
 暫くは変化のない関係を望みながら、シンは何度もラクスの名前を呼んでやる。その声色から、仕事付き合いのよそよそしさが完全に消え去ったその時には、ラクスはきっと今までで一番の笑顔を、シンだけに向けてくれるのだろう。


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予期する満開
Title by『ダボスへ』





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