石畳を打つヒールの音は軽快で、キオを陽気な気持ちにさせた。タップダンスのように小刻みではないが、ウェンディの機嫌がいいことはわかる。跳ねる、駆ける、止まり、回って、微笑む。重力に足を引かれることは悪いことではないでしょう。キオは頷く。慣性だけで上下左右定まらず流れていく宇宙では人間は容易くすれ違う。それでもこうしてキオの傍にウェンディがいるということ。それは彼女の戦果だ。
 デートには穏やかな天候を選ぶ。白いスカートから伸びた素足を惜しげもなく晒しながらウェンディはキオよりも前を歩く。鼻歌交じりの少女の体つきは去年よりもずっと大人になっていた。身長はやがて追い越すつもり。今だって大差はない。抱えてやれる腕力がないのが悩み。キオの自宅、キッチンに飾られた両親の写真。純白のウエディングドレスに身を包む母を軽々と抱き上げて微笑んでいる父。年齢は今のキオよりも上。志願した軍人として鍛えられているのだから当然。だけどいつか、その内。理想を持つのは悪いことではないだろう。
 平和だった。吹き抜けた風に煽られたウェンディのスカートが浮かび上がらせた、彼女の隠された太股のラインを辿りきる前に目を逸らせる程度には。クレープが食べたいと指差すウェンディはキオの少年らしさを知らぬまま。広場に停まったトラック型の出店の前には何人かの若者、親子、恋人がいた。知人でもない、輪でもない他人の群れに向かっていくことに気恥ずかしさを感じるのは、彼の中にデートという一語が絶えず舞い踊っているから。言い出したのはウェンディで、二人の間に成立するものかもわからない。しかしウェンディが嬉しそうにしているとキオの心もそれに倣う。だから悪いことではないと思っている。幼い恋人同士を誰も知らない。笑うような人がいるはずがない。それでも、湧き上がる温かさと恥じらいはキオを戸惑わせる。恋はまだ、キオの身近にはなかった。
 ウェンディに手を取られる。急かされて、頷いて足を動かしても手は解かれない。握り返せば、驚いたようにウェンディが振り向いた。その反応に驚いて、キオは籠めた力を緩めてしまった。気まずさに、全てが解けて、立ち尽くしてしまう。膨らんでいた気持ちがみるみる萎んでいく様が、視覚的にすら訴えて来ているようであった。
 強引に微笑を取り戻したウェンディがまた先に歩き出した。キオは抵抗するべきではないと心得て続く。今日はずっと彼女の背中を見ている。誘いを寄越したのはウェンディだから、当然かもしれない。一つの年嵩がそうさせるのかもしれない。けれど今こうしている自分たちの間にそれは関係のないことのように思えた。直前の、握り続けられなかった手が、暗示していた。

「苺がいいな。キオはどうする?」
「ウェンディが苺ならチョコにするよ」

 小さい頃からの受け答え。お揃いを望むより、少しずつ差異を用意して分け合うことが楽しかった。分け合うことに疑問はなかった。誰と同じことをするわけではないのに、特別と言葉にしたこともない。
 二人同時に手渡されたクレープに、キオはそのままかぶりつき、ウェンディはプラスチックの小さなスプーンで苺にクリームを乗せてからキオの口元に差し出した。恥じらいも躊躇いもなく、キオは苺を平らげて、自分の歯形がついてしまったそれをウェンディの前に寄せた。髪がつかないようにと手で止めながら、キオの一口よりも小さな一口、穴が開いたクレープ。離れて行く顔と、唇を舐めた舌をキオは追いかけていた。

「美味しいね」

 その呟きには、頷くだけ。空いていたベンチに座る。やはりウェンディが先に見つけ、歩き、座った。ベンチの色は青かった。広場の中央にある噴水だけが一定のリズムで音を鳴らしていた。小さな子どもが水を跳ねさせても乱れない。太陽光を受けて飛沫があがると、虹が浮かぶ。見つめていると、ウェンディに肘で突かれた。

「早く食べないと、手、汚れちゃうよ」
「――うん」
「暑いね」
「そうかな」
「暑いよ」
「うん」

 ウェンディの手にはクレープを包んでいた紙が小さく折りたたまれていた。彼女の咀嚼が異常に早いわけではないだろう。そんなに長時間噴水を凝視していただろうか。定かではない。ただウェンディの忠言通り、手が汚れてしまうことを厭って慌ててキオは自分の分を平らげることに専念する。柔らかくなり始めてしまった生地を破らないように、気を割いている内に、結局また小さな虹を追っているのと変わらない、ウェンディから意識を逸らしていた。
 何とか食べ終える。キオの手に残ったのはびりびりに破けた包装紙。見渡して、見つけたゴミ箱に捨ててくるよと言葉を残して立ち上がる。差し出した手に、彼女の分を引き取るつもりだった。けれど、キオの手に乗せられたのは、ウェンディの、解けた記憶ばかりが新しい、右手だった。

「ウェンディ?」
「一緒に行こうよ。もう食べ終わったんだもん」

 言い分はわかった。だけど、手を繋げるものだろうか。当たり前と特別の区別もつかない、子どもの二人に。お姉さんという矜持が、キオに対するウェンディには重要ではないこと。それでも先を歩こうとするのは、キオが男の子だから。自分がいなくても進み続けてしまうことを知ったから。ウェンディは、キオと並んでいたいだけ。
 そっと握り合った手は、お互いが思っているよりもずっと柔らかく、力強かった。



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ずっとそばにいるよ
Title by『魔女』





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