その人と並んで歩いたことなどありはしない。ただぼんやりと、此方から一方的に眺めているだけだった。地球のオーブで平和に暮らしていた頃、何度か耳にする機会のあったラクスの歌を良いなと思ったことはあるけれど追いかけるほどの熱を感じることはなく、プラントを出た彼女が戦後オーブに落ち着くのと入れ違う形でシンは故郷を失い宇宙に上がった。プラントでのラクス・クラインの人気を目の当たりにする機会はデュランダルの政策を擁護する発言をするように表舞台に戻ってきた彼女のステージを中継や遠巻きに眺めることで訪れた。その時シンは、耳に届く歌に心を傾けることもなかったし、当然良いなとも思わなかったので直ぐに眼を逸らしたのだ。結局、それは本物のラクスではなくミーア・キャンベルという女性の歌であったようだが、シンにはあまり頓着のないことだった。自分と何ら関わりのない人間が入れ替わっていたとしてもそれこそ関わりがない。流石に、真偽を投げかけられた場が場だっただけに驚きはしたけれど。
 シンにとってラクスとは、彼の大嫌いな男にいつだって寄り添いながら綺麗に微笑んでいる女性だった。プラント出身ではないシンがラクスに熱心な視線を送っていることを、知識不足からだと察したルナマリアが教えてくれたことには、彼女は数年前まではアスランと婚約関係にありその関係はプラント中に周知の事実であったらしい。露骨に漂う政治の影を誰もが認めながら、肩書から察するにお似合いなのだろうとも思われていたそうだ。地球育ちでかつ一般市民のシンにはそもそも婚約者という単語自体が聞き慣れないものであったが。
 そんな堅苦しい肩書を背負っていたアスランは、確かに窮屈な場所に不器用に収まっていそうな気もする。彼の親のことなど詳しくないがお偉いさんだったとは理解している。またやはり詳しくはないラクスに関しても、僅かな期間に触れた立ち振る舞いから自然と持ち上げられた位置にいたのであろうと感ぜられた。婚約者とはコーディネーターであるが故必要に迫られた感があることを、シンは今一理解しきれていないようだった。

「ラクス…様は、地球がお好きですか」
「無理して様などつけなくても結構ですよ」

 たった二つの年齢差とは思えないほど、ラクスはシンを子どもにしてみせた。仮にも階級社会の軍に属していたのだ。敬語も満足に使えないような餓鬼ではないと自負していたい。だがどうしてか、ラクスと対等に立てるほど大人にもシンはなれないのだ。ラクスだって、年齢からすれば子どもだと言い張ることも出来るだろうに、世界の情勢がそれを許さない。けれど彼女は大人の世界で上手く立派に振舞っているだけで、決して大人ではないのだともシンは思っている。シンの大嫌いな男は、ラクスと並び歩きながらその周囲に流れている空気すら自分たちの空間に巻き込んでしまえるのかと思わせるほどお似合いに映った。それが、いつだってシンを苛立たせては一種の憧憬を生み出す。
 簡単には拭い去れない戦場の記憶。積み重ねた苛立ちは己の非を認めても貴方にだって他に遣り様はあったはずだと思い知らせたい。そんな嫌悪と同じくらい、貴方のように俺が振舞えていたら今頃この手は大切だった人たちを取りこぼすことなく掴んでいたのかと憧れを過ぎらせるのだ。平和に向かって歩き始めた世界の中でいつまでも戦場の中に置いて来たもしもの可能性を振り返りながら抱える消えない矛盾はシンを押し潰すこともせずに増えるばかりだった。
 シンは地球よりも宇宙の方が好きだった。地球には思い出として優しく内包するにはあまりに痛々しすぎる記憶が彼には在る。無視することは出来ないけれど、もう少し遠ざけておかなければ弱かった自分も、アスハもオーブも許せない。だから宇宙をたった一人生きる場所として選んだ。一人と言いきるには、シンはあまりに多くの人たちに支えられて生きているのだけれど。
 ラクスは宇宙よりも地球の方が好きだった。宇宙に辛いばかりの思い出を抱いているわけではない。彼女の愛する人が特別地球を好んだわけでもない。それでも、プラントの中で全て人工物として存在している自然が在りのまま広がっている地球が好きだった。
 色々なことが噛み合っていない。けれど、シンは今ここにいるラクスが遠すぎる人だとは思えなかった。
「――アスランのこと、嫌いなんですか」
「あら?どうして?」
「だって、婚約者だったって聞きました。でもキラ…さんのこと選んだんでしょ」
「好きな人だったから、アスランと婚約者になるのではないでしょう?」
「知りませんよ、婚約者なんていたことないですから」

 言葉を紡いでいる途中から、自分が餓鬼臭い物言いをしていると気付いていた。だって、目の前のラクスが微笑ましいと言わんばかりの眼差しを自分に向けて口元に手を当てて小さく笑っているのだから。シンがアスランとの婚約を解消してキラと共に在ることの理由を問うたのは、何故アスランではダメだったのかを知りたいからではない。どうしてキラでなくてはならないのかどうかを知りたかったのだ。キラのようになりたいなどとは微塵も思わない。それはあくまで過程の上での憧憬だ。けれど、ラクスと共に在る為に何か条件があって、それをあの男が全て満たしているというのなら少しだけ尊敬を限りなく薄めた気持ちを抱いてしまいそうになる。
 もしかしたら、それは結局シンがラクスを間違いのない人間として希望を込めて祀り上げているからなのかもしれないが。それはまた、ラクスに対しても矛盾を抱え込むことでありシン自身戸惑いを覚える部分があるけれど、そもそもラクス・クラインという女性を完璧に理解したり身近に感じたりするには彼等の間には圧倒的に言葉が足りていないのだ。

「……アスランのこと、嫌いですか?」
「いいえ、好きですよ」
「じゃあ俺は?ルナマリアやメイリンのことは?」
「ふふ、勿論好きですよ」
「ふーん」

 他人のことを、異性も同性も躊躇なく簡単に好きだと言える人間はきっと愛するということを知っている。「好き」と「愛している」ことの境界線を自身の中で明確に把握しているから、自分にも相手にも誤解を与えない言葉として「好き」を選択することが出来るに違いない。
 そういえば、先程から自分ばかりが話し掛けているなあと思う。シンの元より沈黙に耐えきれない性質がこんな状況を生み出しているのだろうけれど。ラクスは恐らく沈黙すらもその相手と過ごした穏やかな時間として受け入れるのだろう。言葉を発することだけが、相手に心を傾ける証ではないのだと。一々大人みたいな人だと、シンは小さく嘆息する。もう直ぐラクスを迎えにキラが来る頃合いだ。きっと彼女はその時を心待ちにしているのだろう。ちょっとした知り合いレベルの自分と同じ空間に居続けて、餓鬼臭い問答に付き合わされるよりもよっぽど心安いだろう。一方で、シンにはラクスとの待ち合わせの為に時間を気にしたり、歩調を早めたり、予想外の足止めに苛立つキラの姿など全く想像できないのだけれど、これがアスランに言わせると案外そうでもないらしい。どいつもこいつも自分の前でばかり大人ぶって演じているのだろうか。そう思うとシンは軽く年上不審になりそうだ。
 視線の先にあるデジタル時計が、丁度その表示を一分進めた。ラクスの待ち人はまだ来ない。

「キラさんのこと、好きですか?」
「――いいえ、愛しています」

 シンは、やはり自分はキラのことが大嫌いだと、激情とは程遠い静かな心地のままに思った。


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きっと僕は彼女にとって等価値に無価値だった


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