隣を歩いていたエイジの足が急に止まってしまったものだから、自然斗牙もそれに倣い彼を振り返った。にこやかまでとは言わないが、普通に会話をしていたはずのエイジの表情が見事に歪んでいるのを見て斗牙は自分はまた不用意な発言でもしてしまっただろうかと首を傾げた。とはいえ、今日のお茶の時間の菓子が楽しみだねという一言にどれだけ他人を不快にさせる要素があるのかを斗牙は知らない。
 だがエイジの視線が自分ではなくそのずっと後ろに向かっていることに気が付いて、辿る。廊下の奥、開いた扉、その前で語らっている二人の女性。琉菜とアヤカの姿を見つけ、斗牙はただ彼女たちがいると認識しただけだった。まさかそれを見つめてエイジが顔を顰めるだなんてことがあるとは想像もしていない。だって、あのアヤカがいるのだ。エイジ最愛の姉が。
 ゼラバイアとの闘いが終わり、レイヴンとして仮面を被る必要のなくなったアヤカは自然そのままの姿で暮らすようになった。サンドマンと想いを通わせているのだから端から見ている斗牙にもその方がわかりやすくていい。恋愛も結婚も理解は出来ないが、周囲の反応からするにそうなのだろうと察した。二人きりの時間に興味などないから、今アヤカが開けている扉が彼女の部屋のものなのかすら斗牙にはわからなかった。もしかしたらレイヴンの頃から同じ部屋を使っているのかもしれないが、それすらも。
 仲睦まじく談笑するアヤカと琉菜を見詰めるエイジの顔は絶えず顰められていて、斗牙の視線も絶えず三者の間を行き交っている。二人が気になるならば、話し掛ければ良いのに。気を遣わなければならない深刻な雰囲気でもないのだし。いつまでも仏頂面で睨んでいても超能力者じゃあるまいしテレパシーだって使えない。サンジェルマン城に初めて単身乗り込んだ切欠も行方不明になった姉のアヤカを捜し出す為だったし、その彼女がレイヴンの仮面を付け性別と名を偽り実はずっと近くにいたことを知っても騙されていたと怒るどころがあっさりと許してしまうような男だ。アヤカと琉菜が自分の知らない所で仲良くしているのが気に入らないのかもしれない。サンドマンとの恋仲はあっさり認めたくせにとは思うが。身寄りのない斗牙には姉弟間の想いの機微はわからないし、シスコンとかいうエイジに当てはまるらしき言葉も知らない。理解の外にあるものは教えて貰わなくてはならない。思い込みの善意で誰かを傷付けてしまわぬように。

「エイジは琉菜に怒ってるの?」
「はあ?何でだよ」
「だってさっきから睨んでるの、琉菜でしょ?」
「ん?いや、別に睨んでた訳じゃ…」

 元来些細なことでじゃれあうようにいがみ合うエイジと琉菜だから、斗牙も咎めるつもりで尋ねたわけではない。何やかんやと二人の仲が良いことは知っている。本人たちはあまり認めたくはないだろうが。
 斗牙の指摘に、エイジはばつが悪そうに頭を掻いた。それはどういう意味だろうと首を傾げた斗牙の背に渦中の彼女から声が掛かった。

「二人ともこんな所で何してるの?」

 斗牙が振り返れば、琉菜が両手に古びたノートを携えながら直ぐ傍に立っていた。彼女の背後に視線を移せば開いていた扉は閉まっておりアヤカの姿は見えない。斗牙の視線の動きに気付いたのか、琉菜は「アヤカさんならサンドマンの部屋に行ったわ」と教えてくれた。アヤカに用事があったわけではないので、斗牙は頷いてそうなんだと返す。エイジはまだ黙り込んだままで、琉菜は彼の顔を見上げながらアヤカの名を出しても何の反応もないことを訝しんでいる。だから斗牙が何か言わなければという気持ちに突き動かされて口を開いたのはきっと気遣いだ。あの斗牙が。無邪気に相手の気持ちを汲み取れないまま何の気後れも感じなかった斗牙が、まともに場の空気を読んだのである。だが生憎、そのことに感動してくれる人間はこの場にはいなかった。

「ねえ琉菜、その手に持ってるのは何なの?」
「ああこれ?アヤカさんに貰ったの。お父さんがこの城で働いてた時に付けてた日記なんだって」
「へえ…。それをどうしてサンドマンじゃなくてアヤカさんが持ってたの?」
「サンジェルマン城で働いてた時のってことはレイヴンとして振る舞っていた時のってことでしょ?仕事のこととかも色々書かれてたから、アヤカさん、参考書にさせて貰ってたんだって」
「そっか…。もうレイヴンでいる必要はないから、琉菜に返したんだね」
「返した…。そうなのかな?」

 父親を尊敬し、ゼラバイアの侵攻を伝え死んでいったその遺志を継ぐ為に琉菜はサンジェルマン城へやってきた。戦いに臨んだ理由それ自体でもある。アヤカの口から、彼女の前にレイヴンを務めていたのが琉菜の父親であると聞かされた時、自分の知らなかった一面を知らされた彼女の声は安らかに、けれど喜びと誇らしさを滲ませていた。
 それ以降、同じ役職を勤め上げた存在として親しみを抱いたのか、琉菜は大分アヤカに懐くようになった。勿論それはサンドマンには気安く尋ねられなかった父親のことを彼女にならば幾分尋ねやすいと感じたからかもしれない。そして実際、アヤカは琉菜に自分の知りうる限りの思い出を彼女に差し出した。琉菜の尊敬する姿を裏切ることのない立派な人だったと教えた。そんな思い出話の途中、ぽつりぽつりと交わされるアヤカと琉菜自身の会話の中で、純粋に琉菜はアヤカを慕うようになった。ミヅキとは違うタイプの頼れる年上の女性。憧れるならば、自分の現在の気質上ミヅキよりもアヤカだった。ミヅキは確かに年上だけれど、同じグランナイツとして対等だったから友愛の情が染みすぎている。

「――琉菜はアヤカさんが好きだね」
「うん、お父さんのことも教えてくれるし…。優しいし美人だし、あんな女性になりたいよね!」
「はっ、お前がアヤカみたいになろうなんざ百年早いぜ」
「なんですってー!?」
「あ、エイジ元気出た」
「――別に落ち込んでねえし、」

 琉菜の言葉に漸くいらん切り返しを入れたエイジに、斗牙は心中ホッとする。琉菜も何となく彼の様子が可笑しいと感じていたのだろう。失礼な物言いに反射的に噛みついて見せたものの、斗牙が口を挟めば頬を膨らませてはいるもののそれ以上激昂はしなかった。
 途切れてしまった会話を慌てて繋ぐように、琉菜は二人は何をしていたのだと改めて問い直す。もう直ぐお茶の時間だから広間に向かっていた所だと斗牙が答えればもうそんな時間かと彼女は驚いた。一緒に行くかと問えば、先に手にあるノートを自室に置いてくると言う。汚してしまっては大変だからと注意を払う琉菜は、やはり父親が大好きなのだろう。
 また後でと挨拶を交わし、琉菜は斗牙たちがやって来た廊下を小走りで去っていった。見送って、自分たちもいい加減止めていた足を動かそうとすればまたエイジの顔が歪んでいて、斗牙は今度こそどうしたことかと途方に暮れた。アヤカも琉菜も、もうこの場にいないのに。

「…エイジ?」
「ホント琉菜の奴、最近アヤカのこと好きだよな」
「――?うん、でも良いじゃない。サンドマンとの交際には一言も文句付けなかったんだし、琉菜がアヤカさんと仲良くしちゃ駄目な理由ないんじゃない?」
「わかってるっつーの。俺だって別にアヤカと琉菜が仲良くしたって不満とかねーよ」
「ふうん?」
「ただアイツ――、アヤカに用があって捜してる時さ、俺を見つけると嬉しそうな顔するんだよ」
「―――ん?」

 話の意図が読めなくなって来る。嬉しそうな顔をする琉菜の様子を説明するエイジの眉間には皺が寄っていて、本当に不満などないのかと疑わずにはいられない。斗牙の内心に注意を払う余裕もないのか、エイジの口調は段々と熱を帯びて、本人はかなり真剣に語っているのが伝わって来る。例えその内容に脈絡がなくとも。

「今まで俺に用があったってそんなにこやかに話しかけてきたことあったかっつーくらいの笑顔でアヤカ見なかったかって聞いてきて知らないって言えば目に見えて落ち込みやがるし居場所知ってて教えてやりゃあ満面の笑みで礼言ってさっさと行っちまうんだよ!」
「…普通じゃないの?」
「心臓に悪いんだよ!」
「琉菜が?」
「アイツが笑うのが!」
「僕やリィルじゃなくて琉菜でしょ?別にそんな珍しくは…」

 この場にいないリィルには失礼だが、琉菜に於いては感情の起伏が素直だ。悲しければ泣くし嬉しければ笑う。彼女らしさから何一つ逸脱していない振る舞いに何を今更動揺しているのだろう。エイジの言っている意味がわからないと口に仕掛けた瞬間、斗牙の脳裏に一つの可能性が過ぎる。それはつい先程までエイジがアヤカに懐く琉菜に抱いているとばかり思っていたもの。実際は、琉菜を可愛がるアヤカに抱いていた気持ち。嫉妬の二文字を、斗牙はエイジに教えてあげるべきかどうか悩んだ。だって斗牙は、少しずつ他人を思いやれる人間に成長していて、空気も読めるようになって来ている。だからこのまま、エイジが無自覚でいる間は口を噤んでいてあげよう。案外、件の聡明なエイジの姉ならば、弟の気持ちなどとっくにお見通しなのかもしれないが。
 それにしても、今日のおやつは本当に何だろうか。色々あって、考えて疲れてしまったから、出来るだけ甘いお菓子が良いなあと思いながら、未だに語り足りないと言いたげなエイジを促して、二人は広間への道を歩き出した。





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Title by『にやり』





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