※捏造過ぎる


 花や小鳥、甘いお菓子やハーブティ、この世のありとあらゆる優しくてきれいなものに囲まれて生きているような人だった。女の子特有の甘ったるい香りを纏いながら長いドレスの裾を花弁のようにひらひらと舞わせ踊る。柔らかな空気に包まれて微笑むユーフェミアは、その容姿を段々と大人の女性へと近づけながらも子どもと何一つ変わらない心のままでいる。そんな少女だと、少なくともジノは思い込んでいた。
 幼い頃、親の気紛れと貴族の義務として連れ出されたパーティーで、ジノは此方も偶々母方の一族の縁で遊びに来ていたユーフェミアと出会った。当時、勉強不足というよりも貴族や社会のしきたりや常識を未だ理解していなかったジノは彼女を自分と同じ一貴族のご令嬢だと思った。ヴァインベルグ家の四男坊として当時から既に親の期待と躾の厳格さの檻の外に身体を半分以上投げ出していたジノは貴族という地が同じであれば誰とでも対等にあれるとも思い込んでいた。皇族が偉いとは知っていたが、自分が密接に関わるような存在とは受け止めず、ひとりテーブルの上に並んだフルーツやケーキ、タルトに瞳を輝かせている女の子が自分とは別次元に属する存在だなんてジノでなくとも幼い子どもは誰も疑わなかっただろう。振り返れば、皇族の姫君に打算的な貴族共が胡麻擦り目当てに全く群がっていなかったことが不思議でならないが、もしかしたらそのパーティーにはコーネリアも出席していたのかもしれない。無駄に鼻の利く生き物でもある貴族は、どちらに印象を残しておくべきかを瞬時に判断する。何よりユーフェミアはひどく幼かった。
 好奇心に満ちた瞳が、テーブルの上の食事から煌びやかに飾り立てられた会場内をぐるりと見回し輝きを増したのを見て、少し興味が湧いたのが合図。

「一緒に遊ぼう」

 駆け寄って、手を差し出したった一言呟けばそれでもう幼い二人は友だちだった。テーブルクロスの下に潜り込んでみたり、どのドレスが可愛いだのあの正装は似合っていないだの好き勝手指差してみたり、広い会場の隅っこで二人、デザートばかりを啄みそれぞれの日常を語り合う。少女の話題の端々に上る「マリアンヌ様」や「シュナイゼルお兄様」という聞き覚えのある名に段々と引っ掛かりを覚えるようになり、ジノはそこで初めて少女に名前を尋ねた。彼女も彼女で、「そういえば名乗っていませんでしたね」と朗らかに笑う。名前など知らずとも手を取り合えてしまう幼さを、この時の二人は特別なことだとは微塵も理解していなかった。

「ユーフェミア・リ・ブリタニア、と申します」

 「貴方のお名前は?」そう尋ね返してくるユーフェミアの声が一瞬で遠ざかる。幼いながらに血が引いていく感覚を、ジノはこの時身を以て体験したのだ。きっと、今では丸腰状態で額に銃口を突きつけられたとしてもこんな気持ちにはならないと妙な自信を持って言いきれる。大勢いる皇族の名前など一々覚えていなかったけれど、ブリタニアの名を持っている時点で彼女が誰なのか、不勉強なジノとはいえ理解しない訳にはいかなかった。
 「ねえ、貴方のお名前は?」と繰り返すユーフェミアに、ジノは乾ききった喉から絞り出すように「ジノ・ヴァインベルグ」と最低限の単語を彼女に伝えた。その名前を咀嚼するように呟く彼女に、ジノは先程まで楽しく語らっていた時間が取り返しのつかない過ちを犯してしまったかのように思えて、どうか覚えないでくれと幼心に神にも縋る気持ちで祈った。無礼を咎められることが怖かったわけでも、両親に叱られることが怖かったわけでもない。目の前の小さな少女が、皇族であるという事実が怖かった。それだけで、彼女は自分とは違うという明確な区分がジノの中で生まれていた。自分の理解の及ばない場所で生きる、この国を束ねる一族の血縁。
 だが肝心のユーフェミアはジノがこれまでの馴れ馴れしい無礼な振る舞いを詫びる隙もなく、勝手に動き回った彼女を見失った臣下によって慌ただしく名を呼ばれ、困らせてはいけないからとそちらへ走り去ってしまった。
 「またね」と言い残された言葉に、ジノは返す言葉を持たなかったし、きっともう会うことはないだろうと思っていた。自分の金髪とは違うピンク色の長い髪。遠くからでも見つけやすそうだと思ったことすら、ジノには無意識のことだった。
 しかしそんな一瞬に近い邂逅の後、ジノとユーフェミアの細い関係は意外にも長く断続的に続くこととなる。貴族としての真っ当を物心ついた頃から諦めたジノは、自分の能力を活かせる場所を探し、選び、得る。KMFの操縦に才を見出し、よりよい環境を求めている内に、ジノ個人は実家にいるよりもずっと皇族と近しい場所に辿り着いていた。
 流石に二回目以降のユーフェミアとの対面の際には臣下の礼を取った。時には彼女を溺愛しているコーネリアとも同時に謁見することもあったので至極当然のこと。けれど、毎度その余所余所しい態度に寂しそうな表情を浮かべてジノを見つめてくるユーフェミアに、こればかりはどうしようもないことだと説明する機会も、納得させるだけの言葉も彼には存在しなかった。身分から来る常識だけならユーフェミアとて知っている。拘りもなく、蔑にされたとして咎めるつもりはない。けれど生まれた瞬間に得た地位を気にしないでと笑い飛ばせるほど、周囲は彼女だけを愛さなかった。
 だからせめて知らないふりだけはしないようにと決めていた。目礼するだけが精一杯の距離だとしても、ユーフェミアを見つけたのならば、彼女が自分を見つけたのならば、お互いを確認し合う暗黙の慣れ合い。その程度なら、皇族と騎士の関係を損なうことなく、それこそどちらかが死を迎えるまで永遠に続いていくに違いない。ジノはそんな風に自分たちの関係を捉えていた。

「ユフィ、って呼んで下さいませんか」

 あの時。振り返ってほんの数年前のこと。何故二人きりになってしまったのかはもう思い出せないし、さして重要なことではない。ジノからは難しくとも、ユーフェミアが彼を捕まえて短時間ならば二人きりの時間を持つことはナイトオブラウンズの状況次第ではさして難しくはなかったはずだから。何より、当時彼女はまだ学生という身分であったが故国民に殆ど顔を知られていない彼女だったから、姉のコーネリアの束縛さえ抜け出せば割と気儘に振舞えていた時期でもあった。

「――ユーフェミア様?」

 ユフィ、とは。確か彼女の愛称だったような気がする。ユーフェミアがコーネリアにそう呼ばれていたのを、何度か遠巻きに聞いた記憶がある。今それを唱えることを求められているジノ自身はまるで他人事のようにただ事実を心の内で確認するだけ。これまでユーフェミアがジノに何かを要求してきたことは一度たりともなかった。寂しそうな表情の裏側に、初めて会った時の気安さを望んでいたとしても。言葉にすればそれがジノを困らせることだと知っていたから、彼女は何も言わなかった。そういう暗黙を、お互いが知らぬ内に受け入れていた。顔と名前が一致する、顔見知り以下の親しみ。

「――ねえ、ジノ」
「―――、」
「一度だけで良いんです」

 懇願するようなか細い声を絞り出すユーフェミアは、いつしかジノよりも頭一つ分以上小さい女の子になっていた。初めて出会った日、簡単に覗くことの出来た輝く瞳は、もう膝を曲げなければジノには見えない。
 ジノにだって、少なからずユーフェミアを好ましく思う気持ちがあったから。だから、細やか過ぎる彼女の願いを出来れば叶えてやりたかったけれど。けれど僅かに音を発する為に息を吸いこんだ瞬間、唐突に自覚してしまった。ユーフェミアとこうして向かい合うこと、それが出来る自分の位置。軍属であること、騎士であること、つまりは臣下であること。くたびれることのない柔らかく高級なドレスを纏う彼女が何であるのかを履き違えてはいけないのだ。初めて出会ったあの日のように、同じ貴族の子ども、故に対等などと思い上がってはいけない。
 身に纏うラウンズの正装の堅苦しい襟が首を絞めつける。そしてジノは、ユーフェミアへの情よりも義務を選んでしまった。臣下として仕える相手に取るべき礼を選んだ。
 それは、愛しい少女の願いを無残に突っぱねたということ。
 ジノの応えに、ユーフェミアはいつも通りの寂しげな表情を浮かべただけだった。それは落胆だとか諦めに繋がっているとは思えなくて、ジノの罪悪感はさほど深くもなかった。その後も、目が合えば会釈して、近くに立てれば会話をすることもある、以前と変わることない関係を保てていたものだから、ジノはそんな些末な出来事のことなど記憶の隅にさっさと追い遣ってしまった。
 そしてジノはナイトオブラウンズとしての活躍を華々しいものとし、ユーフェミアはエリア11の副総督としてブリタニア本国を離れることになった。別れの挨拶は、タイミングが上手くいかずに交わすことが出来ないまま。

 こんな昔のことを唐突に思い出したのは、昨日ユーフェミアが自らの騎士を任命したというニュースを見たからなのだろう。悲しくも辛くもない。学生ではなく皇族としての道を歩み始めたユーフェミアにとって必要なことで。そう割り切ることは容易いのに、だけどどこかで寂しかった。ふと近くの窓に映り込んだ自身の顔を見れば、そこに浮かぶ表情はあの頃ユーフェミアが自分に向けていたものと良く似ている気がした。自分の顔が、あんな可憐なお姫様のものと重なるわけがないだろうとおどけて見せるにも相手がいなかった。自身に向かうには虚しすぎる。
 ユーフェミアが選んだ騎士は、きっと優しく彼女を『ユフィ』と呼ぶのだろう。どんなに寂しく思っても、だけどやっぱりジノは彼女の名前を呼べない。



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掛け違えてなどいないよ。だってボタンなんて初めからなかった

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