――女の子同士は柔らかくて気持ちが良さそうねえ。

 昼間から酒の回り始めたミヅキが目を細めながら呟く。斗牙はキョトンと瞬いて、エイジ「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。エィナはメイドの仕事があるとかで、この広間にはいない。ミヅキの視線の先には琉菜がいる。だけど先程の発言はミヅキが琉菜をそういう意味で狙っているということではない。どちらかと言えば「私は気にしないから勝手にやりなさい」という意思表示。正確に汲み取れたのは、きっとリィルだけ。琉菜は先程から手元の本に目を落としている。彼女が読書している姿を見るのは初めてで、リィルはついつい視線をそちらに送ってしまう。露骨すぎたのか、それともこの場以外の積み重ねが諜報員としてのキャリアを持つミヅキの目に留まってしまったのかあの発言を戴くに至ってしまった訳だ。
 リィルは琉菜のことを同性と理解しながらもそういう意味で好きだったから。南の塔で隔離されるように日々を過ごし、孤独に怯えながらも自分からは一切心の扉を開けようとしなかった自分にそっと手を差し伸べてくれたこと。きっかけは、優しさへの懐きだった。年下という存在が珍しかったのかもしれないし、何かを欠如しながら生きている不安定さを見透かして見かねたのかもしれない。東屋の前で聞かされた琉菜の闘う理由と、皆の境遇。彼女が繋ぎ止めてくれなければ自分はきっと過去を閉じ込めたまま、ただ塞ぎ込んで一方的に彼らを拒絶していたかもしれない。Gシャドウのコックピットで重ねてくれた手はグローブ越しであっても暖かく、安堵したことをリィルは今でもはっきりと覚えている。あの瞬間から、リィルは琉菜のことが大好きになった。それはまだ、恋心などではなかったけれど。
 南の塔に籠もることをやめて、琉菜たちと一緒に時間を過ごすようになった。さり気なく琉菜の傍に陣取る機会が多かったのはきっと無意識だ。仲間と一緒にいることを選べてもリィルの中の虚無感は記憶が欠如している限り埋まらないのだから、消えない弱さが自然と安心できる場所を探してしまった。隣を歩きながら無意識に彼女の服の裾を捕まえてしまったこともある。他人と並んで歩いたことのないリィルは、歩調を合わせるのにも意識を傾けなければいけなかった。そして琉菜は、そんなリィルに微笑み一つでペースを合わせてくれた。甘くて優しい、大好きな人。リィルが琉菜に抱く気持ちは単純に日々の温もりの中で嵩を増して行った。
 琉菜の傍にいて気付くこと。彼女は頻繁にエイジと口喧しく言い合いをしていた。どちらかが悪いというよりもお互い気性が似ているのだと思う。一度噛み付いて、相手が引かないと理解してしまうとそのままずるずると負けない自分を誇示しなければならないといった具合に、エイジと琉菜の張り合いは繰り返されていた。周囲もまた始まった程度の認識で、気の弱いエィナ以外は寧ろあの二人は仲が良いと微笑ましく思っているようだった。そのことに、リィルはむっとして、はてどうしてかしらと首を傾げた。
 それはきっと独占欲だった。エイジと言い合っているときの琉菜は彼を真正面から睨み付けて向かい合っていることが多かったから。その間、リィルは彼女の視界から弾かれる。真っ直ぐな人だから、何かに向かってしまうとそれ以外はなかなか目に入らないのだ。そしてそんな所はエイジもよく似ていた。だから琉菜の隣から、彼女を独占しないでとリィルいくら視線だけで訴えても彼は全く気付いてはくれないのだ。
 そして次に理解したこと。或いは大前提としてリィルを阻む壁となっているもの。琉菜は斗牙が好きだという事実。視線が語る。熱を帯びる頬が、吐息が。琉菜が斗牙に対して向けるもの全てがどこまでも雄弁にリィルの耳元で囁く。城琉菜は天空侍斗牙に恋をしているのだと。女の子から男の子に対して伸ばされる矢印。とても自然な心の傾き。自分と同じ女の子に向かうよりもずっと相応しい行き先。
 だけど。
 そう、リィルは無表情を装い琉菜の視線の先にいる斗牙を見つめる。熱っぽい琉菜の視線とは対称的に、自分のそれはとても冷ややかなものであったろう。
 ――だけど斗牙は、琉菜のこと好きじゃないわ。
 それもまた、紛れもない事実だった。リィルと同じ虚無を生きる斗牙は世間知らずの殻に肯定された人間知らずだった。いじらしい恋心なんて触れもせず、存在するとも思わず、自分がそれを踏みにじっているだなんて思いもしない。報われる見込みなんてないようにすら思える、斗牙の純粋な仲間の枠はグラヴィオンのパイロットであり続ける限り強固なものに違いない。友情とも呼べるであろうそれは、いつか琉菜の心を切り裂くのだろうか。もしそうなれば、琉菜はきっと泣くのだろう人前では笑顔を繕いながらひっそりと。それを思っただけでリィルの胸は痛み、斗牙へ向ける視線を琉菜に戻し彼女の視界を遮ってしまいたくなる。何故報われない恋に身を窶すのだ。リィルと琉菜が出会うよりずっと以前に種を蒔いた気持ちに干渉する術を持たぬまま、彼女は斗牙を羨んでいる。憎むには救われすぎたし共感もした。だけどどうか琉菜を傷つけないで。だけどどうか琉菜の恋を叶えないで。矛盾する想いはやがてその名を恋だと教えてくれる。戸惑いはあったが嫌悪感は抱かなかった。女性ばかりの環境がそれを助長したのかもしれない。しかし琉菜はどう感じるかということは
別問題だとリィルはしかと理解している。だからそっと見守ることを選んできた。チーム最年少の、意思表示の苦手な子ども。その位置に甘んじながら琉菜の隣を陣取り優しさを貰う。見抜かれるとは思わなかった。
 読書をしている琉菜に視線を送り、さてどうしようと思案する。彼女の両隣は開いていて、リィルがその片方に腰を下ろしてもきっと咎めたりはしない。けれど構っても貰えないだろう。邪魔をするつもりもない。だけどこの広間にいる斗牙やエイジが琉菜を挟んでしまったら、リィルは心穏やかではいられない。彼女はきっと本を閉じてしまうだろう。斗牙に目を合わせ会話に興じ、読書に集中出来ないとエイジと戯れる。その流れるような動きに、リィルは自分を挟み込むことが出来ない。初動が遅れてしまうのだ。ミヅキは傍観者の位置をキープするに決めたらしい。エィナはまだ仕事が終わらないのか姿を見せない。テーブルに置かれたクッキーを一つ手に取ったまま、じっと琉菜を見つめる。いつまでも口を付けないご主人に痺れを切らしたのか、ロロットが腕を伝い彼女の手の中から漂う甘い香りに鼻をひくつかせている。
 声を掛けてみようか、けれど意識を中断させては悪いからとならば隣に移動しようかと思えば今更不自然かとうなだれる。斗牙とエイジは隣同士話し込んでいて琉菜には意識を向けていない。どうか彼女が自分で本から顔を上げるまでそうしていて。リィルの願いを打ち砕いたのは、まさかの傍観者であるミヅキだった。
「――琉菜、さっきから随分熱心に何を読んでいるの?」
「―――!」
「え?ああこれ?アヤカさんから借りたんだ。お父さんも読んでたんだって!」
「ふぅん…」
「む、ミヅキから聞いてきたのに全然興味ないって感じ」
「私はそうよ。でも琉菜が読書にばかり熱中してるとリィルがすっごく寂しそうにしてるわよ」
「え、」
 ミヅキが会話にリィルを引っ張り込む。咄嗟のことに声が出せない彼女を置いて、琉菜は「そうなの?」と小首を傾げてみせる。そんなこと思いつきもしなかったと言わんばかりの仕草にリィルは頬が熱くなる。一方的な思慕とは知りながらいざ現実を突きつけられてしまうと容易く心細くなる。
 だがリィルの頬の紅潮を、琉菜は単純に照れだと思ったらしい。嬉しそうに微笑んで、手元で開いていた本を閉じてソファに置くと立ち上がりリィルの傍まで駆け寄り隣に腰を下ろした。
「リィルは可愛いなあ」
 そう自分を抱き締めた琉菜に、一瞬で跳ね上がった心音が届いてしまわぬようにとリィルは両手を胸前に置いて壁を作った。そしてその手が触れた琉菜の胸元から彼女の心音を連れてくる。穏やかで力強い振動。自分ではまだそれを乱すことは出来ないのかと寂しさも募る。年下の女の子であるが故の接触に抱く喜びも勿論ある。
「ねえ琉菜」
「なあに?」
「今日琉菜の部屋で一緒に寝ても良い?」
「――うん?良いよ、でも珍しいね。何かあったの?」
「ううん、何も。ただ寂しかったから…」
 ミヅキの言に便乗して、それでも嘘は吐かずに甘えてみせる。きっと琉菜は受け入れてくれるから。らしくないかもしれないと俯き尻すぼみになっていく言葉も、どうやらきちんと琉菜の耳に届いたらしい。予想を裏切らず、リィルを抱き締めたまま二つ返事で「じゃあ夕飯の後一緒にお風呂入って私の部屋に行こっか」と要求よりも長い時間を過ごしてくれると約束してくれた。嬉しさで緩む頬と、温かさに微睡みかけた視界の端に、リィルと琉菜のやり取りを眺めているだけの斗牙とエイジの姿が写り込む。彼等が仮に揃って琉菜を想っていたとしても自分のようには振る舞えない。それがリィルにとって一種の強味であり彼等への羨望だ。好きになることへの疑問など彼等は抱かなくて良いのだから。けれどリィルはもう否定しようもなく琉菜のことが好きだと認めている。だから、男子であるというだけで斗牙とエイジは要注意人物なのである。
 それさえマークして置けば大丈夫。後はただ想い慕うだけ。可愛い妹分、年齢など関係なく頼れる仲間、戦いが終わった今では友だちと呼ぶべきか。どれだとしてもリィルと琉菜がお互いを慕いながら向け合う感情は噛み合っていない。無防備にリィルを受け入れる琉菜はいつか知る。小さな少女が胸に秘めた恋心の深さを。自身が斗牙に向けるものと同質のそれ。
 だけども今は何も知らぬまま、姉妹のような友情に戯れて日常を送る。それでも良い。リィルは未だ自分を抱き締めている琉菜の背に恐る恐る腕を伸ばし抱き締め返した。人前でこんなことをしても許されるというのはやはり女同士だからこそ。斗牙とエイジは何も口を挟めない。ミヅキだけが口元に浮かべた笑みを深め「かーわいいっ」と呟いた。




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私の砂城で眠りませんか ?





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