秋になった。気温はまだまだ暑くて、制服も夏服のままだけれど、夏休みが終わって新学期が始まった頃を人は既に秋と呼ぶ。
 夏休みに行われた全中は、一度の危なげもなく帝光中が優勝を果たした。三連覇、それを素晴らしい偉業だと讃える人間がいる一方で、あれだけの才能が密集していればそれが当然だと白む人間もいたことだろう。大会中、あらゆる雑音を遮ろうと耳を塞いでいた黒子には知りえないことだが。
 それから、全中を終えて数日後。黒子はバスケ部を辞めた。退部届は顧問に出した。部員とはひとりも顔も合わせず、挨拶もせず、最後の大会を終えた後に何の意味があるのだと思われそうな行為だった。それでも、自分の奇行が耳に入れば、あの才能溢れる光たちに何らかのことを思わせることが出来るのではないかと、一度目の自分は期待していた。二度目の今は、大して期待していない。効果がなかったと知っている所為もある。だがやはり、高校に進学してから変わることの方が圧倒的に多いという黒子にはまだ過程だった現実を知っているからだろう。彼らが未だ出会っていないチームメイトに受けていくであろう影響も加味すれば急ぐ必要はないし、急いで出来ることなどまずない。
 夏休み後半から新学期に掛けて、黒子はキセキの誰とも喋らず、遭遇せずやり過ごしている。黒子が彼らを見つけることはあっても直ぐに気配を消してその場を離れるように心掛けているし、彼らが自分を見つけて話しかけてくることなどないだろう。授業中に決まった座席にいると確定している場合は兎も角、それ以外の場所で黒子テツヤを目当てに動き回って見つけて捕まえて話しかけてなんて、かなりの重労働に違いないのだ。それでも、黄瀬辺りならやりかねないが分は明らかに黒子側にある。仮に見つかって言葉を交わしたとしても何一つ通じ合えないだろうから、出来るならばこのまま消えるように静かに息をしているだけでいたい。彼らに対して眉を顰める回数の増えていく自分が嫌だった。勝つ為にしか出来ないバスケが嫌だった。そんなバスケを当然と言い切る彼らが嫌になってしまいそうだった。だからここで一時堰き止めなければならない。抱いた嫌悪を簡単に払拭できるほど、人間は誰しも清らかではいられないのだから。


 不意に、一軍に上がってからも、三軍の時に使用していた体育館で何度か自主練をしていたことを思い出した。赤司に見出されて一軍に抜擢されてもパス以外の部分で自分が三軍の中でも相変わらず下の位置にいたことを忘れたことはない。到底埋めきれない実力差を一足飛びに飛び越えることはできないけれど足掻くことを辞めることは出来なくて、黒子は一軍に上がっても自主練は続けることにしていた。ただ、問題は場所でやはり一軍の体育館は人が多く、かつへたくそな黒子が混じると誰かの邪魔をするのではと居心地が悪くて仕方なかった。そんな、ただでさえ薄さで忘れがちな黒子が申し訳なさそうに端へ端へと寄って行ってしまうのを見つけたのは青峰だった。基本練習も一緒にやるようになった為うっかりしていたと、夏前から一緒に使用していた第四体育館に向かおうと申し出てくれた時は素直に嬉しかった。そんな懐かしい思い出を、授業中に振り返ってしまった所為なのか。黒子は昼休みにその思い出の場所に足を伸ばしていた。特別な何かがあるわけでもない。本当に、記憶だけだ。結局黄瀬が入部してからは一軍の体育館で彼と青峰が1on1をしている隣で自主練をするようになったし、キセキが台頭してからは優先的に第一体育館を使用させてもらえるようになって行った。
 壇上に座りながら体育館全体を見渡す。普通の中学校だったら、こんなに必要ないであろう体育館はやはりバスケ部の為という印象が強い。その中でも三軍の練習場であるこの第四体育館は比較的小規模ではあるが黒子一人で佇むにはそれなりに広い。ここには黒子の弱さがあって、始まりときっかけがあった。ほんの少し歯車が食い違っていたら、この場所で三年間を潰すか、もっと早くバスケ部を去っていたのだろうと思うと不思議な気分だ。尤も、そちらの方が今よりはずっとバスケを好きなままでいられただろうと思うと皮肉な笑みすら浮かんでくるものだが。

「――テツ?」

 回想に耽る思考を一瞬で現実に引き戻された。声も呼び方もたった一人しか心当たりがなかったから、黒子はしくじったと舌打ちをすることも出来ずに視線だけで彼を捕まえる。

「青峰君?」
「お前こんな所で何してんだよ」
「―――特に何も。青峰君は?」
「昼寝。さつきに見つかるとあいつうっせえから」
「………そうですか」

 ならば僕はお邪魔にならないように退散させていただきます。そう呼吸を置かず言い放って去るつもりだったが、青峰が此方に向かって歩いてきていることに気付いてしまった瞬間に黒子は思わず口を閉ざしていた。全中の決勝以降、彼と顔を合わせるのは初めてだというのに青峰は大して気にも留めていないようだった。その決勝戦が事実上黒子たちの部活を引退した日である以上、青峰は彼の退部という事実を知らないのかもしれない。そう楽観的に考えれば、適当な会話をして逃げ出すことも出来るだろう。青峰と向き合ってこんな算段を立てていることに若干の心苦しさはある。だがそれ以上の寂寞はいつだって黒子を押し潰そうとするから、ひとりで戦って青峰を打ち負かす実力のない彼は逃げ出すしか手段を持たないのだ。
 ステージまでやって来た青峰は、壇上に登るとそのまま横になって昼寝の体勢に入った。肩越しに振り返りながらそんな青峰の様子を見つめる黒子は、そろそろ彼も様々な高校から声を掛ける時期だなと思いつく。青峰だけではなくキセキの面々はこれから色々と忙しくなるだろう。彼らがどんな環境を一番の基準として高校を選んだのかは、一年後の黒子でも知らないことだが。

「そういやお前そろそろチャイム鳴るけど良いのかよ。こっから教室遠いじゃん」
「ああ、そうですね…。まあ、大丈夫だと思います。青峰君はサボりですか」
「さつきみたいにやかましいこと言うなよ」
「別に何も言いませんよ。青峰君の自由ですから」
「………」

 言っても無駄だから言わない。それは、諦めることだけれど、悪いことではないと思う。内心何も諦められない黒子には何とも言えないけれど、どうせ青峰は勉強ではなくバスケで高校に進むのだから問題もない。だからサボってもいいとは決して言わないが、彼に授業に出るよう心を砕くだけの余裕が今の黒子にはないのだ。本当に、戻ってから特に青峰との溝ばかりが鮮明に映し出されるものだから黒子は苦しくてお腹が痛むくらいだったけれど、それでも今はまだ、と耐えることを選ぶ自分は貧弱以外の何物でもない。そんな失望を繰り返して、黒子は夏休み中に彼らと一時の決別を済ませたつもりだったのだけれど、こうして青峰と隣同じ空間に並んでみても何一つ澱まない空気に心底戸惑う。決別と言っても黒子が勝手に思い込んだ一人相撲だから当然といえば当然か。それとも、本当に何一つ彼らには黒子の気持ちは届いていないのか。

「あー、あと黄瀬が新学期に入ってからずっとテツに会えないって泣いてたぜ」
「…泣い…?は…?」
「マジで泣いてたぞ」
「それは……ちょっと怖いですね」
「ひでーな」
「そうでしょうか」
「まあ、気が向いたら顔見せてやれよ。お前見つけんの大変なんだしよ」
「――――そうですね、気が向いたら」

 そんな日は、今年の冬を通り過ぎて春を迎えるまで訪れないのだけれど。それを知らない青峰は、黒子の言葉に納得したらしく寝転がったまま寄越していた視線を解いて今度こそ昼寝の為に瞼を閉じた。黒子の方も、青峰のその動作を確認して困ったように表情を崩す。今日は予想外に、迂闊にも青峰に見つかってしまったが今後はそうは行かないだろう。黄瀬に顔を見せてやれとまるで世話を焼くような言葉を口にした青峰だって自分とは顔を合わせられなくなる。それは青峰にとっては、ひょっとしたらそんなことで済まされてしまう程度のことかもしれない。
 ――それはちょっと寂しいですね。
 本当は、ちょっとどころではないけれど。青峰の相棒であれたことへの愛着と誇らしさとは未だ黒子の胸の内にあって、だからこそもう一度とこんな道違えを選んでしまったのだから。

「――そういやさあ、」
「……?」
「昔はここでテツと一緒に自主練してたよなあ」
「―――!」
「お前なかなか上手くならなくてさ」
「今も上手くなくてすいません」
「ははっ!」

 昼寝の為にやって来て寝転んでいるというのに、目を閉じたまま青峰は随分と饒舌に喋りかけてくる。黒子は淡々とそれに応じる。少し前までのいつも通りが此処にある。やがて思い出に変わっていくものとは知らずに容易く流れていく時間と言葉たち。その価値を、今は黒子だけが知っている。
 ――だけどいつか。
 伝えようのない決意が、ふとした衝動に押し出されるようにせり上がってくる。まずい、と思ったその瞬間、午後の授業開始を告げるチャイムが鳴り響き、黒子の声をかき消した。咄嗟の偶然に救われる形に、黒子はほっと息を吐く。眼を閉じている青峰は気付いていないだろう。そう安堵して、黒子は青峰に一言「それでは、」と言い残して壇上から降りた。一度だけ振り返ってみれば青峰は寝転がったままこちらに向かって手を振っていたので見えるはずはないと思いながらもお辞儀をしておいた。お別れの意味も込めて。
 ――やっぱり僕は、君のようにバスケは上手くないけれど。だけどいつか、必ず君を迎えに行きますよ。
 これは絶対だ。急げないのが、申し訳ないけれど。


失望はしたけれど、絶望はしませんでした(すべて、には出来ない)


20120507










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