いくら部活動の引退が済んでいないとはいえ受験生という身分から解放されることはない。期末の成績は二学期の面談で最終的に決定する受験先への重要な指針であるしそこでヘマをしている人間は夏休みにこそ挽回しなければならない。ヘマもファインプレーもしていない黒子の平凡な成績でも、部活を引退してからの時間に詰め込めば高校入試はクリア出来ると経験済みだ。だが、それは同じ様に同じだけ勉学に時間を費やした場合だろう。二回目の期末テストは、問題にこそ見覚えはあれど成績はきっと前回と大差なかった。解答や解き方を忘れている場合もあったが、きっと黒子がどれだけテスト勉強に心血を注いでも点数、順位共に一年前と何の変動もなかったに違いない。ここは、そういう風に流れていく。
 体育館の整備の為に業者が入るとのことで、今日の練習は午前中のみで終了した。それでも全国トップクラス、授業のない休日の練習は平日のものよりも密度が濃い為、相変わらず黒子は休憩時間は死んだように動かなかった。それに躓いた緑間にぐちぐちと嫌味を言われ、庇おうと余計な口を挟んだ黄瀬が今度は緑間と黒子に言い負かされるという不憫な出来事が起きたが、これも日常茶飯事と呼べた範囲内の出来事。紫原とは揉めなかった。最後の夏大会前に、興味のない他人に掛ける言葉も持たないらしく黙々と自分の練習のみに励む彼と黒子の会話が交わされることは本日なかった。
 さほど珍しい出来事もなく、黒子の記憶を懐かしいと揺さぶることもなく。部活が終わり進路指導室に立ち寄って誠凛の資料を確認する。数か月後に先輩となる彼らの夏は既に終わり、また新しく始まっているのだろう。調べるまでもないけれど、これは一つの義務だった。抗うことをせず、過去をなぞり現在に追いつくと決めた黒子は、記憶に残っている限りの昔の自分の行動を繰り返す。懐かしい会話もあった。全く覚えていなかったものも幾つか。大好きな人たちの傲慢な態度にも再度触れて、憂鬱と恐怖に視線を伏せてしまうこともある。だけどそれ以上に、こんなにも他愛ない日々だったと改めて実感することが辛いのだ。他愛なくて、大好きだったと、過去の自分はきっと自覚することなく通り過ぎた。だから無意識の衝動に従って、道を違えることを厭わなかった。自覚していれば、もしかしたら結果は変わらずとももう少し共に在れる方法を探してしまったかもしれない。全く無駄なことであるというのに。

「まだ帰ってなかったのか」
「―――赤司君?」
「何だい、鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「いえ…赤司君が進路指導室に来るなんて思わなかったので…」
「ふうん、自分で進路先の情報なんて集めなくてもあちらから群がって来るからかい?」
「……言い方が悪いですよ」
「曖昧に誤魔化そうとする誰かさんにわかりやすく説明してあげたんだよ」
「それはどうも」

 夏休みということもあって、黒子一人しかいなかった進路指導室に突如赤司が現れたことによって黒子は若干混乱する。こんなことあっただろうかと直ぐに目の前の人に向き合うよりも過去を参照しようとするから一挙一動がずれて遅れていく。それを不審がって問い詰めるようなことはされていないが、見逃しもしないのが赤司という人間だった。手にしていた誠凛の資料を、各高校の資料が並んでいる棚に戻す。それから、目当ての高校の資料を見ていたと気取られないように別の学校の資料を手に開いて読むふりをする。
 何をしにやって来たのか、目的をはっきりと口にしない赤司は黒子のそんな偽装を見抜いているのかもはっきりとさせないまま資料の閲覧用にと置かれている椅子に腰かけて、彼に背を向けて棚にかじりついている黒子をじっと見ている。彼の視線は独特だから、同じ空間にいれば見られているなとはなんとなく察せる。だからこそ、黒子の居心地は今急激に悪くなっている。

「――つまらないだろう」
「何がですか」
「そんな良いとこばかり綴ったパンフレットを読んでも」
「面白くはないですけど」

 かといって下調べもなしに受験は出来ないだろう。大学のようにオープンキャンパスは開かれないものの、高校も中学生の為に夏休み中中学生の訪問を受け入れる高校があり、日程も夏休み前に一覧表にされて配られていたが誠凛の公開日は見事に夏大中だったのでいけそうにない。何より、キセキの面々と関わりがある間は誠凛に興味を抱いていることは悟られたくなかった。
 ――カチャ、
 途切れた会話の隙間に、珍しくもない音が混じる。何故今持ち歩いているのかは知らないが、赤司が将棋の駒を掌中で遊ばせている音。ルールを知っているからという理由で赤司と一局打ったことがあるけれど、あまりの実力差にもう二度と彼とは打たないと決めていた。適当な一つを指で上に弾いて、また掴む。そんな手遊びをするほどに暇ならば、さっさと帰れば良いのにと思う。勿論、不躾すぎて直接訴えることは出来ない。

「なあテツヤ、つまらないことだよ」
「バスケのスカウトで高校を選べる赤司君からすればそうでしょうね」
「負ける要素なんて微塵も見当たらないこと」
「―――?」
「自分の力が必要とされないこと」
「…赤司君、」
「迷うだけ無意味だろう?」

 ――それなのに、最近の君は何を思い悩んでいるんだい。
 まるで、そう言われているような気がした。赤司はきっと疑ってもいないだろう。自分たちが、日本一になる未来。健闘を讃え合うに値する試合を展開する相手すら存在していないと確信していて、ならばどれだけ自分の思い通りに試合を作れるかだけを娯楽にして遊ぶだけ。果たすべき役割があって、それさえこなせば最優先事項の勝利は勝手についてくる。最低限の労力で、最低で最高の結果が生まれるのだからそれは効率的かつ不満の抱きようがない真実で。それを己の力で実現するには三桁の部員の一握りに選ばれて、ユニフォームを着てコートの中に立つしかない。黒子は、三年間どれだけ努力をしても手が届かなかった人間が大半の、その権利を持っている。正確には与えられている。二年前、赤司に見出されたあの日から、黒子はそれを与えられたのだ。
 感謝もしている。嘘ではない。お礼は言えない、それはきっと全てが終わった時に言える言葉だと思うから。そしてその終幕は、帝光中の日本一達成の瞬間ではなく。誠凛高校が日本一になった時だと思うから。だから許して欲しい。恩をあだで返す様に否定だけを残して赤司の前を去ることを。

「それでも、僕には僕の意思があります」
「まるで決別みたいなことを言うね」
「そんなつもりはありません。僕は帝光中学バスケットボール部の黒子テツヤですから」
「……。そう、それなら良いよ」

 何が良いのか。説明はやはりされることなく赤司は席を立って扉に向かって歩いていく。ここには黒子と話す為だけにやって来たらしい。それでしっかり自分を見つけられたのだから、大したものだと黒子は感心する。赤司なら当然かとも思うが。赤司が扉に手を掛けた瞬間、その姿を見送ろうと目線を送っていた黒子と赤司の瞳がかち合う。至近距離ではないけれど、真っ直ぐ見つめられていることだけは明らかで、黒子は一瞬で身動きが取れなくなる。睨まれている訳ではなく、寧ろ今の赤司の瞳にわかりやすい感情の色は浮かんでいないように見える。だがやがて、空の瞳はそのままに眉だけが下がって、困ったような表情を作った。

「テツヤは嘘を吐かない代わりに本当のこともなかなか言わないね」

 言い残して、赤司はそのまま進路指導室を出て行った。残された黒子は未だ停止したまま、彼が去った場所を見つめ続けている。囁かれた言葉が時間を置いて理解が追いつくと共にじりじりと黒子の心を刺して、何かいけないことをしているかのような緊張感で下腹部が痛む。
 ――帝光バスケットボール部の黒子テツヤですから。
 その間は、決別をするつもりはないと暗に込めた本音をもしかして見抜かれてしまったのだろうか。それならば随分と不用意な発言をしたものだと黒子は数分前の自分の言動を悔やむ。だがそれでも赤司は自分を引き留めないことは明らかで、気に病む必要はないと心を切り替えようと努める。
 きっと、この帝光中学のバスケ部に籍を置いている限り、赤司の言葉の正誤を問うこと自体が愚かしいことだ。敗北を知らない彼の言は勝利を絶対とする場に於いてすべて正しい。極端な理不尽を強いないならばそんな尊大も良いだろう。時にそれは優れたリーダーシップともなり得る。だがそれでも、黒子は違うと叫びたかった。
 正しいから勝つのではない。勝つから憧れた訳じゃない。ただバスケが好きだっただけなのだ。真剣に、単純にバスケが出来ればそれで十分だったのだ。キセキという光に焦がれてそんな簡単なことを黒子自身もまた見落としていたことを否定しない。だから、気付くには随分と遅すぎたけれど、離れ離れになってでも正すとは大袈裟だとしても戻りたかった。そうやって、過去の因果を引き摺っていたから真っ先に自分が巻き戻されてしまったのかもしれないなと苦く思う。
 静まり返った室内で、黒子は未だ手にしていた興味のない高校の資料を棚に戻してもう帰ろうと置いていた鞄に手を伸ばす。果たして、赤司とこんな場所で会話しただろうかと今更ちゃんと記憶を掘り返してもそれらしい出来事は思い出せなかった。ならば、もしかしたら今日の邂逅は新しいイレギュラーだったのかもしれない。彼の言い回しから察するに、最近の自分の思い悩みが目についたから確認しに来たようにも取れる。そしてそんな他人に気遣われるほどの悩みといえば、高校生だったのにいきなり中学生に回帰してしまったことくらいしかない。それにしたって赤司自ら自分なんかに声を掛けてくるのは珍しいな、と黒子は首を傾げる。
 ――ああ、そうか。
 理由は直ぐに思い当たった。使い道の決まっている駒がミスをするならば試合には使えないから最終確認をしたといった所だろう。明日は、全中の初戦だ。



いたいほどにあなたはただしい(正しいことを、心から望めるとは限りません)


20120430










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