それから、俺とクララはよく隣の席に座って講習を受けるようになった。偶に休憩時間に杏がやって来て、クララとも親しげに話し出したものだから驚いた。正直、小さい頃から俺や晴矢という男子と遊んでいた活発な杏と、図書室に頻繁に通う文学少女のクララではタイプが違うし話も合わないのではないかと心配していたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。二人に聞けば、実は小学校の頃から俺達のサッカーの試合を応援していたのを切欠に仲良くなっていたらしい。

「杏は昔から南雲君の話しかしなかったわよね」
「クララだって涼野の話しかしてなかったでしょ?」
「そうだったかしら?」

 女子同士が一度喋り出すと、俺の口を挟む暇なんてない。こうして見ると、本ばかり読んで口数の少ない印象を持っていたクララも杏と同じ女の子なんだよなあと今更失礼なことをしみじみと実感する。一方で、こんなに楽しそうに喋っている杏の姿を見るのは久しぶりで、その面で俺は伝えることのない感謝の言葉をクララに向けて心の中で呟いた。

「杏、もう次始まるから自分の教室に戻れ」
「えー?」

 親切心で教えてやったのに、じとめで此方を睨んでくる杏に、指で時計を指差してやると漸く慌てて自分の教室へと戻って行く。誰かと一緒にいると、いつまでも自分で時間を確認しようとしないのだから困った物だ。無意識に零れていた溜息に、クララが小さく微笑んだ。

「本当、良いお兄さんね」
「……同い年なんだけど」
「でも心配なんでしょう。あの子、最近元気なかったでしょう?南雲君と喧嘩でもしたのかしら…」
「……気付いてたのか?」
「貴方達はみんな分かりやすいのよ。中でも杏は特にね、だって…」

 この夏期講習に入ってから、俺はクララの言葉に動揺し過ぎかもしれない。クララは現代文のテキストを捲っていた手を止めて、涼しげな表情のまま一度言葉を切った。落とされていた目線がふと、どこか遠くを見るように前を向いた。

「あの子と私は、似ているから」

 クララの言葉に、俺はそうだろかと首を傾げた。前述した通り、俺から見た杏とクララは正反対な存在として映っていた。クララは俺の腑に落ちないという表情を見て、「そう思うわよね」と俺の心中を察したように言葉を添えてくれた。

「杏は、南雲君が東京の大学に行くかもしれないことが怖いのでしょう」
「……たぶん」
「私もね、風介君に東京の大学でサッカーしてくるなんて言われた時は思わず馬鹿じゃないのって吐き捨てたもの」
「辛辣だな」
「今思えば文脈だって可笑しいものね。でもそれくらい驚いたの。風介君の気持ちも考えてやれない位には」
「………」

 本当は、私が一番応援してあげなきゃいけないこと位分かっているのよ。そう言って、少しだけ寂しそうに微笑んだクララの頭を、俺は昔から晴矢や杏が泣き出す度にしていた風に撫でた。予備校の教室で取る行動としては些か気恥ずかしいし、場合によっては誤解を受けても仕方ないものかもしれないが、俺の手は自然とそう動いていた。クララは一瞬驚いたのか身体を強張らせたが、直ぐに本日何度目かの柔らかい笑みを浮かべてくれた。

「本当、良いお兄さんだわ、貴方は」
「…ありがとう?」
「全幅の褒め言葉ではないわよ」
「うん、なんとなく分かる」

 このありがとうは、色々な意味を込めて言ったのだ。杏を笑わせてくれて、気遣ってくれて、クララ自身の気持ちを打ち明けてくれて。そして俺に、また新しい何かを気付かせてくれたことへの礼なのだ。
 やっぱり、晴矢と杏はしっかりと話し合わなくてはいけない。俺はその手伝いをしてやりたい。だって俺は、二人の良いお兄ちゃんなんだから。