悪い流れというものは、どうしてかこれといった切欠が無いと断ち切り難かったりするものだ。
 晴矢は、夏休みの大半を大学の合宿に参加して過ごすことになった。つまり、夏休みは東京の合宿所に泊まることになる。終業式があった日の夜、晴矢からメールでこの旨を知らされた時、正直俺は「頑張れ」よりも先に「杏とのことはどうするんだ」と返信しそうになってしまった。
勿論、応援していないなんてことはないし、俺自身高校最後の夏休みを晴矢と遊べないのは残念に思っている。しかしそれ以上に杏のことが心配だった。だから、お節介を承知で晴矢にではなく杏に「大丈夫か」とメールを送った。数分後、返信には一言「大丈夫」とあった。本人がこう言っている以上この話はここまでだった。俺は話題を変えて、明日から始まる予備校をさぼらないよう釘を刺して、携帯をベッドの上に投げた。
 俺と杏は、夏休みの間だけ予備校の夏期講習に参加することになっていた。俺達の意思というより、親の意向が強く働いた結果ではあるが。俺としては、金を払ってくれる両親が行けと言うのなら、曲がりなりにも受験生という身分であるし、喜んで行かせて貰おうと思っていた。だが杏の方は大分駄々をこねたらしく、最終的に俺も行くんだから行けという芋づる方式で杏を納得させたらしい。
 俺と杏は、学校で晴矢と一緒に軽いノリで馬鹿なことばかりやっているという印象が強いらしいが、実際成績はお互いそれほど悪くない。毎回テストでは学年三十番前後をキープしている。まあ晴矢は周囲の期待を裏切らず悲惨な成績を晒しているが。因みに、俺が文系で、杏は理系。晴矢は言うまでもなく体育会系。
 つまり、杏の親には申し訳ないが、俺と杏の夏期講習での選択したコースは文系理系で違うので、俺達が実際に会うことは少ないと思われる。行き帰りの時間も、多少ずれるだろう。そう考えると、今回の夏休みは三人ともバラバラだ。その一点に気付いてしまっただけで、これからの夏休みが大分色褪せて感じられた。


 翌日、午前中から予備校に向かい早速講習を受けていた。適当に席に着けば、周りを囲むのは当然見慣れたクラスメイトではない。テレビでよく映っているような熱血講師がこんな片田舎の予備校にいる訳もなく。淡々と進む時間は学校にいる時よりも味気なかった。
 昼休みになって漸く周囲を見回してみる。やはり知らない顔ばかりが並んでいて落ち着かない中、一人だけ見覚えのある顔を見つけて視線をそこで留める。蒼いショートの髪と、昼休みだというのに昼食を取るでもなく手にした文庫本に目を落としている少女。

「クララ、」
「……?…あら、茂人君」

 昼休みの幾分ざわついた部屋の中でも、俺の呟きはクララの耳まで届いたらしく、彼女はゆっくりと視線を廻らして俺を見つけると、読んでいた本に栞を挿して俺の元まで歩いて来た。
 クララは、同じ学校の、俺達の隣のクラスの生徒でちょっとした知り合いだった。切欠は、小学生の頃に俺と晴矢が所属していたサッカークラブ時代からの腐れ縁でもある涼野風介の紹介だ。晴矢と風介はチームのFWとしては申し分なく心強いツートップだったが、一度サッカーを離れてしまうと悉く正反対という関係だった。しかし仲が悪い訳でもなかったので、クラブ以外の場でも一緒に遊ぶことが間々あった。そんな風介に、高校で同じになった際に自分の幼馴染だと紹介されたのが彼女、倉掛クララだった。
 当初は目が合えば挨拶する程度の関係だったのだが、俺と彼女が頻繁に図書室を利用していることが手伝って、今ではそれなりに会話をする仲だった。

「残りの二人は?一緒じゃないの?」

 誰もいない俺の両脇を不思議がるように、クララが尋ねた言葉に一瞬でも固まってしまった自分はおかしいのだろか。一緒にいたいのだけれど、何故だか時間が経てば経つだけどんどん難しくなってしまうんだなんて、高三の男子が吐く言葉ではないだろう。みっともなさ以上に、自分たちが周囲の人間から高確率で三人一組という認識をされているという事態に、少し気恥ずかしい気持ちになる。自分たちで自覚し開き直るのとはまた違った感覚だ。

「杏は理系のクラスにいるよ。晴矢は…この夏はサッカーの合宿」

 無意識にか、晴矢の現在に対する言葉を紡ぎたがらない自分がいることに気付く。案外、自分で思っている以上に寂しいのかもしれない。ガキかよ、と自嘲していると逆にクララは合点がいったらしく「ああ、そういえば」と口を開いた。

「風介君もサッカーの合宿で夏休みは殆どこちらにいないのだけれど、確か南雲君も一緒だと言っていたわね」
「……!そうか、涼野も一緒なのか」
「あら、聞いてなかったの?」
「ああ、晴矢のことしか」
「貴方達は、本当にお互いのことが好きなのね」

 若干、呆れを含んだクララの言葉に俺は曖昧な笑みで返すしかなかった。そして、ふと考えた。もし俺達がもう少しだけお互いを今より好きでなかったら。俺も杏も、笑って晴矢を送り出してやれたのかな、なんて。そんな馬鹿なことを考えてしまった。